16章 奪還
乾いた銃声が聞こえていた。
そして重なる怒声、爆発音、炸裂音。
緩やかに意識を取り戻した水城は、まずその音を聞きつけて――反射的に頭を抱えて蹲る。
まるで心臓のように胃が脈打ち、そのまま水城は嘔吐した。
胃液だけが僅かに零れ出て、彼はその事実に驚きを禁じ得ない。
今、口から吐いた……?
口がある……?
そう思いながら、彼は恐る恐る己の顔に触れる。
鼻がある、口がある、顎から下もある。
手足もしっかりと、胴体は欠けることなくそこにある。
白骨化した部分なんてない。
まるで全てが夢想だったかのよう。
しかし意識すればすぐに思い出せる、あの地獄の責め苦がありありと蘇る。
痛みも恐怖も何もかもがこの肉体に刻まれていた。
「あぁあああぁああ……」
真っ暗な部屋の中で、彼は愚かしくも逃げ出そうとする。
ガリガリと壁を引っ掻いて爪が剥がれて、その痛みで半狂乱になってまた嘔吐して食道が破けて血が混じり始めてそれでも逃げ出そうとして壁を殴りつけて転げまわって喉が痛むまで叫び続けて涙を流して懇願して這いずり回って謝って謝って謝り続けて――。
――扉が蹴破られた。
ライフルを構えた男が遠慮なく入り込んできて、水城の腕を掴む。
暗闇に差し込まれた光は彼の目を晦ませるのに十分だった。
だからその男の顔は見えない。
でも、そのオーデコロンの香りは憶えている。
「水城君! ……助けに来たッ、さっさとここから逃げるよ!」
アルビレオが、水城に救いをもたらす――。
しかし水城はその手を振り解き、自分の頭を抱えてその場に蹲る。
「触るな……触るなッ! ……誰も! 俺に! 触るなッ! あんな痛いのは嫌だ……お前も俺を傷つけるんだ……信じられない誰も信じない……お前も敵だあんなことをするんだ……」
肉を削がれる痛み、神経が切り刻まれる痛み、骨が抉られる痛み。
もうあんな痛みに二度と味わいたくない、この人物も自分を傷つけるかもしれない。
もう自分以外の人間なんて誰も信じられない……!
「嫌だ、近寄るなッ、俺の前から消えろッ!」
「……手間かけさせやがって……ッ!」
その瞬間、アルビレオが水城の腹部を蹴り上げる。
胃が揺れる痛みと不快感、しかしそれはあの痛みに比べたら些細なもの。
そしてアルビレオは彼の胸倉を掴み上げ、息のかかるような至近距離でその目を睨みつけた。
「立てよ柊水城、何腑抜けたことぬかしてやがる! 転生を止めたいんじゃないのかよ、幼馴染を守りたいんじゃなかったのかよ! もうそんなことどうでもいいってんなら今ここでお前の頭吹っ飛ばしてやろうか!?」
友達と、幼馴染。
水城はぼんやりと――崩壊した自我の中で、薄らいだその面影を思い出す。
……友達を助けたかった、転生なんてさせたくなかった……もうすぐ卒業式で、時間がないから、だから……。
……え……今、何日……?
