7 ジャンクロフ家
ジャンクロフ邸は比較的城下からも近く、エラムの下宿から歩いて1時間もかからない。それでも常に馬車を使う貴族のルーデシアにはきつかったかもしれない。
誰にも聞かれずに話すには牧草を通るこの道が一番適していると思い、辻馬車を使わずに歩いてきたが、 徐々に遅くなるルーデシアに、エラムは自分の配慮の足りなさを悔やんだ。
「少し休もう」
そう言ってエラムは、道の脇に作られたウサギ除けの石壁にルーデシアを座らせる。
「そう言えば、まだリンゴが残っていたわね」
ルーデシアはエラムが持ってくれていたバスケットを引き寄せて、花に隠れた中からリンゴを取り出した。一つはすでにエラムが食べてしまったので、ルーデシアの分が残っていた。
「ナイフを持ってくれば良かった」
半分にできない事に気が付いて困っていると、エラムが「貸して」と言ってリンゴを受け取り、力を加減しながらそれを二つに割った。
「凄い。リンゴを、ナイフも魔法も使わずに二つに割るなんて。こんな細い手なのに」
半分になったリンゴを受け取りながらルーデシアはエラムの手をこねくり回すように見る。
「ル、ルー、恥ずかしいよ」
「あ、ごめんなさい」
すぐに手を引っ込めるルーデシア。
エラムはさっきまでルーデシアが触りまくっていた自分の手を見て、自分の手に嫉妬した。
遠くで牧草地を吹き抜ける風の音がする。
「良い天気、リンゴ半分だけど、ピクニックみたいね」
『そうか、これがピクニックデートなのか』
エラムが感動していると、何も知らないルーデシアは「どうしたの?」と訊ねる。
「い、いや、ちょっと、想いを馳せていた」
ピクニックデートに。
「エラムはどんな魔法が使えるの?」
ふいにルーデシアが聞く。
「あ、俺は」
「庭師と言われているのだから、植物に関する魔法なのかしら」
「そうじゃない」
思っても見なかった答えにルーデシアはエラムを見た。
「俺は、解呪魔術師なんだ」
「解呪、っていうことは」
「呪いを解く魔術」
ルーデシアは驚いて目を見開く。エラムは『目って、こんなに大きくなるのか』と感心していた。
「じゃあ、うちに呪いがかけられてるって事?」
「ああ、そうだ」
「でも、そんな気配は全然」
「その話をしようと思ってた」
エラムはジャンクロフ邸に行った時に感じた違和感を話した。
「呪いはちゃんと発動していた。でもその効果が打ち消されている。その理由があの温室なんだ。あれは、誰が管理しているんだ?」
「あれは私。温室は他の誰にも管理させていない」
「そうなのか?」
ルーデシアは力強く頷く。彼女にとって唯一誇れるのがあの温室を管理している事なのだろう。
「なら、あの家が守られているのは、君のおかげだろうな」
「どういうこと?」
「あの温室から、清浄な気が流れているんだ。それが呪詛の効力を抑えている」
「そんな特殊な花を育てている覚えはないけど」
「花じゃない。君が育てる事で、そういう花に変わるんだ」
ルーデシアは食べかけのリンゴを持つ自分の手を見た。
「私、花を育てるのは得意だと思っていたけど、ただ、それだけだと思っていたわ」
「おそらくそれが君の持つ魔力なんだろう」
「私にも、魔力はあったのね」
ルーデシアはかみしめるように言った。よほど嬉しかったのだろう。だが、すぐに気持ちを切り替えてエラムを見る。
「解呪魔法はとても難しいと聞いたことがあるけど。エラムはそれができるの?」
「ああ」
「すごいわ。それだけの才能があれば、王立魔法士にだってなれるのに」
「あれこそ、爵位が無いと駄目だろ。平民の俺じゃギルドにだって入れない」
「そういうものなの?」
ルーデシアはがっかりした顔をする。
「やっぱり私って世間知らずなのね」
「魔術界隈の事なんて普通興味ないだろ。それより」
エラムは話を戻す。
「呪詛魔法や呪物はどれ一つ共通したものが無かった。つまり、全部、別人からの呪いってことだ。そんなに大勢に何故ジャンクロフ伯爵は呪われているんだ?」
「お父様が?」
「ああ、社交界での噂話とか聞いたことないか?」
