9 眼鏡橋
エラムはルーデシアの手を引いて走る。少しでも早く、娼館から離れたかった。
「あっ」
ルーデシアの身体が揺れた。石畳に足を引っかけ、前のめりに倒れこむ。咄嗟にエラムは振り返り、抱きとめようと腕を広げる。その中へ、ルーデシアは飛び込んだ。
「大丈夫か?」
「ええ、ごめんなさい」
「いや、俺が無理に引っ張ったから。ここからは歩こう」
「いえ、大丈夫よ」
なおも走ろうとするルーデシア。だがエラムはそれを止めた。
「ここまでくればもう大丈夫。それに、あいつらは君の記憶を失くしているんだから」
「記憶って、そんなに簡単になくせるものなの?」
「そんなことは無いけど、何重にも保険をかけているし」
そこでさっきのエラムの言葉を思い出した。
「私を思い出すと、ラバイヨさんの、でしたっけ?」
「ああ」
エラムに手を取られて歩きながら、ルーデシアは自分よりも頭一つ分高いエラムをちらちらとみる。暗いのと、髪で顔が隠れているのとで表情は見えないが、焦っている様子が手から感じられる。そう言えば歩いている今も手をつないだままだ。エラムは気づいていないのだろうか。
「エラム」
「ん?」
エラムが振り返る。そしてようやく自分が手を繋いでいる事に気が付いた。
「あ、悪い」
そう言って手を離す。
「いえ、そうじゃないわ」
ルーデシアは手を振って違う違うとジェスチャーをした。
「さっきから何か考え事をしているみたいだったから」
「あー」
エラムは頭をかきながら思い出すように話す。
「ベローズ、とかいうやつだっけ、あいつの事を考えてた。はぐれ魔術師ってのは所詮、娼館やラバイヨみたいなやつの手先になるしかないのかな、って」
ルーデシアはエラムと対峙したやせぎすの男を思い出していた。
「あいつはそんな悪い奴じゃない。雷を呼び出したとき、ルーの周りに遮断魔法をかけてた」
あの場ではルーデシアは店主にとって大事な商品だった。だがそれを考慮しても、ベローズの行動は迷いが無かった。
「そうだったの? 全然気が付かなかった。それにしてもエラムって、戦いながら相手の事をそこまで見ているのね」
「そりゃ、戦っているからさ。弱い所を先に見つけた方が有利だからな」
「慣れているのね」
エラムは身体の正面をルーデシアに向ける。真っすぐに見つめるエラムの瞳。
まただ。
こういう時のエラムは大人びて見える。
「怖かったか?」
ルーデシアは黙って首を振る。
道はいつしか川にかかる眼鏡橋に来ていた。
「綺麗」
川に映る街灯や店の灯りに、ルーデシアは思わず欄干へ近づく。
エラムもその隣に立つと、ルーデシアはあらためてその御者姿を眺めた。
スラリとした長身に映えるロングブーツ。ケープ付きマントが風に揺れると、そのシルエットだけでどこかの令息が立っているようだった。
「何?」
ルーデシアの視線に気づいたエラム。
「いえ、ちょっと、その服装のエラムが素敵だなと思ったから」
「俺が?」
「ええ、似合ってるわ」
「じゃあ俺、転職するよ」
「本気ですか」
「勿論、そしたらルーの所で雇って貰う」
「うちには既に専属がいます」
「ならそいつを」
「魔法はやめてね」
先を越されてしまう。
「でも、エラムには、他にももっと合う仕事があるように思う」
ルーデシアなりに考えて言ってくれているのはわかる。だが他に何ができるんだ、とも思う。
「毎日生きるのに精一杯で、合う合わないなんて、考えた事も無かったな」
気づいたら人よりも魔術が長けていた。だがギルドには入れない。だから人がやらない事をやった。それが解呪魔術師だ。
「私は逆だわ」
ルーデシアは寂しそうに言う。
「できることが何も無くて、誰からも求められなくて・・・そうか、だからなのかも」
一旦言葉を止めて川面に移る街の明かりに目を落とした。
「マーサに泣きつかれた時、私、嬉しかったんだわ。誰かにあんなに求められたことは無かったから。私でも役に立てるって思えて。だからあんな馬鹿なことを」
「あるじゃないか。ルーにしかできない事なんてたくさん」
エラムは考えながら続ける。
「花を育てるのが上手だ。うまいレモネードが作れる。誰よりも笑顔が素敵だ」
我ながら子供じみたことを並べ立てていると思った。ルーデシアも面白そうに笑っている。何も伝わらないようでエラムは悔しかった。
「俺の心配をしてくれる。俺を信じてくれる。だから俺は」
頭の中ではここでやめておけと言っている。だが同時に、今言わなければ、ルーデシアに自分を見てもらえる時は二度とない、という思いもあった。夜が明ければ二人はいつも通り、貴族と平民に住む場所が別れてしまう。
「俺は、そんなルーが好きだ」
愉快そうに見ていたルーデシアの顔が驚いた表情に変わる。言わんこっちゃない、とエラムは自分で自分を罵っていた。もうこうなるとやけくそだった。
「ルーをずっと好きでいたいんだ。俺を好きになってもらおうなんて思ってない。いや、思ってるけど。でも、ずっとこれからも、ルーを好きでいたいんだ」
「エラム」
まるでガキの告白だな、と我ながら気恥ずかしくなる。
「ありがとう。エラム」
ルーデシアは俯いて近づくと、そっと額をエラムの胸にあてた。ここでキスでもすればエラムは喜ぶだろうが、これが今できる精一杯の感情表現だった。
『感情表現? どんな? 私、エラムをどう思っているの?』
エラムから大金を奪っておいて、守ってもらって、その上、告白までされて。これで何も応えなかったらあまりにも非情すぎる。そう思っているのは事実だ。けれど、今、誰よりもルーデシアの心を満たしているのは、エラムの告白なのも真実だった。
ルーデシアは混乱する自分をエラムに託した。
『これは、これは、何なんだ』
予想外のルーデシアの行動に、何をどう解釈したらよいのかさっぱりわからない。
『背中に腕を回していいのか? いや、疲れたという意思表示かもしれない』
どっちともとれる場合、あたりさわりのないようにするには・・・。
エラムはルーデシアの頭に手を置き、撫でた。一回、二回、三回目のナデナデをしようとした時、ルーデシアは顔を上げて無表情で「行きましょうか」と言って歩き出した。
どうやら不正解だったようだ。
◇-◇-◇
馬車専用の車止めで馬番をしていたヨハンは、エラムたちを見つけると背伸びをするように手を振った。
気が付いたエラムはルーデシアに何か言うと先に走って来る。
「待たせて悪かったな」
「いいって。それよりどうだった。彼女無事だったか」
「ああ、俺がついてんだから当然だ」
ヨハンはエラムの顔を見て一瞬黙る。
「カッコいい事言っといて、どうしてそんなに目が泳いでんだよ。何があったんだよ」
「何もねえよ」
「ほんとか? どさくさに紛れて告白してんじゃないかと心配してたんだけどな」
ヨハンの言葉にエラムはギクリと動きを止める。
「図星かよ・・・で? またフラれたのか」
「またって何だよ。まだフラれてねぇよ。多分」
やれやれ、とヨハンは首をふる。懲りないというか、ポジティブというか。だがヨハンは親友の恋を応援したいとも思った。
読んでいただきありがとうございます。週末ちょっと頑張ってもう少し二人の仲を進展させたいと思っていますが、エラム次第という気がします。