「なんとか言えよバカ野郎! お前を助ける為に何人の仲間が命張ってると思ってる!? こうしている間にも誰かが死ぬかもしれな……」
「アルビレオ! 今何日だ!」
脳に冷水をブチ込まれたような感覚は、拷問の時何度も味わった。
その度に意識が覚醒して、そしてその度に覚醒を恨んだ。
しかしこの覚醒はそれとは全く比にならない。
虚ろだった自我が蘇る程の圧倒的な覚醒、崩壊した精神が僅かな自意識を取り戻す。
「……確か……三月九日だったかな。卒業式の翌日だよ、だから君だけでも生き延びて――」
「いや、違う……九日じゃない……」
部屋の隅で転倒している電波時計には、三月八日と表示されている。
つまり卒業式は今日、そして時刻は十八時を示している。
友人たちが集団自殺を行うまであと幾許かの時間しかない。
……彼らの自殺願望は止められないだろう、デザイナーベビーに成った人類は死を歓待する。
でも、物理的に止められたなら。
自殺ができないよう拘束し、その状態を保てたならば。
……いつか天才の構築したプログラムを解きほぐして、自殺願望を止められるかもしれない。
その血を受け継いだ二人がこの世にいる。
だから、それは決して夢物語ではない。
「止める……止めてやる……ッ!」
水城がアルビレオの手を振り解いて出口に向かう。
しかし部屋を出た瞬間、銃火器を持った男数人が待ち構えていた。
だが部屋の入り口で待機していたハルが、水城の前に出てライフルをぶっ放す。
敵に当たりこそしなかったが、敵は物陰に隠れて発砲が止むのを待った。
「こっちだ、全力で走れ!」
アルビレオに促されるまま、水城とハルは通路を駆け抜ける。
何度も後方に発砲して追手を牽制しながら、三人は真っ白な通路をただ駆けていく。
「アルビレオ、ここはッ!?」
「朝瀬川大学病院地下! 水城君が国衛隊にとっ捕まってここに輸送されたって目撃証言があったから助けに来たんだ! さっさと抜け出すよッ!」
扉を蹴破る、鍵のかかった扉はスラッグ弾でブチ抜いて無理矢理開錠する。
時折麻酔銃を持った軍服の者が姿を現すが、その度にハルが発砲して敵を撤退させていく。
「……なあ……お前は……俺が、皇紅葉の遺伝子を持ってるから助けに来たのか……? お前も俺の脳が目当てなだけなのか……?」
「ふざけんな、それ以前に仲間だろうが!」
思いっきり頭突きされて、水城が数歩よろめく。
「星狩りで仲間が何人も死んだ! だけど! 君たちがいれば僕たちには希望が残る! 人類の未来が残るかもしれない! 君が生き残らなきゃ仲間の死が無駄になる! だから――!」
アルビレオの言葉は発砲音に何度も掻き消されかけた。
でも確かに聞こえた。
この男の本当の叫びが、耳孔だけでなく水城の心に。
「生きるんだよ! 全力で!!」
それは……愛する友に水城が伝えたい言葉、願う想い。
死んで実る思いなどあるはずがない。
生きて、生きて生きて生きて、どれだけ泥臭くてもみっともなくても生き続けて。
例えこの世界がユートピアじゃなくても生き永らえて。
ディストピアでしかないこの世界で、ハッピーエンドを迎える為に生きていく。
「……ああッ、生きよう! 生きてやるッ!」
鳴り響く警報、増えていく足音、降りていくシャッター。
敵が水城を逃がすまいとあらゆる手で妨害を行ってくる。
それでも抗う、逃げる、生き延びる。
生きて伝えなくてはならない想いがあるから、生きてもう一度笑い合いたい仲間たちがいるから。
「……なんだッ!?」
その時、地下内に重装甲の防弾車が突っ込んでくる。
ありとあらゆる設備をぶっ壊しながら蛇行するその車は、三人の目の前で急停止した。
「三人とも、乗れッ!」
声を聞いたアルビレオが、水城を抱えて車内に突っ込む。
追手が放った麻酔弾と車体がぶつかり合う金属音が幾重にも響いた。
ハルも牽制射撃をしながら車に乗り込み、扉を閉める。
後はもう、出口までの距離を阻むものは何もない。
運転席の男は迷うことなくアクセルをベタ踏みし、あらゆる障害物を蹴散らしながら地下を脱出した。
地下を抜ければ後は阻むものなどない。
壁を削りながら病院の廊下を駆け、出入口の回転扉を突き破りながら脱出していく。
そのまま車は夜道を進む。
尾行を振り切るようなとてつもない速度で。
「……ナーイスタイミング。さっすが僕の相棒」
アルビレオが運転席の男に気安いサムズアップをして、大きな安堵のため息を吐いた。
その隣ではハルが銃を構えながら後方を監視し続けて、……水城は、驚愕を禁じえなかった。
何故なら、運転席の男は――。
「おじいちゃん……」
「遅くなってすまないな、水城」




