5 天使の館
酒場でエラムはヤケ酒を飲んでいる。そしてヨハンがそれを見つける。
一瞬帰ろうかとも思ったが、気を取り直してエラムの隣に座ってエールを頼んだ。
「どうしたんだよ。運命の人はどうなった?」
おおかた、振られるのは昨日からわかっていた。慰めの言葉を探しながらヨハンは聞く。
「ひどい、って言われたよ」
女性経験の乏しいエラムなのだからさもありなん。ヨハンは先輩ぶって慰める。
「そりゃあ、最初からうまくできる奴なんていないよ」
エラムは珍しく素直に頷いた。
「俺、焦りすぎたのかな」
「まだまだ青いな、次に活かそうぜ」
ヨハンの励ましにエラムはブンブンと首を振る。
「すごく傷つけちまった。もう次は無いよ」
「傷?」
落ち込むエラムにヨハンの動揺などわかるはずもない。
「今、どうしてるだろう。ケガは大丈夫かな。無理してまた傷口が開いていないと良いけど」
「お、おま、お前、まさか強引に」
ヨハンは息を吸いながら声を出している自分に気づき、いったんエールを飲んで落ち着かせる。
「そんなひどいことしたのか?」
「もう二度とするなって言われた」
ヨハンはエラムから身体を離す。
「どんなプレイしたんだよ」
言いながらこれはデジャブか? と思った。
突如何かを思い出したように、エラムは音を立てて椅子から立ち上がった。
「待てよ?」
ヨハンは何も言わずに見守る。
「二度とするな、ってことは、二度としなければまだ会ってくれるって事か?」
「すげえな、そのポジティブシンキング」
◇-◇-◇
翌日、エラムは屋敷には行かなかった。何度も自分を奮い立たせようとしたが、やはりルーデシアに顔を合わせるのは怖かった。
町をぶらついていると、いつの間にかドアーズ繁華街に入り込んでいた。まだ日は高く娼館はカーテンを下ろしている。
そこへ若い女が入っていく。店の娼婦だろうかと思って見ると、見覚えがあるが知り合いではない。そもそもエラムに年頃の女性の知り合いなどフラれたアザミラくらいしかいない。
なのにこの女を知っている。エラムはそこで思い当たった。
「侍女だ」
ルーデシアの記憶の中で見たマーサだった。
エラムはそっと女の消えた扉を開けた。鍵は掛かっておらず、奥からは笑い声がする。
「えー、どうしようかなー」
甲高い女の声が聞こえる。困ったように言いながらその声には有頂天になった嬌声が含まれていた。
「そこを頼むよ、ラバイヨの旦那が、一足遅れで買えなかったのをずっと悔しがっててさ」
ラバイヨ商会のことか。そういえば、あの晩、従者が持っていた巾着にそのマークがついていたのを思い出す。
「今度は親が病気だとでも言ってさあ 。なんなら、あと銀貨10コルト上乗せしたっていい」
「ホントに」
きっと、話しているのはルーデシアの事だ。記憶を見た時、エラムにはどうしても腑に落ちない点がいくつもあった。
マーサの話には最初から作られているようで、最終的にはルーデシアを娼館へ行かせるまでが筋書きのようだった。そもそも内容自体、自分の仕える主人の、しかも未婚女性に話すようなことではない。
マーサという侍女は最初からルーデシアを高値で売り飛ばすつもりだったのだろう。
だが何故――
ジャンクロフ伯爵の知る所となれば、職を失くすどころか、下手したら刑罰に処せられるというのに。
そこまでするとしたら恨みだろうか。
エラムは屋敷中に施されていた呪詛を思い出す。
声が近づいてきた。エラムは急いで娼館を出る。
外に出て物陰に潜んでいると、女が扉から出てくるのが見えた。赤毛の髪を下ろした町娘の服装だが間違いない。侍女のマーサだった。マーサは扉を閉めると振り仰いで娼館の看板に目をやる。
『エンジェル・トランペット』
どういう意図でその名をつけたのかは分からないが、そんな名前の花がある。天使の名前にふさわしい花を咲かせるその植物は、見た目に反して恐ろしい毒を持っている。
◇-◇-◇
「マーサはいないの?」
ルーデシアは侍女長のリエットに尋ねる。
「午前中、所用で出かけると言っていました。お嬢様には言わなかったのですか?」
「え、ええ、聞き逃したのかしら」
リエットが、ぐいっとルーデシアの前に歩み寄る。その表情はいつにもまして冷たい。
「失礼を承知で申し上げます」
こういう時に言うリエットの言葉はいつも正しい。ルーデシアは身構えた。
「はい、どうぞ」
「あの子は少々お嬢様のお優しさに甘えているフシがございます。もっと言いますと、なめています」
「そうかしら、この間、私にとってマーサはお友達よ、って言ったから」
「いいえ」
リエットはルーデシアの甘い考えを否定する。
「そのずっと前、この屋敷に来た時からです。それに」
そこでリエットの声はいくらか優しくなる。
「お友達というのは、まずは相手のことを思いやるものです」
心配だったんだ――
前触れもなくエラムの声が頭の中で蘇ると同時に、哀しそうなエラムの顔がこちらを見ている。
あんな風に誰かに見られたことがあっただろうか。
「リエット」
「はい、なんでしょう」
「私、人を見る目が無いのかしら」
「いいえ」
リエットは目を伏せて首を振る。
「お嬢様は私共使用人に対しても、分け隔てなく見てくださいます。ただ時折、優しさで目が曇るのです。もう少し疑う事を覚えてくださらないといけません」
「それって私が世間知らずってこと?」
「それもありますが・・・ええ、そうですね」
「言いにくい事を言うのね」
「私の役割ですから」
リエットは侍女長としていつも仕事に厳しく臨んでいるが、メイド達の信頼も厚い。だからルーデシアもリエットの言葉には素直に耳を傾ける。
「それで、いかがなさいますか?」
「え?」
「本日のご昼食でございます。昨日のようにランチをご用意しますか」
「あ、ええと」
ルーデシアは庭を見下ろす。
昨日はエラムを追い返してしまったため、多めに作らせたランチを一人で食べるはめになった。
食べながら、せめてランチを持たせてやればよかったと後悔した。
『お腹すいてたんじゃないかしら』
ルーデシアの指を包むエラムの手は、細いが指の関節は節くれだっていた。労働者の手というには少し心もとなく、あまり栄養が回っていないようにも見えた 。
その彼が家一軒分の金額を払ったのだから、こちらの事情を知りたいと思うのは当然の事だ。
ルーデシアはもう一度窓の下を見る。
サラスだけがゆるゆると袋を抱えて歩いている。きっとエラムは来ないだろう。
「昨日と同じようにお願い」
ルーデシアは言う。
「かしこまりました」




