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15章 地獄の謁見

 断続的に続く機械音。

 誰かの淡々とした声。

 金属の器具が擦れ合う音。

 ひき肉を丸めているような生々しい異音。

 誰かの足音。

 笑う声。


 ぼんやりとしていた頭が少しずつ覚醒してくる。

 まるでそれは微睡から目覚めた時のよう。


 静かにゆっくりと覚醒していくのが自覚できる程、その目覚めは鈍いものだった。


 ……少しずつ、少しずつ……水城の感覚が蘇っていく……。


 闇の世界に光が差し、真っ暗だった世界は瞬く間に色を取り戻す。

 しかし長い間暗闇にいたが故、突然の光は刺激でしかなく、彼は再び瞳を閉ざすしかなかった。


 緩慢な動作で沁みる目を開けば、ただ真っ白な天井が広がる面白みのない光景が広がっていた。

 周囲を窺おうとするが体は動かず、ただ天を見つめ続けることしかできない。


 ここはどこだ。

 水城はそう声を出そうとして、幾度か咳き込んだ。


「新人類二號、感覚麻酔中和完了。現在視覚と聴覚のみが完全復元されています」


「良い、当状態を維持しろ」


 淡々と告げるその声に聞き覚えはない。

 だがそれに返事を返した男の声は知っている。


 その男は水城の傍に立ち、彼の顔を見下ろす。


 ……それはただの男じゃない、この日本で一番高貴な男だ。


「た、……橘樹衛……」


 現日本国王が、色彩のない真っ黒な瞳で水城を見つめている。


「……俺をここに連れてきたのはアンタか……?」


 尊敬も畏敬もあったもんじゃないような口調だが、国王相手だからと言って今更畏まるものでもない。

 明星に所属した時点で、水城は国家転覆を企む売国奴だ。

 下手に出る意味も意義もありはしない。


「ああ……確かに儂だ。君に話しておきたいことがあってね……本来であれば明星に属している時点で斬首刑も辞さないところだが、会談の余地を設けさせてもらった」


「……寛大な措置に感謝感激を表しますよ、我らが敵」


 衛は水城たちに対して無傷捕獲を命じていた。

 ……それはつまり利用価値があるということ、死なれては困るという証左だ。

 それが分かっているから水城は多少強気に出る。


「……さて、君はこの世界の真実を知っているかね?」


「滅亡を避けるため異世界に民を捧げて、最終的には環境システムを理由に吹っ掛けられてるマヌケな話だろ……?」


「そこまで知っているなら、当然不可解な点に気付いただろう」


 不可解な点と言われても、水城には思い当たることがなかった。

 むしろ死を歓待する異様な世界の答え合わせとしては妥当なものだとさえ思っていたのだ。


 そんな水城を見下ろして、衛は冷笑する。

 まるで虚けを見るような目だった。


「……何故地獄より呼び出された不老不死者が、明星と国家に分断しているのか。何故環境システムを手に入れても異世界との繋がりを止めず、転生を続けているのか。そして――何故、不老不死であるはずの大天才が転生したのか」


「……!」


 そこで水城は想い出す、かつてアルビレオが呟いた言葉を。


『……尤も、その天才は転生してしまったけどね』


 そう、それはありえないことだ。

 異世界人によって不老不死にされた存在が転生を――死を享受するはずがない。


「君は真実を知った気でいた。……だが本当の真実は隠されたままなのだよ」


「…………………………」


 絶句する水城を見て、衛が小気味よく嗤う。

 そして光の無い純黒の目で水城の顔を覗き込み、刻み付けるように重々しく告げる。


「そもそも環境システムは生存資源の退廃化を遅延させているだけで、滅亡の未来を変えたわけではない。故に『延命装置』、元来延命とは刻々と迫る死を遅延化させる言葉であろう?」


「じゃ、じゃあ、結局俺たちは滅亡を避けられないってのか……?」


「滅亡を食い止める手段が一つだけあるだろう。……これだ、思い当たらぬか?」


 突如、衛が懐から拳銃を取り出し――己のこめかみを撃ち抜いた。


 飛び散る脳味噌、舞い散る脳漿。

 眼窩と口腔からは血がどろりと溢れ、その体から力が抜けていく――かと思いきや、死んだはずの衛は踏み止まる。


 頭蓋を取り巻く肉が怪しく蠢き、彼のこめかみに空いた穴が塞がっていく。

 傷跡周辺の火傷痕も静かに消えていき、ものの数秒で衛は生前の姿を取り戻した。


「不老不死か……!」


「察しの通りだ。異世界人の持つこの技術を手に入れなくては、人類の滅亡を止めることはできぬ。……だがな、知性に特化した異世界人ならいざ知れず、猿から進化した人類にはその領域に達することはできないのだ。皇紅葉がそう打ち立てた、間違いはあるまい」


