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working!  作者: Libra
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十六品目

梅雨明けの快晴、急遽不在となった店長の穴を埋めるため、副店長・絵恋が愛娘の姫を連れて現れる。驚きつつも姫の愛らしさに絆されるスタッフたち。

 とある日の朝。

 陽がすっかり昇り、梅雨明け宣言が出された空には雲一つない快晴が広がっていた。夏本番を感じさせる暑さで、少し歩くだけでも汗ばみそうな陽気だ。

 通勤・通学の波が引く頃、「はいから亭」の早番担当のパート従業員たちが自転車や自家用車で出勤してくる。メンバーは固定されており、よほどのことがなければ変わることはない。

 朝の家事を済ませ、保育園や幼稚園に子供を送った後にゆとりを持って出勤できるため、スタッフのほとんどが主婦層だった。

「店長、おはようございます……えっ?」

 裏口から入り、休憩室に足を踏み入れたパートたちは思わず絶句した。

 そこには客席用のベビーチェアが置かれ、一人の女の子が座っていたのだ。彼女はパートたちに気付くと、愛想のいい笑顔で手を伸ばしてくる。

「私の娘だ。気にするな」

 事務室から絵恋が出てきた。

「あぁ、そうですか……って、ええぇっ!?」

 さらりと流しかけて、全員が二度見した。絵恋に子供がいるなど初耳である。

「店長が急遽本社に呼び出されてしまってね。休みだった私が代わりに出勤したんだ」

 絵恋はいつものウェイトレス制服ではなく、端正な紺色のスーツに身を包んでいた。

「そうですか……で、この子は?」

「普段は託児所か母に預けるんだが、急な出勤でな。託児所は満員、母は町内会の日帰り温泉旅行で不在だった」

「はぁ……」

「店長は用件が済み次第戻るそうだが、夕方になるらしい。子連れ出勤は店長も承諾済みだ。それまで申し訳ないが、娘の面倒を見ながら仕事をさせてもらう」

 パートたちは呆然としていたが、目の前の愛くるしい笑顔を放っておけるはずもなかった。皆で代わる代わるあやすと、女の子は嬉しそうに笑い転げる。

「お〜、よしよし……お名前、なんて言うのかな?」

「ひめ、です」

 たどたどしく答える姫に、パートたちの表情が一気に和らぐ。

「姫ちゃんね。いい子だねぇ。今日はママのお仕事、一緒に見るんだね」

「そーです!」

 元気な返事に、現場の空気はすっかり緩んだ。

「今日は特になにもない、通常通りだ。着替えたら開店準備にかかってくれ」

「了解しました!」

 姫に癒やされたパートたちが、弾んだ声で返事をする。

 ホール担当が駐車場を掃除してのぼりを立て、店内では床にモップをかけてテーブルを拭いて回る。厨房ではスタッフが食材の確認を始める。

 全員が出揃って作業しているはずだったが——。

「ん?」

 絵恋が違和感に気づいた。

「河野は出勤しているか?」

 キッチンを覗き込んで尋ねるが、他のスタッフからは「そういえば」と、今まで存在を忘れ去られていたかのような生返事が返ってくる。

「あいつ、店長が急に本社に行ったなんて知らないからな」

「店長なら、多少の遅刻は見逃してくれるもんね……」

 スタッフたちがヒソヒソと囁き合う。

「遅刻か……いい度胸だ」

 絵恋のこめかみに青筋が浮かぶ。

 その時、休憩室から誰かが姫をあやす声と、楽しげな笑い声が聞こえてきた。

「……誰だ?」

 休憩室へ向かうと、そこにはキッチン制服姿の悠太が姫と戯れていた。

「……河野……ッ!」

 腹の底から絞り出すような低い声。悠太の体がビクッと強張った。

「あれ? 副店長、今日は休みじゃ……」

「貴様、私が休みの日はいつもこうして遅刻しているのか?」

 鋭い眼光に、悠太は蛇に睨まれた蛙のように萎縮する。

「はいはい、副店長! 子供の前で暴力沙汰は教育に悪いですよ〜!」

 パートが咄嗟に割って入ると、悠太は安堵の息を漏らした。そのやり取りを、姫が「おもしろいもの」を見るようにケラケラと笑う。

「河野。後で娘の昼食を用意してくれ。急な出勤で何も準備できていない」

「えっ、食事ですか?」

「代金は店長が払う。これも承諾済みだ」

(……『承諾』じゃなくて、『断る選択肢を与えなかった』の間違いじゃないのか?)

