14章 悪魔の計略
少しずつ、さざめく水が部屋の中を埋めていく。
……ここに籠城して明星の救援を待つ手段は、もう使えない。
仮に溺死の道を選ぼうとしても、水城たちを無傷捕獲したい敵は銃が意味を為さなくなる水位に至ったらエレベーターシャフトを下り、特攻をかけてくるだろう。
特攻されてしまえば敵は傷つけられども捕獲は免れない。
だが、……水城は落ち着いていた。
追い詰められた今この状況こそが、逃走を図る最大の機会なのだから。
「……楓、少し我慢してくれよな」
そう言いながら水城がフィンとダイビングマスクを装着する。
そしてその背に背負うのはタンク、しかしウェットスーツを着ている時間はなかった。
「水城、まさか……!」
「ああ、せっかく清掃用のシュノーケルセットがあるんだ。一潜りしようぜ。なーに楓はタンクの呼吸ガスを吸ってるだけでいい、気軽にスキューバダイビングを初体験しよう」
「そんな危険な……ッ!」
何かを言おうとした彼女の口に吸気弁を突っ込み、空気タンクを背負わせる。
下半身が動かない彼女は足で水を掻くことができない、だから水城は彼女を抱き上げた。
水が室内を満たしていく、胸の高さに至るまで水位が上昇してきている。
「行こう」
そんな中、水城は扉を開け放って廊下に進む。
そして水に埋まった世界を泳ぎ始めた。
廊下を進んでいき、館内に至るもう一つの扉を開ける。
……それは幻想的な光景だった。
水にまみれた人工建築物の中を、数多の魚が泳ぎ回っている。
きっとどこのダイビングスポットでも見られないだろう、これほどの種類が闊歩する世界を泳ぐ機会などないだろう。
まだ水に浸っていない天井から差し込む灯りは、まるで海に差した太陽光のよう。
水の中を煌びやかに照らし、コバルトブルー色の光が世界に乱反射していく――。
……エレベーター以外に脱出経路などないと思い込んでいる敵には、別の場所から水城が逃走するなんて考えられるはずもないだろう。
だから階段側に潜み、地下一階の水没寸前に敵がエレベーターシャフトに突入したのを見てから突撃する作戦を打ち立てた。
万が一爆発の衝撃で水族館が崩落しても巻き込まれないよう、爆発物を使う前に国衛隊はクラスメートたちを施設外に退避させているはずだ。
それならば、銃の使用は解禁される。
水没した銃が使えるのかは分からないが、使えたなら天井の照明を破壊し、暗闇の中逃走を図ることができる……。
そう策略を立てながら水城が水中を泳いでいく。
かつて水中トンネルのあった通路を抜け、クラゲの舞い散る幻想的な世界を往く――。
そしてその奥にある階段を見つける。
慣れない口呼吸に集中している楓をしっかりと抱きしめながら、階段への水路を泳いでいった。
「――――!」
階段まで辿り着き、浮上していく。
丁度踊り場に差し掛かるところで水は途切れていた、だから水城はタンクを捨てて階段を上り、水面から脱出していく。
踊り場に辿り着いた水城は、少しだけ咳き込みながら辺りの様子を窺おうとして――。
「来たな」
その言葉が聞こえた。
瞬間、目の前が真っ白になる。
純白の世界の中で星が点滅しているように見えた。
「が……ッ!」
そして彼の体は己の意思と反して、力を失っていく。
全身に走る激痛に喘ぎながらその場に倒れ込んで、ショットガンを取り落とす。
視覚が戻った時、視界に入ったのは軍靴だった。
……一足二足じゃない、何十人もの靴が面並んでいる。
「……ほぉーら、小生の思惑通り。子供の考える事なんて単純でしょ」
全身が痺れて力が入らない。
しかし水城はあらん限りの全力を込めて視線を上にあげる。
……妙な拳銃を構えたブルカ二等陸尉が二人を見下ろしていた。
その背後には、幾人もの軍人たちが面並んでいる。
「スキューバキットがあるからって泳いで脱出とか安直すぎ。ガキの浅知恵お疲れ様ァ~~~」
「て、てめぇ……何をしやがった……!」
「ああ今の? テーザー銃つって、銃型のスタンガン的なヤツ。撃たれたら困るから無力化する為にこれ持ってきちゃったよ、使用記録書くの面倒臭いんだから手間取らせんなよなァ」
軍服の者達が二人を縄でふん縛る。
相当警戒しているのか、手錠を幾重も付けていた。
「放せこの野郎……! 楓に何しやがる、ブッ殺すぞ……!」
「はいはいどォぞその芋虫状態でやってみな~。さーて捕獲完了ォー、撤収するよ撤収ゥ」
ブルカ二等陸尉が手を叩くと、配下の軍人たちが二人を担ぎ上げる。
そして水族館出入口を出たところに止めてある二台の軍用トレーラーへと運んでいった。
その車に乗せられてしまえば、もう二度と俗世へ戻ることはできないだろう。
軍に管理されて拘束され続けるか、情報を吐かされて殺されるかのどちらかだ。
「……水城」
運ばれている最中、楓が小さな声で幼馴染の名を呼んだ。
その声には達観の色が浮かんでいる。
まるでもう二度と出会えないと悟っているような、これが今生の別れになることを理解しているかのような口調だった。
「……今までありがとう。……水城と一緒にいられて、私は……幸せだったよ」
彼女は一筋の涙を流しながら、……最後の言葉を言う。
「楓……!」
さよなら、という声が聞こえた気がした。
そして楓と水城はそれぞれ別のトレーラーに乗せられて、もう幼馴染の姿を見ることができなくなる。
飾り気も何もない車内に寝かされ、ベルトによって床へ固定されていく。
水城は遮二無二暴れるが、手錠と縄とベルトの三重拘束から逃れられるはずもない。
もがけども車体の軋む音が響くだけ、徒労に過ぎなかった。
そんな彼を横目で見ながら、ブルカ二等陸尉が部下たちに指示を飛ばす。
「現時刻を以って星狩りを終了する。処理班は現場の壁に埋まった弾丸を摘出して弾痕を隠蔽、情報班はテロリストが爆発物を用いて学生の大量殺戮を行おうとしていたように情報操作を行え。小生は鈴蘭楓をA倉庫へと運ぶ、運搬班は柊水城をB倉庫へと運搬し――」
『待て』
その声が脳内に響いた瞬間、……国衛隊の誰もが動きを止めた。
偉そうな態度で指揮を飛ばしていたブルカ二等陸尉さえも言葉を失い、動きを止める。
その低く威圧するような声は、緊急用回線によって彼らの脳に届いていた。
『柊水城はB倉庫ではなく朝瀬川大学病院地下に拘引しろ。……彼はもてなさねばならぬ、こちらの全身全霊を以ってしてな――』
『は……はッ! ……畏まりました、橘樹国王殿!』
ブルカ二等陸尉の顔から余裕の色が消え、必要以上に必死な形相で口角泡を飛ばしながら部下たちに新たなる指令を飛ばす。
一人の軍人が水城の口に呼吸器を宛てた。
呼吸器に繋がる管の中を通過しているのは麻酔ガス、全身麻酔を行う際に吸引させるもの。
それと麻酔注射を併用して投与される。
水城の意識がどろりと歪む。
酩酊に近いような意識混濁が起こり、目の前が万華鏡のように姿形を変えていく。
笑気ガスの甘い香りを仄かに感じながら、世界の明度が下がっていき――。
水城の意識は、一時的に消失した。




