10 パンとスープ
ジャンクロフ邸は静まり返っていた。
執事のロイドはジャンクロフ伯爵の王宮出仕に泊りで随行し、リエットはマーサの嘘で明日の昼まで休暇になっていた。他は通いの使用人たちなので今日はもう仕事を終えて帰っている。
馬車が車止めに入って来ても、屋敷から出迎える者はいなかった。
御者台から降りて車のドアを開けると、ルーデシアは眠っていた。もうしばらく寝かせてやりたかったが、ベローズの魔法で外套が濡れている。このままでは風邪を引いてしまうと心配したエラムはそっと肩をゆすった。
「着いたよ」
「ん・・・」
意識のもうろうとしているルーデシアを、エラムは抱きかかえて持ち上げた。水を吸った外套を着てはいても軽かった。
『こうして寝顔を見るのは二度目だな』
初めて会った時の事を思い出すと同時にあの時のルーデシアの刺激的な恰好もまざまざと蘇ってしまった。
意識してしまったエラムの鼓動が伝わったのか、ルーデシアは目を覚ました。
「あ、ごめんなさい。私寝ちゃっていたのね」
ルーデシアはエラムの首に手をまわして身体を安定させると足を床につけた。ほんの数秒の事だが、細く柔らかい指と、頬が触れ、エラムはどきりとした。
「エラム、何か食べていくでしょ?」
「え? でも」
「厨房に行けばスープがあるはずよ。いつも夜食用に残しておいてくれているの」
考えてみれば昼もろくに食べていなかった。
「私着替えて来るから先に行ってて」
その時、ルーデシアがくしゃみをする。眠ったせいで身体が冷えてしまったようだ。
「大変だ、風邪をひいたのかも。お湯を沸かすから風呂に入れよ」
「エラムが? でも、今からボイラー室を動かすのは無理よ」
「俺を誰だと思ってるんだよ」
エラムはにやりと笑った。
浴室に水を貯めるとエラムは上着を脱いで腕めくりをした。
手加減しながら水を巻き上げて熱を加えていくと、もわもわと湯気があがっていく。傍で見ていたルーデシアが感嘆の声をあげた。
「すごいわ」
「どう? 才能の使い方ってやつ?」
娼館騒動の後に放ったルーデシアの言葉に対して言っているようだ。
「フフ、ホントね。こういう使い方なら」
「そろそろ、どうかな」
温度を確かめてルーデシアが頷く。
「じゃあ、俺、ダイニングで待ってるよ」
「エラムは入らないの?」
「え?」
「あ、もちろん、一緒にという意味じゃなくて」
もちろん、一緒に入るという意味だと思った。
「いや、いいよ。それより腹減ったからスープを温めておくよ」
そう言って部屋を出る。廊下を歩いて行くと、違和感をおぼえた。
「魔術か・・・?」
その気配をたどると廊下を曲がった突き当たりにオーク調の厳かな造りのドアがあった。
鍵がかけてあるが、簡単な作りだ。だが、侵入防止の結界魔法がかけられている。
「中々の使い手だな」
エラムはそっとその場をあとにした。
「マーサがそう言ったのか」
パンをスープに浸しながらエラムは聞いた。
「ええ、父とどういう関係があったのか聞きたくて」
ジャンクロフ伯爵には娘も知らない顔があるのか。
エラムはさっきのドアの向こうが気になる。
「2階の奥の間だけど、あそこは伯爵の」
「そうよ。父の書斎。父以外ではロイドしか入れないわ」
「ルーでも入れないのか?」
「一度も。子どもの頃ひどく怒られた記憶があって」
いま思うと何故入ろうと思ったのか。確か声が聞こえたから。あれは母の声だったような。
ルーデシアを――
そう、自分の名前を呼ばれたように思ったからだ。
言い争っていたのか。確かめようにも母はもういない。あのあとすぐに亡くなったのだ。当時の流行り病だったため幼いルーデシアは参列させてもらえなかった。
「真正面から聞いたところで、答えてくれそうにないな」
