十一品目
ゴールデンウィークを控え、人手不足に悩む「はいから亭」。店長の悠馬は、不在を責める副店長の絵恋や従業員をケーキで懐柔する。しかし、新人の月見里春歌に対し、悠馬は不敵な笑みでその正体を示唆する問いを投げた。
ゴールデンウィークを目前にした「はいから亭」。
本来なら賄いを食べ、体を休め、和気藹々とした会話が弾んでいるはずの休憩室の空気が鉛のように重苦しいのは、「高校生連中は全員出れるか……」と、ランチタイム開始から終了まで終始般若の表情だった絵恋が、コーヒーカップを片手に壁の休み希望を凝視していたからだ。
「それでも今年もゴールデンウィークは人が足りないな……」
壁にマグネットで貼り出された用紙には、最も人手が欲しい期間に、主婦パートの家族旅行、大学生バイトのサークル合宿や帰省といった休み希望のマークが満開となっていた。
「ま、店長に任せるか」
絵恋が短く呟いて事務室に入っていくと、誰からともなく「ふぅ……」とため息が漏れ、沈みきっていた空気が一瞬で軽くなる。
「あ、皆さんお疲れ様です」
まるで空気を読まないタイミングで、封筒を抱えた悠馬が休憩室に入ってきた。
「あ、佐藤さん、タバコは外で吸ってくださいね」
ニコニコしながら電子タバコを手にしていたパートに注意する。パートがバツが悪そうに立ち上がると、悠馬は壁の休み希望に目を留めた。
「……うーん。今年もお休み希望が多いですねぇ。まあ、何とかしましょう」
独り言を呟きながら事務室の扉を開けようとして、ふと振り向くと、休憩中のパート全員が期待に満ちた眼差しで悠馬を注視していた。
「もしかして……この中に佐伯さんがいますか?」
悠馬が少し間が悪いような顔を浮かべる。
「副店長、激怒していましたよ」
パートの一人が意地悪そうな笑みで教えた。
「私たちだってちょっと……ですよ。急に来られなくなった人の代わりにランチタイムに入ってくれるって言っていたのに、直前にそそくさと出て行っちゃったんですから」
「ごめんなさい。ちょっと外せない用事がありまして」
目を細めながら申し訳なさそうに頭を下げる悠馬。その時、事務室の扉が開き、絵恋が冷たい視線を悠馬に向けた。
「『ごめんなさい』だけで済ませる気か? 今日はいつになく忙しかったんだよ。あんたがいなくなるから」
悠馬はさらに表情を固くした。パートたちの視線が突き刺さる。「お詫びの一品」を期待する空気感に、悠馬は形勢不利と見て苦笑いする。
「皆さん、本日はケーキを各自一品ずつどうぞ」
その瞬間、パートたちの表情がパッと明るくなった。
「あんたが払えよ」
絵恋が手を出すと、悠馬は財布から一万円札を取り出した。
「店長のおごりだ、何でもいいぞ。今からケーキのオーダーに行ってきな。すでに休憩が終わった人には順番で回すから安心しろ、と言っておけ」
絵恋の一言にパートたちは一斉に晴れやかな顔になり、「ご馳走様です!」とケーキを選びに休憩室を出ていった。
二人きりになった休憩室に、鈍い音が響いた。絵恋の肘鉄が悠馬の脇腹に炸裂したのだ。
「ここ最近、電話でよく呼び出されているな。誰だ?」
絵恋の問いに、悠馬の表情がスッと変わった。
「その件は、今はお話しできません」
常に絶やさなかった笑みが消え、途端に目つきが鋭くなる。一瞬だけ、冷徹な気配を覗かせた。
「しかし、いずれは必ずお話しします」
「……じゃ、お前が話すまで待ってるわ」
絵恋は軽く背伸びをしながら、青い瞳を悠馬に向けた。
「そのツラ、他の奴の前では絶対にするなよ。私も嫌いだ」
「分かっていますよ。絵恋さん、今日も綺麗ですね」
途端に絵恋は、カッと血が昇るのを感じた。
再び鈍い音が響く。ケーキを取りに行った従業員たちが目にしたのは……耳まで真っ赤にして憤慨する絵恋と、脛を押さえてしゃがみ込む悠馬の姿だった。
「おはようございます」
和影が休憩室に入ってきた。制服は着ているものの、ネクタイは緩み、ブレザーからシャツの裾がはみ出している。
「なんでみんなケーキを?」
「ああ、急な欠員を埋めるはずだった誰かさんが、ランチタイム前にいなくなってしまったからな」
絵恋が説明すると、和影は全てを察したような顔になった。
「上総君、今日は早いシフトでしたか?」
悠馬が脛をさすりながら立ち上がり、シフト表を確認する。
「あ、テストが近いので、調整したくて」
「なら今日中に書き込んでおけ」
絵恋の言葉に和影が頷く。悠馬が「上総君、余裕があるなら……」と言いかける前に、和影は鞄を机に放り投げた。
「ご馳走様です。何人分ですか?」
「九人分です」
悠馬の答えを聞き、和影は休憩室を出た。ケーキが保管されている冷蔵庫の前で、和影の手が止まる。
(ちょっと待て……九人分?)
