8 はぐれ魔術師
おっちょこちょいで、甘え上手で、笑顔の可愛かったマーサ。そのマーサはもう、どこにもいなかった。
「ご苦労さん」
店主は銀貨を投げた。
「ちょっと、投げないでよ!」
いきなりマーサは憤慨する。
「私は物乞いじゃないのよ。拾いなさい」
その剣幕に、店主は「ああ」とだけ言って銀貨を拾い集めると、マーサの手に渡した。
「これでいいか」
マーサは受け取るとすぐに数えた。
「足りないじゃない、なんで銅貨が混ざってんのよ」
「御者を手配したのは俺だ」
今度はマーサの方が黙った。ここでゴネたらさすがにまずいと思ったのだろう。マーサはルーデシアに向き直ると丁寧に挨拶をした。
「それではお嬢様、ごきげんよう」
「待ってマーサ。理由を聞かせて」
「・・・理由?」
背中を向け、出て行こうとするマーサがピタリと止まる。
「あんたが」
今までに聞いたことのない低い声。本当にマーサの声なのか。
「あんたが、あの人の娘だからよ」
唸るように言い捨てるとマーサは走って出て行った。
「マーサ」
ルーデシアは呼ぶが、その肩を店主のガッシリとした手がつかむ。
「おい、支度させろ」
その声に反応するように、さっき背後から押した女がルーデシアの手を引っ張りエントランスの中央階段へ向かう。
「服は売れるから丁寧に脱がせろよ」
「次はあたしが貰っていいって言ったじゃないか」
「うるせえ、お前なんかが着たって似合わねえよ」
「この子だって、裸になりゃおんなじさ」
――爆――!
声と同時に正面玄関の扉が壊れる勢いで開く。黒服にロングブーツ、ケープ付きコートを着た御者姿のエラムが立っていた。
「誰だてめえ」
「お前の雇った御者の代理だ」
そういうとエラムは手のひらを店主に向ける。
「陣風」
すると鋭い風がルーデシアの前を通り過ぎる。髪が巻き上がるが、店の主人に向かって行く風はさらに鋭いものとなっている。
「うあうっ」
店主の顎が弾かれたように上を向き、次いで身体ごと後ろへ弾き跳んだ。飾り戸棚に背中を打ち付け、床に倒れる。
「ひいぃ」
女はルーデシアを放し、一目散に階段を駆け上がって消えた。
「くそ、おおおい」
店主が大声で人を呼ぶ。すると、どこにいたのか、わらわらと大男たちが集まってくる。店の用心棒だろう。
「はぐれ魔術師だ」
ギルドにも所属できない『はぐれ魔術師』。その理由は様々あるように、能力もピンからキリまである。
多くは、占いだったり、まじないに毛の生えたようなものだが、中にはギルドの制約から外れた、底のしれない魔術師もいる。店主は後者を意味してそう呼んだ。
「魔術師だろうと所詮、ひょろガキじゃねえか」
男の一人が椅子を掴んでエラムに向けて投げる。だがそれはエラムに届く前に粉々になった。
「唱えないのか?」
別の男が信じられないという顔でつぶやく。
「ベローズ」
店主が怒鳴る。
「はいよ」
髪を束ねた痩せぎすの男が一団の中から進み出る。エラムは瞬間、はぐれ魔術師だとわかった。
ベローズと呼ばれた男は小声で何かを唱え始める。
「キエニスタ、ベルゼ、グラウ・・・」
時間を稼ぐように他の用心棒たちがエラムに飛びかかる。
一人を避けるが別の男に腕を掴まれる。
「氷結」
途端に掴んだ男の手が凍り始める。
「うっ」
動けなくなった男をエラムは蹴り飛ばした。
「腕が、腕が」
男は自分の腕を見て錯乱する。
それを見た用心棒たちはエラムから距離をとる。
「ドゥサーム、ルムラータ」
ベローズの詠唱が終わった。それを合図に、広いエントランスにエラムを残し、皆一斉に物陰に隠れる。 天井一面に雲が立ち込めると一気に土砂降りの雨が降る。
「雨・・・」
エラムは慌てて周りを見渡す。
「ルー!」
エントランスの階段にいるルーデシアを見つけると、彼女に保護魔法をかけて宙に浮かせる。
「サンドラ」
ベローズの声と同時に雷が轟く。雨を伝い稲妻がスパークする。
同時にエラムから竜巻が沸き起こる。吹き飛ばされる雨粒を伝って隠れていた店主たちに電撃が襲来する。
悲鳴がそこかしこから上がる。
風魔法で飛び上がっていたエラムは床に降りると、ルーデシアの防御魔法を解いて落ちてきたところを受け止める。
ベローズは次の攻撃もできず、床に膝をついた。あれは彼が持つ、渾身の攻撃魔法だったのだろう。次の攻撃も出来ず、エラムを睨みつけるだけだった。
