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12章 造り出された水底で

 ……館内は神秘的な蒼色に染められていて、水槽の中がよく見えるよう仄かな照明に照らされていた。

 まるで海の中を歩きながら魚を見ているような感覚、回遊している魚たちもこちらを気にかけているようには見えなくて、心を落ち着かせるには丁度いい環境になっている。


 水族館なんていう施設に水城が来るのは相当久しぶりのことだ。

 最後に行ったのは小学校低学年の頃祖父に連れて行ってもらった時、何の因果かその時訪れたのもこの水族館だった。


 クラス単位での遠出という稀有な状況に、クラスメートたちは大盛り上がりしていた。

 他の客がいないからはしゃぎまくりの浮かれまくり、水族館でここまで賑やかな一行はそうそういないだろう。

 初めて水族館に来た幼児が唯一比肩するくらいか。


 そんな彼らと対照的に、楓は物静かな様子だった。

 だが一応魚に目線を向けているので最低限楽しんではいるのだろう。


 水城もいつもより静かな様子だ。

 ……彼は史上最悪の社会科見学を終えて心に少なからずの傷を負った。

 夜はほぼ一睡もできなくて、夜中には二回ほど吐いたし頭痛も止まらなかった。


 だからといって、楽しみにしていた行事を捨てるわけにもいかない。

 転生の事実があろうとなかろうと、残り少ない高校生としてクラスの皆で遊べる数少ない機会なのだから。


「綺麗だな」


 車椅子を押しながら、彼は楓に声をかける。

 天から指す光が水槽内を眩く照らし、水槽前の俺たちにサファイアブルーの光明を落とす。

 アクアマリンの世界には色取り取りの珊瑚が並び、回遊する魚と共に清澄な閃耀を浴び続けていた。


「……そうだね」


 やや遅れて楓から返事がくる。


 ……彼女は海を模した有限の世界を見て、何を感じるのだろう。

 水城は心中でそう呟く。


 時として人は大海に出られない魚を不憫に思ったり、綺麗なのだから良いと思ったりする。


 彼女はどう捉えるのだろう、人の手によって生かされたこの生物を。


 誰かに介護されなくては生きていけない、現世の人間たちのような生命体たちを……。


「楓は……水族館に来てみたかったの?」


「興味はあったよ、一度くらいは来てみたかった。……思ったより美しいものだね。本当は私たちもこうあるべきなのかもしれないね……」


「俺たちも水槽の中で飼われた方がいいのか?」


「多分、その方が幸せだと思う」


 彼女は水槽に手を当てて、何も知らず暢気に泳ぎ回る魚を見つめた。

 魚にとってその手は異物なのだろうか、何匹かの魚が手に寄ってきていた。


「私たちの世界も多分こんな感じなんだよ。住んでいる本人からすれば狭くて窮屈なもので、変化の少ない世界かもしれない。……でも水槽の外に出ようなんて考えた者には、罰が下る」


「……異世界という大海に漕ぎ出す者は、今や大勢いるからな」


「ううん。行く先が海であれば、もしかしたら幸せになる道があるかもしれない。……でも異世界は海じゃなくて、ただの調理場に過ぎないもの」


 調理場で幸せになる魚がいるはずもない。

 腹をかっ捌かれて内臓を除去されて、三枚に下ろされるのが関の山だ。

 刺身になることが幸福であると見做す魚なんて、どこにもいない……。


「確かに私たちはこの世界を窮屈で不自由なものだと思う。……でも、水槽内は窮屈かもしれないけど、外側から見ればこんなに美しくて、きっと海なんかよりも綺麗に彩られた世界。……これは、そんな当たり前のことに気づく最後の機会なのかもしれないね」