夜のシフトは、和影、渚、翠、伊吹、充、悠太、林太郎のいつもの七人に、新人の春歌を加えて八人のはずだ。一人分多い。
(副店長の分か? だったら自分で選べばいいのに)
一人で納得し、大皿にケーキを並べていった。
夜の部のトップバッター、伊吹がやってきた。
「何、このケーキ!」
「店長のおごりだって。就業前に食べていいってさ」
和影はテキストから目を離さずに答える。
「マジ? 嬉しいっ!」
伊吹が更衣室に飛び込むのと入れ替わりに、悠馬が事務室から顔を出した。
「月見里さんが来たら、少し待たせておいてください。ケーキもまだ食べさせないでね」
「了解っス……って、え?」
反射的に返事をしてから和影が顔を上げたが、すでに悠馬の姿はなかった。
「おはようございます! あ、上総先輩、おはようございます!」
春歌が休憩室に入ってきた。
「ケーキじゃないですか! どうしたんですかこれ?」
「色々あって、店長のおごり」
「マジですか? 店長、気前がいいですね!」
「あ、けど食べる前に店長に声かけて。話があるってさ」
「そんなぁ」
春歌が口を尖らせると、タイミングよく悠馬が顔を出した。
「月見里さん、お話があります。着替え終わったら事務室に来てください」
「……分かりました」
悠馬の相変わらずの笑顔に、春歌はしょんぼりと更衣室へ向かった。
「店長、お話って何ですか?」
着替えを終えた春歌が事務室に入ると、悠馬は電話中だった。手で椅子に座るよう促される。
「ええ……没にする気はありませんよ。もう少し煮詰めてください。期待しています。ではまた」
電話を切った悠馬が向き直ると、春歌はガチガチに固まっていた。
「まあ、そう固くならなくていいですよ」
悠馬は書類を机に置き、軽く笑った。
「もうすぐ一ヶ月ですね。仕事は慣れましたか?」
「あ、はい。皆さんに教えていただいて、何とか」
「そうですか。上総君たちベテランに、分からないことは何でも聞いてくださいね」
「はい、そうさせていただきます!」
春歌が元気よく答えると、悠馬は満足げに時計を見た。
「呼び止めてすみません。就業前にケーキ、食べてくださいね」
「はい! ご馳走様です!」
明るい顔で立ち上がり、一礼する春歌。
「ところで……」
春歌が退出しようとした時、悠馬の声が響いた。
「今日は、どちらの『月見里さん』が出勤していますか?」
春歌の背筋に悪寒が走った。振り返ると、悠馬は変わらぬ笑みを浮かべている。だがその奥に、計り知れない何かが隠されているのを感じた。
「な……何のことですか?」
「何でもありません。上総君が色々なケーキを取ってきましたから、好きなものを選んでください」
「は、はい! ご馳走様です!」
春歌は逃げるように事務室を飛び出した。
残された悠馬は眼鏡のブリッジを押し上げ、薄く笑う。
「上総先輩! ショートケーキありますかー?」
扉越しに聞こえる春歌の声を聞きながら、悠馬は小さく吐息をついた。
「ま……ミスキャストはいませんよ」