「ぐふっ」
比較的被害の軽かった店主が意識を取り戻しかけている。
「逃げた方が良くないか? どっちにしてもあんたに未来はないぜ」
店を滅茶苦茶にし、雇い主まで傷つけたのだからタダではすむまい。ベローズはよろよろと立ち上がるとそのまま外へ出て行った。
「何だねこれは。何かの余興か?」
緊迫した状況を理解もせずに、入ってくる客がいた。ラバイヨだった。
ラバイヨはエラムの腕の中のルーデシアを見るなり歓喜した。
「おお、麗しの聖女よ」
自分が以前表現したのと同じことを言うラバイヨに、エラムは内心、イラっとした。
「さあ、行こうか」
そう言いながらルーデシアの手を取ろうとするのを、エラムが止める。それまでルーデシア以外は眼に入らなかったラバイヨは初めてエラムの存在に気づき、じろりと睨む。
「何だね、貴様は」
エラムは無言でラバイヨの禿げ頭をむんずと掴むとギリギリと力を入れる。
「い、痛っ、やめないか」
だがエラムはやめない。そして珍しくゆっくりと詠唱しだす。
「マルモカサ、ラーストラ・・・えっとぉ? ザセクト、ウィルベ」
「痛いっ、やめろ、後悔するぞ」
「ダーリング、ゼーセス」
「誰か、コイツを止めろ」
「ドルドレバーン」
エラムは手を離すと同時にラバイヨを突き飛ばす。コロコロと転がるラバイヨは、手をついてそこで思考停止する。
「あれっ、ここはどこだ? 私は何でこんな所にいる」
それを確かめるとエラムは満足したようにルーデシアの手を取って、堂々と正面から歩いて出ていく。
エラムたちよりも先に、店主が這いずりながら逃げようとしている。エラムはその首根っこを掴んで顔を向けさせた。
「助けてくれ」
店主は頭を抱えるようにうずくまる。
ルーデシアがエラムの袖を引く。これ以上、人を傷つけて欲しくなかった。
わかっていると言うようにエラムは頷くと、どすの効いた顔を店主に向けた。
「二度と彼女に近寄るな」
「わ、わかった、約束する」
「そんな口約束誰が信じるか」
エラムは懐から一枚の紙とペンを取り出す。紙には細かい字で何かがびっしりと書いてある。
「サインしろ」
言われるままに店主はサインをしてエラムに返す。エラムは受け取ると紙に向かって何かつぶやく。途端に燃え上がり、灰となって消えた。
「あれ?」
素っ頓狂な声を上げて店主が立ち上がる。
「なんだこれ、どうしたんだ」
途方に暮れる店主を残してエラムはルーデシアを連れて歩きだす。
「行こう」
「あの人たちは?」
「俺達に関する記憶を消した。店主に関しては、二度とルーデシアに近づけないよう契約魔法をかけた」
「そんな事を」
「他にも、ルーデシアの名前を言おうとすると、自分の恥ずかしい秘密を話してしまうとか、ルーデシアの顔を思い出そうとすると、ラバイヨの裸を想像してしまうとか」
「エラム・・・」
「一年くらいは持つと思う」
「気の毒に」
すっかり暗くなった街並みを二人は歩く。
俺の願いを聞いてくれるか――
あの日、牧草を吹き抜ける風だけが二人を包む中で、エラムは言った。
「俺を信じてほしい」
そう言ってエラムは今回の計画を話した。
マーサはきっとまたルーデシアを連れ出そうとする。その時にはマーサの言う通りに行動して欲しい。とエラムは言った。
「絶対に守るから。だから俺を信じて」
願いを聞き入れたルーデシアは、マーサが話し始めた嘘に、やはりエラムが正しかったのだとわかった。
裏切られたとはいえ、彼女を信じたのは自分なのだから、と、ルーデシアはマーサを恨む気になれなかった。むしろ、どうして見抜けなかったのか。一年も彼女と一緒にいて、何故何もわからなかったのか。
そんなルーデシアに、エラムは何か声をかけようとは思うが言葉が出ない。
「マーサはどこへ行ったのかしら」
エラムは空を見上げると、首だけを一方向に向けた。
「追跡術を施したから、居所はわかる。けど、急いで会いに行くこともないだろ」
御者に扮してマーサの手を取った時、エラムは短く呪文を唱えてマーキングをした。
「そんなことまでできるのね」
「前に恋人にかけたことがあって、これが原因でフラれた」
「ぷっ」
ルーデシアが吹き出すようにして笑う。
「エラムは才能の使い方を間違えてる」
やっと見せる彼女の笑顔に、エラムは胸をなで下ろした。