「では、また記憶を読むの」
ルーデシアの言葉は、先日自分にかけたことに対する非難めいた感情が含まれていた。
エラムは慌てて否定する。
「しない、しないよ」
「そう」
それだけ言うとルーデシアは黙ってしまった。
「ルー」
エラムはそっと聞く。
「ルーは魔法が嫌いか?」
「そんな事はないけど、ただ」
「ただ?」
ルーデシアは、ふうっ、と小さくため息をつく。
「劣等感は否めないわ」
学園にいた頃を思い出す。
朝、担任の女性教師が若い男性と共に入ってくる。肩までの黒髪を横に結び、長いローブを身にまとった美しい魔法教授、ダグラント。
魔法科でもないこのクラスに一体何の用があるのか。そんな疑問を余所に、彼が教壇へ立った瞬間、教室内は女学生たちの歓声で色めき立った。
ダグラントはそんな騒ぎに構わず、教室内を一通り見回すと一点を見つめて歩いていく。行った先には一人の男子学生が座っていた。
「キャー、何? 告白?」
「相手は男子?」
「しかもあの陰キャメガネよ」
そう言われた学生は、普段からおとなしく目立たない男子だった。皆は名前すら呼ばずに『メガネ』だの『陰キャ』だのと呼んでいたが、ルーデシアは彼をよく知っていた。
白薔薇祭――
女性から男性へ白バラをプレゼントして気持ちを打ち明ける日。その日、ルーデシアの学園でも、男子学生たちが、受け取った白バラを得意げに胸に挿していた。
ルーデシアも、カバンの中に白バラを忍ばせて登校した。誰もいない朝の図書館に、いつもその学生はいた。家があまり裕福ではない彼は、書庫整理のアルバイトをしていた。毎朝、返却された図書の本を書棚に戻しているのを知っているルーデシアは、そっと近づいて白バラを差し出した。
彼は本を抱えたままルーデシアの白バラを見つめるだけで手を延ばそうとはしなかった。しばらくその状態が続いたあと――。
「ふざけんな」
それだけ言うと、ルーデシアを残して図書室から出て行ってしまった。
その彼をダグラントはじっと見降ろしている。
「ああ、確かに君だ」
ダグラントは言った。
「このエーテライト。まだ発現していないから、私でさえもここまで近寄らないとわからなかった」
エーテライトとは魔力が結晶化した核のようなものだ。それを宿した者はごくわずかで、発現する事もなく一生を終える者もいる。ダグラントは何百人もいる学生たちの中から将来の偉大な魔導士を見つけたのだ。
男子学生は翌日から魔法科へ移籍した。卒業後はダグラントの右腕として頑張っていると風の噂で聞いた。
「持って生まれたものの違いや、才能で、いとも簡単に魔術を操っている人を見ると、どうしてこんなに簡単にできるんだろうって・・・。簡単じゃない事は分かってるんだけど」
「なんとなくわかるよ」
「エラムが? あんなにすごいのに?」
「俺の場合、出自に、かな。どんなに魔法が使えても、平民ではギルドの連中や魔法士のいる世界に入れない。こればっかりはどうあがいても無理だ」
「そう、なのね」
「俺たちって、案外似てるよな」
言ってから、伯爵令嬢になんて失礼な事を、と後悔した 。
ルーデシアはパンを取るとちぎった。
「じゃあ、私、今日からパンをスープに浸して食べるわね」
そう言って見よう見まねでパンをスープにちょんとつけてみる。
「あ、いや、これはクセで、ほら、俺たちがいつも食うのは硬いパンだからさ。こうでもしないととても食べられないんだ」
「でもエラムったら美味しそうに食べるんだもの」
そう言ってルーデシアはパンを口に入れる。
「んー、美味しい」
ルーデシアはにっこりと笑って頬に手をあてた。
かわいいなあ。
エラムは身もだえた。
アレルギー症状が酷くなって起きるのも辛い状態でした。週末もう少し書き上げるつもりだったのですが残念。