「……世界は美しい。しかし、そこに住む者はそれを知るすべがない……って話か」


 芸術作品に描かれた存在が己を芸術だと自覚しないように、己の美しさを判断することはできない。

 世界から逸脱した存在があってこそ、初めて世界は美しさに気付けるのだ。


 異世界という存在は、救いを求めて行くユートピアなんかじゃない。


 この世界がディストピアではなくユートピアなのだと知るための舞台装置なのだろう。


 しばし、足を止めて水槽内を眺める。

 そんな二人たちに近づく影が一つ。


「イイ感じの雰囲気で水族館デート楽しんでるな。でもクラス単位で来てるのに輪から抜けて二人っきりの世界楽しむと、横島のような非モテ組が血涙流すぞ」


 友人の篤だった。

 よほどテンションが上がっているのか肩を組んできていささかむさ苦しい。


 その拘束から逃れつつ、水城は彼に向かって肩を竦めた。


「輪から抜けて二人きりって言うけど、皆ボルテージ上がりすぎて水槽にへばり付いて見てるでしょ。そのせいで楓が魚見えないんだよ、最前線の皆をフライングクロスチョップとかで殲滅してもいいなら小躍りして輪に加わるけど」


「そんな武力行使しなくても、水城が鈴蘭を肩車すればいい話だろう」


「なるほど賢い、さては恋愛偏差値高いな?」


 なるほどじゃないですけど、と楓が異議を唱えたので画期的なアイデアが無に帰した。

 人の布団に潜り込んでくるのに、人前でくっつくのは嫌がるところがなんともいじらしい。


「そういうことなら先に下のフロアでも見て回ったらどうだ? 皆がこの海水魚コーナーに心奪われている内に、他の見所を見て回ったほうが楽しめるだろ?」


 なるほど、と水城が手を打つ。


「じゃあ俺たちは別のところから回らせてもらうか。楓、どこかゆっくり見たいところある?」


「地下一階のクラゲコーナーとか見てみたいかも。数百匹のクラゲがくるくる回遊してるらしい、和みそう」


 水城は入場の際に貰った館内マップを見る。


 地下一階へはすぐ近くのエレベーターで簡単に行けるようだった。


「おっけ。じゃあ篤、悪いが皆にはデートを楽しみたいから別行動取るって伝えといて」


「ああ、一字一句違わず伝えておこう」


 デートちゃうわと楓が文句を言っていたが聞こえないふりをして、水城はエレベーターに乗り込んでいく。


 正直なところ、皆と一緒に回れないのは水城にとって残念なことではある。

 だが初めて来た水族館でほとんど魚が見えない楓が可哀想過ぎるので止むを得なかった。


 エレベーターはクラゲコーナーに直通していた。

 だから扉が開いた瞬間、目に入る光景は蛍光的なルビー色に染められた空間、そしてその灯りを受けて真紅色に染まるクラゲの群れたち。

 薄暗いせいもあってまるでコムローイ祭りのような幻想的風景に染め上がっている。


 柱のような円柱の水槽に入っているのはアマクサクラゲ、壁に埋め込まれた水槽内を漂っているのはミズクラゲ、他にも沢山の種類がそこに集っていた。


「わあ……」


 楓のその感嘆は、きっと意図せず口から出てしまったもの。

 彼女の目が輝いて見えるのはこの照明のせいだろうか、それともこのクラゲたちの楽園のおかげだろうか。


 クラゲたちの舞い踊る世界を、二人はゆっくり進んでいく。

 時折足を止めて、その造形に思いを馳せながら。


「……」


 思えば――こうして楓と二人でデートのようなことをするなんて初めてのことだった。


 二人でいる時間が長いから勘違いされやすいが、水城たちは二人きりでどこかへ遊びに行くなんてしたことがない。

 せいぜいどこかの茶店で茶をしばく程度だ。


 ……理由は、楓の気持ちだった。

 デートを人から見られたら恥ずかしいということではない、補助を必要として、水城に迷惑をかけてしまうその身分を彼女自身が嫌っていたという話だ。


 でも――こうして楽しそうにしている楓を見ていると、それでよかったのかと後悔してしまう。