ルーデシアは恥ずかしそうに首を振る。
「私、社交界に一度も行った事が無いの」
「え? 嘘だろ? 君、いくつ?」
言ってから『しまった』と後悔した。
だがルーデシアは苦笑いしながら「今年で19よ」と言った。
19歳であればとっくに社交界のデビュタントを果たしていている。
「俺の一つ上か」
エラムはがっかりした。ルーデシアが年上という事よりも、自分が年下という事実に。これでは男の子という言い方をされても仕方がない。
「立派なレディだな」
考えてみれば最初からこの家は少し変わっている。庭師のサラスの話では、ルーデシアにはまだ婚約者がいないという。聞いた時は単純に歓喜していたが、デビュタントがまだなら、下手したらルーデシアの存在すら知られていないのかもしれない。ジャンクロフ伯爵はそれでいいのだろうか。
「父は多分、私を手放すつもりはないと思うの」
エラムの疑問を察したルーデシアが先に答えた。
「父は蘭の収集家で、それを育てられるのは私だけだから」
「まさか、それだけのために」
「そういう人なのよ。私もそれでいいと思っていたから。だって、魔力の無い貴族なんて誰も欲しがらないでしょ」
ここにいる――
のどまで出かけた言葉をエラムは飲み込んだ。いくら魔力が無い、貰い手が無いと言ってもルーデシアは貴族、そしてエラムは平民だ。
話は終わった。とばかりにルーデシアは立ち上がる。エラムもバスケットを持って後に続いた。
「それより、エラム」
ルーデシアは少し神妙な声になった。
「私、あなたを傷つける事ばかりしてしまって、本当にごめんなさい。ずっと、どうしたらお返しが出来るのか考えているのだけど、とても大きすぎて、思いつかなくて」
「だったら。俺の願いを聞いてくれるか」
エラムはルーデシアを見て言った。
◇-◇-◇
「こうしてまたお嬢様とお出かけできるなんて、マーサは嬉しいです」
「私もよ」
ルーデシアは短く笑う。
「伯爵様は今夜は王都にお泊りになられるそうですね」
確認するようにマーサは言った。つまり、夜遅く帰っても構わないだろうという意味だ。
始まりは、マーサの父親がお礼を言いたいのだとマーサが伝えてきた事からだ。
「命の恩人に、直接お礼を言いたいって聞かないんです。でもこちらに父を来させるのは、屋敷の者達にお店の事がわかってしまいますから、街で場所を指定して待たせているんです。会いさえすればもう押しかけてくることもありませんから」
マーサがそう言い出す。断れない状況に、なんだか脅迫しているようにも聞こえた。
夕暮れが迫る中、フードの深い外套を選び、ルーデシアは屋敷を出た。車寄せには既に馬車が待っていて、いつもと違う御者が出迎えた。
「さ、お嬢様」
マーサはルーデシアの手を取り車に乗せると、自分も御者の手を借りて乗り込んだ。
「リエットさんに見つからなくてラッキーでしたね。あの人いちいちうるさいんですもの」
馬車は牧草地を夕陽を追いかけるように走っていく。
◇-◇-◇
「ここは・・・?」
馬車を降り、マーサの案内で行った先は、見覚えのある店の裏手だった。
建物の上に掲げられた看板には裏にも同じ文字が書かれている。
『エンジェル・トランペット』
「ここにお父様がいらっしゃるというの? マーサ」
そう言って立ち止まるルーデシアの背中を、誰かが突き飛ばすように押した。それに合わせてマーサが裏戸を開き、そのままの勢いでルーデシアは館に転がり込むように倒れた。
「おいおい、ちょっと乱暴すぎやしないか? 傷つけられたら困るんだよ」
店主が呆れたようにマーサと、先ほどルーデシアを押し入れた女を見る。前回ルーデシアの衣装や身の回りのことをした女だった。
「マーサ、これはどういうことなの?」
マーサは侍女らしく丁寧にルーデシアが立ち上がるのを助ける。そして外套の埃を払うように身なりを整えた。
「申し訳ありません、お嬢様。マーサには父も母もいないんです」
「え?」
「だから借金もないんです」
ニイっと笑うマーサは見たこともない邪悪な笑顔をしていた。