 確かに不老不死という技術は、人類が何百年かけても辿り着けなかった境地だ。

 このまま限界を迎えるまで延命を続けても、きっと手にすることはできないだろう。


「故に、我々は猿由来ではない人類を作る必要があるのだ。そのために大天才は転生する必要があった。……異世界にではなく、現世にな」


「……まさか……」


 少しずつ、水城は隠された真実を察していく。


 察してはならない禁断の真相に、彼の脳は侵されていた……。


「さて、その天才の姿を御覧に入れよう。恐らく既視感があるのではないかな?」


 衛が懐から何かを取り出す。

 それはいつ撮られたのかも分からない白黒の写真、永久保存袋に収められているおかげで何とか形を保てているほど年季の入った写真だった。


 そこに写っている人物の顔を、水城は見たことが無かった。


 でもその面影だけは知っている。


「これは……、楓の母さ――」


「その天才の名前は皇紅葉。君の母親だ」


 ……え?


「大変だったのだぞ、君と鈴蘭楓の存在は明星によって巧妙に隠されていてな。我々が君たちの存在を突き止めたのもつい最近、故に今まで手を出すことが叶わなかったが――」


 待って、待ってくれ……だってこの女性の顔は、楓に瓜二つじゃないかよ……。


「君たち二人は今や我が手中。これで我々の計画は滞りなく遂行されるだろう」


 でも確かに俺にも似ていて……まるでこの人物が二つに分かれて、俺と楓が産まれたかのようで……。


 ――そう思う水城の脳内が、冷水を注入されたかのように冷たくなっていく。

 血が凍り、息をすることすら忘れて――。


「……俺は……俺たちは、一体何なんだッ!?」


「皇紅葉だ」


 切り捨てるように、衛は告げる。


「皇紅葉の脳を素材にクローンベビーを作り、染色体をXYにしたものが柊水城。染色体をXXのままにしたものが鈴蘭楓だ。……君たちはどちらも同じ人間なのだよ」


「……………………………………」


「君は皇紅葉の右脳から作られた、鈴蘭楓は左脳からだ。……どこか心当たりがあるのではないかね?」


 右脳。

 それは感情表現を司り、人との交流で用いられる脳。

 想像力やひらめきに長け、感覚的な思考を得意とする器官。


 ……柊水城は、人との交流が上手だった。

 人と関わることで生き甲斐を得ていた。

 そしてその部屋には楽器や絵など、感覚を元とするものが多く存在している。


 左脳。

 それは論理と計算を司り、情報処理を行う際に用いられる脳。

 理論先行となり、人との交流は苦手だが長けていれば天才的な頭脳となる器官。


 ……鈴蘭楓は、卓越した頭脳を持っていてギフテッドと呼ばれていた。

 対人交流こそ乏しいが、その頭脳の明晰さは同年代の中ではトップだと断言できる。


 そう、二人の性格や長所は全て皇紅葉の脳から作られたもの。

 天才から受け継いだ遺伝子によって構成された……ある種、デザイナーベビーと呼ぶべき存在。


『……物心つく前から一緒で、ずっと一緒に生きてきて……体の不自由な私の傍に居続けてくれて……恋というよりもっと近い、もう一人の自分みたいなイメージですかね……』


 かつて楓が言っていた言葉が水城の脳裏に蘇る。


 ……彼女がそう感じていたのも当然なのだろう。

 何故なら柊水城は彼女にとってもう一人の自分、同じルーツを歩んだ同一人物なのだから。


「………………………………」


 揺らぐ世界、込み上げる嘔吐感。

 警鐘のような耳鳴りと、衛の笑い声だけが世界に響いている。

 水城の自我は揺らぎ、自身という概念が分離しそうになっていた。


「そう、皇紅葉は君たち二人に『現世転生』した。新たな生を経て人類の始祖となり、天才の因子だけが受け継がれる生命を作ろうとしたのだ。……天才同士を掛け合わせることでしか人類には到達し得ない領域、『不老不死』を手に入れるために」


 ……水城は、言葉を発することさえできず……虚ろな目で天を仰ぐことしかできない。


 明星が告げなかった真実は、『告げられない』真実だった。


 真実が、事実が、現実が、水城の脳を蝕んでいく。

 混乱の坩堝と化した脳内に衛の言葉が這いずり回り、そこで脈動する自我を圧搾して潰そうとしていた。


「だがな、万が一にも新人類と人類が交わるのは非常に不味い。天才と猿の間にできた忌み子に不老不死の理を導けるわけがない。……故に猿由来の現人類は地上にいてはならない存在。異世界の技術と引き換えられるだけ引き換え、最後には消えてもらうのが一番良いのだ」


 水城の脳内は混沌と呼べるほど渦巻いているのに、……聞きたくもない衛の声だけは、明瞭に聞こえてきていた。

 まるで鼓膜ではなく脳に直接語り掛けられているかのように。


「それに備え、皇紅葉はデザイナーベビーの脳に二つのプログラムを組み込んだ。一つは死を歓待する仕組み、そしてもう一つは――死を強行する仕組みだ」


「………………死を、強行………………」


「そう、希死念慮を強制的に発生させ、自殺を誘発するプログラムだ。……端的に言おう、皇紅葉が定めた刻限に達した瞬間、デザイナーベビーは一斉に自殺をする。例外なく皆死ぬのだ」