 ……迷惑なんかじゃない、楓と一緒にいられるだけで幸せなのだと熱弁して――最初は拒むかもしれないが、それでも手を握って連れ出してあげればよかったのかもしれない。


 幼馴染として隣にいたけれど、……彼女のことを分かってあげられなかったのではないか。


 そう思って、水城は目を伏せた。

 昏い足元に視線を向けて、後悔の念ばかりを渦巻かせる。


「……楽しいね、水城」


 そんな言葉は不意のもので。


 彼女は水槽越しに水城の仕草を見ていたのだろう、それはいつになく優しい声だった。


「ああ……楽しいな」


 強がるような口調で水城はそう言った。

 そして再び水槽に目をやり、歯噛みしながら想う。


 ……もし全てが上手くいったら、転生を止めることが出来たなら、今度こそ……彼女とこの世界を生きていこう。

 二人の世界を際限なく広げていこう。


 行ったことのない場所に二人で行って、自分の中の世界を広げていく。


 それがきっと想い出になり、大切なものになり、幸せになっていくはずだから……。


「……?」


 その時、水城と楓に通話申請が入ってくる。

 そして許可も出していないのに通話アプリが自動で起動した。

 ……滅多なことでは使われない緊急用回線だ。


 通話はグループ用になっていた。

 メンバーは三人、一人は水城、一人は楓。


 そしてもう一人は、W・アルビレオ。


『水城君、鈴蘭君! 聞こえるか、聞こえたらすぐに返事をしてくれ!』


 その声は切羽詰まっている。

 走りながら通話をかけたのか息は上がっており、雑音も酷くてよほど耳を凝らさないと声が聞こえそうにない状態だった。


『……聞こえてますよ、何かあったんですか?』


 水城が脳内で言葉を浮かべて返答をする。

 その言葉を言い終わる前に、アルビレオが言葉を被せながら叫ぶようにして言った。


『すぐ逃げろッ、緊急事態が起こった! 我々の存在が国家に漏れていたんだ! ……君たちへの誘いは罠だったんだよ! その水族館は奴らの用意した狩場だ!」


 罠……?と一瞬呆けた水城の胸を楓が叩く。

 そして視線をエレベーターへと向けた。


 足を止めるな、とにかく逃げながら考えろと言いたいのだろう。

 それに気づいた水城は車椅子を押しながらエレベーターへと向かい、開のボタンを押す。


『……それで! 国家側はどんな手段に出たんですか!?』


『奇襲作戦だよ、明星構成員の捕獲だ! 警察、国衛隊を全動員して全国規模の“星狩り”が行われているらしい! 仲間たちも大勢捕まった、僕も今追われている!』


 星狩り。

 ……一見暢気な言葉に聞こえるが、国家を転覆させようとしたテロ組織の一斉駆除行為だ。

 捕まったらどうなるか、想像は難しくなんかない。


『悪いがこちらも早急に救出ができない状態にある! だから頼む、どうにか逃げ延びてくれ! ……それが難しいならどこかに隠れるんだ、必ず助けに行くから!』


 そして、音を立てながらエレベーターが開いた。


 彼らは気づくべきだった。

 ……今二人がここへ降りてくるのに使ったのだから、エレベーターはこの地下一階にあるはず。

 だが開くまで時間を要した、それは即ちエレベーターは一階に上がっていたということ。

 誰かがボタンを押していたのだ。


 クラスメートたちが降りてくる?

 まだ一階を半分も見終わってなかったのに?


「……ッ!」


 扉が開いた瞬間、軍服に身を包んだ者達がなだれ込んでくる。

 その手にはアサルトライフル、腰には警棒、額には暗視ゴーグルが携えられていて、どこからどう見ても一般人には見えない。


 彼らは銃の照準を二人に向ける。

 人の命を奪う為の道具を、いとも容易く子供に向けている行為。

 ……それは明確に、殺人に慣れた連中であることを示していた。

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