 悠太は内心で毒づいたが、口には出さない。

「わかりました。アレルギーとかはありますか?」

「それは大丈夫だ」

「了解っす」

「あと、今日のことは後で覚えておけよ」

 絵恋の表情が険しさを増す。今は姫の手前手出しはしないが、後でたっぷりと「説教」するという宣言だ。

「いや、だって……店長だとさぁ……」

 悠太は苦虫を噛み潰したような顔でキッチンへ消えた。それを見送るスタッフたちから笑いが漏れる。

「姫ちゃんに感謝しなよ。姫ちゃんの前じゃ、副店長も得意の蹴りをお見舞いできないんだから」

「その蹴りは『後日のツケ』に回っただけですけどね」

 悠太はやれやれと仕込みに取りかかる。

「ま、店長も公認なら、子供用のスペシャル賄いでも考えるか。……ところで、あの子、誰なんです?」

 ふと、悠太が隣のスタッフに尋ねた。

「副店長の娘さんだよ」

「……ええぇっ!?」

 作業していた悠太の手が止まる。

「そりゃ驚くよね。私たちもさっき聞いたばかりなんだから」

 キッチンが笑いに包まれる中、悠太は逆に顔を青くした。

「俺……何も考えずに姫ちゃんのご飯、引き受けちゃった……」

 もし姫の口に合わなかったら、その後の副店長の反応はどうなるか——。想像したスタッフたちの間に「あ〜あ……」という同情の空気が流れ、それからしばらく、キッチンは無言のまま開店準備が進められた。

夕方。

「皆さん、お疲れ様です」

 本社での用を終えた悠馬が店に戻ってきた。

 シフト前の時間を持て余していた夜番のバイトたちが姫を囲み、休憩室は和やかな空気に包まれている。

「おぉ、帰ってきたか」

 絵恋が事務室から顔を出した。

「佐伯さん、急な出勤ありがとうございました」

 悠馬が謝りながら土産の小袋を差し出す。それを受け取った絵恋は、代わりに一枚の伝票を突き出した。

「姫の昼食代だ」

 伝票に目を落とした悠馬の動きが止まる。

「お子様ランチ……にしては、少し高くないですか?」

 内容には、特製のお子様ランチに加え、豪華なデザートが並んでいた。

「急な呼び出しで預け先もなく、スタッフ総出で面倒を見ながらの営業だったんだ。手間賃だと思え。今もバイトたちに子守をさせているぞ」

 絵恋は至極当然という顔で答える。

「あと、上総が夕方に来た。お前にこれを渡してほしいそうだ」

 絵恋から封筒を受け取り、中身を確認した悠馬がふっと微笑む。

「……答えを出したようですね」

「何だ、それは?」

「こちらの話です。あ、これ、東京駅で買った銘菓です。皆さんでどうぞ」

 追求をかわすように、悠馬は「鳩サブレ」の大きな缶を机に置いた。

「ごちそうさまです!」

 休憩室にいたバイトたちが一斉に手を伸ばす。

「そういえば春歌さんに桜花さん、追試はどうでしたか?」

 悠馬が双子の姉妹に声をかけた。

「バッチリでした!」と、春歌。

「先生もビックリの点数取れました!」と、桜花。

「また期末試験が不安なら言ってください。いつでも教えますよ」

 悠馬がニコニコと笑うと、それを聞いていた渚が食いついた。

「え、ちょっ、何それウケるんですけど! 店長が勉強教えてんの?」

「中間で赤点取って追試になった時、店長に見てもらったんです。大卒だそうですよ」

「マジ!? 店長、全然大卒っぽくないのにヤバくね? ギャップありすぎっしょ!」

「上総先輩から聞いた時は、私も信じられなかったですよ」

「マジか〜。じゃあ、ウチも今度テスト前になったらおなしゃーす!」

 賑やかなやり取りを背に、悠馬は苦笑しながら事務室へ引っ込んだ。

「家庭教師にでも転職するつもりか?」

 後を追ってきた絵恋が、皮肉めいた口調で尋ねる。

「まさか」

 悠馬は笑いながら鞄から書類を取り出した。

「ボランティアですよ。『バイトのせいで成績が落ちた』なんて言われるのは寝覚めが悪いですから」

「そうだな。次は私にも声をかけろ。手伝ってやる」

「心強いですね。そうします」

 絵恋の意外な提案に、悠馬の表情が緩む。

「ところで、なぜあの二人の面倒を見たんだ?」

「それはですね……」

 悠馬は、和影から相談を受けた経緯をかいつまんで話した。

「なるほどな……それで勉強を見たというわけか」

 絵恋は机に置かれた和影からの封筒に目をやった。中には、大学入試の過去問題集——通称「赤本」が二冊入っていた。

「なるほど……これが答えか。赤本を二冊。完全に、お前を頼るつもりだな。上総には、お前の『正体』をすべて話したのか?」

「いえ、そこまでは」

 悠馬は軽く肩をすくめた。

「ですが、上総君も進路への覚悟を決めたようです。私たちは、応援してあげましょう」

 悠馬の言葉に、絵恋も静かに頷いた。

「あ、店長、時間なんでホール行きますね」

 事務室の扉が開き、翠が声をかけてきた。

「わかりました。佐伯さん、今日は本当にありがとうございました」

 悠馬が改めて礼を言うと、絵恋は無言でスッと手を出した。

「……今日はツケにしてやる」

 悠馬の呆れたような、それでいて楽しげな笑い声が事務室に響く。

「じゃあ、私は上がるぞ」

「はい、お疲れ様でした」

 絵恋が休憩室へ戻ると、パートたちに囲まれていた姫に声をかけた。

「姫、帰るぞ。スーパーに寄って買い物だ」

 その声に反応し、姫はたどたどしい足取りで駆け寄ると、絵恋の足にぎゅっとしがみついた。

「お子様ランチ、ごちそうさまでした!」

 最後にお行儀よくお辞儀をする小さな姿に、休憩室の空気は最後まで温かく、和やかなままだった。


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