6 仲直り
飯屋代わりに使っている酒場でも、さすがにこの時間からは開いていない。仕方がない、狭くて汚くてうるさい、あの部屋に戻るしかない。
階段を上がろうとすると大家が顔を出して来客が待っていると伝える。
「勝手に部屋に上げるなよ。泥棒だったらどうすんだ」
大家は馬鹿にするような笑みを浮かべる。その目が『何盗られるものがあるんだよ』と言っていた。
部屋のドアをあけた瞬間、エラムは硬直した。
「ル、ルーデシア?」
飾りのない濃紺のシンプルなワンピースに、襟の広いケープを羽織り、ボンネットを被ったルーデシアが、エラムの姿を見て、スッと椅子から立ちあがった。
あの椅子、脚が折れかけていたけど大丈夫だったか、今年に入ってテーブルを拭いたか。いつ人が来てもいいようにしておくんだよ。と言う大家を鼻で笑った自分を殴りたい。
ルーデシアが何か言いかけようとするよりも早く、エラムはその場で土下座をした。
「ごめん。もう二度とあんな事はしない。絶対にしない。なんなら今ここで俺自身に呪いの魔法をかけたっていい」
呆気に取られていたルーデシアだったが、ハッとしてエラムの前に来てしゃがむ。
「ルー、スカートが汚れる」
「なら、エラムも立って」
そう言ってエラムの腕をひっぱった。
エラムはおずおずと立ち上がると、椅子の脚を確かめてからルーデシアにすすめた。
ルーデシアは抱えていたバスケットを持ち上げて見せる。
「これ、良かったらどうぞ。本当は昨日、一緒に食べようと思ったんだけど。追い返してしまってごめんなさい。今日もまた作ってもらったの」
そう言ってテーブルに置こうとするが、どこに置いたらいいのか迷っている様子だった。
エラムは慌ててテーブルの上のものをどかし、一年ぶりに拭いた。
「だけど、どうしてここがわかったんだ」
バスケットの中には陶器の水差しとオイルペーパーに包まれたものが整然と並べられていた。
「サラスに、このあたりに住んでいるって言ってたんですってね。駄目でもいいから来てみたの。魔術師で庭師って言ったら皆すぐ教えてくれたわ」
仕事の事は特に隠してはいないが内容までは話したことはない。皆、魔法で庭木を元気にしている程度と思っているに違いない。
「迂闊に知らない奴に道なんか聞いちゃ駄目だ。案内すると言って空き家に連れ込まれたり、襲われることだって・・・」
言いかけて、自分のこういう所が鬱陶しがられるんだったと反省する。
「あら、本当にそうだわ」
ルーデシアは素直に感心していた。
「今朝もメイド長に、世間知らずって注意されたばかりなのに、私ったら」
「自覚あるんだ」
エラムはホッとしたような、泣きそうな顔で笑った。
「本当に美味しいな。毎日こんなうまいものを食べてるんだな」
ルーデシアは水差しのコルク栓を抜き、中に入れていたレモネードを、さっきエラムが慌てて洗ってきたコップに注ぐ。
「やっぱり食べ盛りの男の子なのね。足りなかったわね」
男の子、という言い方にエラムは少し傷ついた。それでも、こうしてまたルーデシアの笑顔が見られるのなら、もう何と呼ばれようと構わなかった。
昨日の自分に会えるなら、ヨハンよりもずっとうまく励ましてやれる。
「レモネードは私が作ったの、どうぞ」
エラムは両手で壊れものを持つようにしてレモネードを一口飲む。甘く、さわやかな酸味、何故だか無性に切なくなった。
「俺、今、一生分の幸せを飲んでる気分だ」
「美味しいかどうかを聞かせてくれる?」
「勿論、美味しい」
「良かった。エラムって、時々、大袈裟な言い方をするのね」
そこでハッとする。ヨハンにも散々注意するように言われていた事だった。
「あ、そんなつもりは、でも、嫌だったか?」
ルーデシアはにこやかに首を振る。
「嬉しいわ。でも、ちょっと恥ずかしいけど」
「悪い」
「どうして? 嬉しいのに」
「嬉しいのか? 本当に?」
エラムは心の中でガッツポーズをとってヨハンに叫ぶ。
『どうだヨハン、嫌がらない女神がここにいるぞ』
「明日は仕事に来る?」
今日、サボった事をルーデシアは責める様子はなかった。
「ああ、行くよ」
「そう、うちでの仕事はいつまで? 魔術師が庭の仕事をするというのはどんなことをするの?」
ルーデシアは何も知らないようだ。自分の家に呪いがかけられているということを。
その時、ふと疑問が晴れる気がした。
「そうか、あの温室か」
「え?」
エラムは、この下宿の音が筒抜けというのを思い出す。それにいつまでもルーデシアを引き止めて噂になるのはまずい。
「家まで送るよ。話はその間に」
◇-◇-◇
エラムたちの住むセイラム王国の王都周辺は、街と呼ばれる城下町、平民たちの住まう下町、爵位を持つ者達の別邸がある郊外とに別れている。