 小気味良さそうな笑い声が部屋の中に反響する。


 ……それが衛の嘲笑であることに、顔を見ている水城でさえも一瞬気付かなかった。

 この話の流れで笑みを零せる精神が理解できなかったのだ。


「さて新人類よ、我々の魂胆は分かっただろう。人類が死に絶えるその瞬間が訪れるまで君たちはここに拘禁され、新たな世界で儂の奴隷として子を繁栄させていくのだ。儂だけが王となり、儂だけが全てを支配できる世界でな……」


 意地の悪い笑みを湛えて、衛は水城を見下ろした。

 王と民、そこに存在する埋めようのない格差を知らしめるかのように。


「さて……話は終わりだ。プログラムが作動するその時を神妙にして待つが良い。案ずるな、その瞬間が訪れるまであと半年もかかるまい……」


 踵を返して衛が去っていく。

 だが室内を出る直前、水城の方を振り返って言った。


「ああ、それはそれとして――明星という反国家組織に属した報いは受けてもらおう」


 衛が合図するのと同時に、その部屋の天井が奥に引っ込んでいく。

 そして代わりに出てきたのは鏡、曇り一つない鏡張りの天井が現れた。


 ……だから、仰向けに寝かされていた水城は、自分の姿を目撃する。


 刃物で肉を削がれ、少しずつ白骨化していく己の様をその目で見てしまう。


 ……これが、俺……?


 あ……あ、あぁ……。


「―――――――――――――――!」


 水城はあらん限りの声で叫ぶ。

 ……だが叫んだとて世界が変わるわけもなく、現実が消えるわけもない。

 彼の下半身は既に白骨化し、残るは上半身だけ。

 ……しかも脳は摘出されて培養液に入れられ、失血死しないよう延命装置に繋がれている。

 その脳と体は神経パルスで接続され、身体と脳が通常通り信号をやり取りできるように仕組まれていた。


 この光景を見るのは初めてのことではなかった。

 それはアルビレオに見せられた先輩たちの末路で見た、生きたまま肉を削がれ骨となっていく姿。

 だから彼は、そのフラッシュバックなのだと思い込もうとした。


 でも……まだ肉を保っている上半身は……柊水城のものに違いなくて……。


「安心したまえ、喜ばしいことに君は死なない。君の肉体は四Dプリンターで再構築してある。脳さえ無事なら移植して今までと何ら遜色ない人生が送れるだろう。……ああ、一応建前上は反国家組織に加入した罰ということになっているが、実際のところは――」


 衛が誰かへ合図をすると同時に、じわり、じわりと水城の意識が覚醒していく。

 薄霧の中にいるような朧気の意識は、霧が晴れていくかのように明瞭さを増していった。


 それに伴い、全身の感覚が蘇ってくる。

 込み上げる熱のような感覚の名前は――、


「私の趣味だ」


 痛覚。


「―――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!」


 地獄でしか聞けないような、おぞましい絶叫が手術室に木霊する――。


 肉を削がれた肉体が外気に触れる激痛。

 それだけでも耐えられない程なのに今まさに削がれていく胴体の痛みはそれを上回る。

 痛みは熱さと同義だった、まるで全身が業火で焙られているかのような苦痛。

 真っ先に蘇っていた視覚と聴覚はもう感じない、痛覚以外の感覚は全て吹っ飛んでいる。


 世界が真っ暗に染まった。

 しかし火花が散るかのように何度も明転する。

 鮮血のような赤色にもなり、眼球を焼き尽くすかのような眩い光が視界を覆う。

 それでも鏡に映った自分の姿が見えた、だから鋭利な刃物で肉を削がれている白骨化した自分を見続けるしかない。


 痛みという言葉が優しく思える程の激痛に涙を流す。

 でも彼らは手を止めず水城の体を切り裂いていく。

 彼は逃れられない、両手両足を幾重にも固定されて僅かでも動くことは叶わない。


 手術衣を着た者が水城の声帯を切り裂いた。

 その瞬間、絹を裂くような悲鳴は嘘のように消えていく。

 だが声が出なくなっても彼は叫び続けていた。


 だから……彼は絶叫して暴れているつもりなのに、傍から見れば少しの音さえも発せなくて。

 与えられた激痛とは裏腹に、手術室は静寂に包まれていた。


 何度も意識が飛んだ、でもその度に意識が覚醒する。

 まるで脳に冷水を流し込まれたような感覚だった。

 何かの薬剤を注入したのだろう、その度に彼はこの地獄に戻り続ける。


 それが何度も何度も繰り返されて、気絶と覚醒を繰り返して――、

 その果てに、彼の自我は崩壊した。

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