「町を歩くのは初めてよ」
ルーデシアは始終キョロキョロとあたりを見回している。
「馬車で通り過ぎるくらいだろ。それも大通りを」
「ええ、でも一度だけ途中で降りたことがあるわ。学園に通っていた頃の話だけど」
今思い出すと、外界とのつながりがあったのは、あの時期が最後だったのかもしれない。
「あ、花屋がある。ちょっと見てもいいかしら」
ルーデシアは無意識のうちにエラムの袖をつかんで引っぱった。
急に方向転換したので後ろを歩いていた通行人にかすってしまい、そのはずみでルーデシアの手が離れてしまう。エラムは思わず離れたその手を掴んだ。
手を握られたことに反応してルーデシアは立ち止まり、エラムを振り返る。
しまったと思ってエラムは手を離しかけるが、思い直してその手をしっかりと握りなおす。
「はぐれたら危ないだろ。道に迷ってそこら辺の奴に道を聞いたりしたら、そいつが悪い奴で」
「空き家に連れ込まれるのよね」
「あ、うん、そうだよ」
エラムは下を向いてしまった。
「俺っていつもこうなんだ。先回りして心配し過ぎるんだ。前に、こういう俺が『重い』って言って嫌われたことがある」
エラムはルーデシアの手を離した。
「エラム」
「だから、ルーデシアにも、記憶を盗み見るようなことをして」
「それはもう、仲直りしたじゃない」
「仲直り?」
ルーデシアは、今度は自分からエラムの手を取った。
「それに、私が世間知らずで危なっかしいのは事実だし」
「いや、俺が心配してしまうのはそれだけじゃなくて」
ガチャン、ガッチャン、ガラガラ――
何かが崩れ落ちるような音にエラムが振り向くと。何かを持っていたらしき形をしたヨハンが微動だにせず立っていた。足元には倒れた木箱と工具が散乱している。
「ヨハン」
「エ、エ、エラム、だよな、お前」
ルーデシアもエラムにつられてヨハンを見る。ボンネットで隠れていたルーデシアの顔がヨハンの正面を向く。ヨハンは腰が砕けそうになった。
「エラムのお友達?」
「ああ、ヨハンだ。施設時代からの腐れ縁なんだ」
「初めまして私ル・・・」
ルーデシアがヨハンに向かってスカートの裾をつまんで挨拶しようとすると、その前にエラムが立ちふさがる。
「こちらのお嬢様は、訳あって名乗れない」
真面目な顔をしてエラムはヨハンに告げる。
「エラム?」
ルーデシアがエラムの背中に問いかける。
エラムはルーデシアを振り返ると小声で説明した。
「気やすく名乗って、もしも後で俺と君の出会った場所とか知られたらまずいだろ」
「でも、お友達なのでしょう?」
「友達でも、だ。それにアイツはすげえ、おしゃべりなんだ。隠し事をしようとするとそこら中に穴を掘らずにはいられない奴なんだ」
「おい、誰が穴を掘るって?」
徐々に熱くなるエラムの声はヨハンに丸聞こえだった。
「ああ、昔読んだ童話にありましたね。確か、王様の耳は・・・」
「お嬢さんもノリがいいですね」
花屋で店主の説明を聞きながら花を選んでいるルーデシアを、広場のベンチに座ってエラムとヨハンは眺めていた。
「いいか? 絶対に誰にも言うなよ」
「はいはい、何度も言うなよ」
ルーデシアとの出会いが娼館だったこと。それはルーデシアのためにもどうしても知られたくはなかった。
「それにしても、綺麗な女だなあ」
「女って言うな」
「彼女の裸を一晩中拝んでたんだよなあ」
うっとりするヨハンにエラムの声は聞こえない。
「想像するなよ」
「いやあ、羨ましいぜ。俺だったら一生分のおかずにできるぜ」
「だから、想像するなって言ってんだろ」
ニヤニヤして見ているヨハンの顔を、エラムは両手でつかむと無理やり自分へ向けると、頭突きをする勢いでヨハンの額に自分の額をくっつける。
「痛っ、ちょ、なんだよ」
ヨハンは引きはがそうとするが、エラムは額をくっつけたまま何かを唱えている。詠呪が終わり、解放されたヨハンは額をさする。
「記憶読み取り魔法の応用だ。お前が彼女の裸を想像するたびに、その顔が俺になる」
「え? マジで?」
「エラムー」
ルーデシアが、ランチの入っていたバスケットを、今度は花いっぱいにしてこちらに見せている。
エラムがにこやかに手を振って応える。
ヨハンは試しにルーデシアを見ながらその裸を想像してみる。足、腰、胸、脳内映像の裸体が上に進んでいく。そして全身像になった時、顔がエラムになっていた。
「お前ー! 何してくれてんだよ。俺もおかずもらったっていいじゃねえかよ」
「ただでやれるかよ。いや、金もらったってやらねえ」
「おかずって何かしら?」
「うわー」
ルーデシアが上気した顔で声をかけてくる。叫んだのはエラムだった。




