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2 ルーデシア伯爵令嬢

 ルーデシアが起きると、そこはいつもの自室のベッドだった。


 確か昨夜、娼館で自分を買ったエラムという青年と一緒だった。エラムに眠り薬を飲ませようとしたのを逆に自分で飲んでしまった。そこまで思い出して飛び起きる。


 体中を触る。頭、顔、髪、胸、特に違和感はない。そして最後に大事な所をそっと触る。何も異常はないのを確認して深い深い安堵のため息をついた。


 それにしてもあの状態でしかも自分は彼に、何をしてもよいとまで言ったのに、無事だった。


「ドン引きさせるほどの酷い寝顔だったのかしら」


 あるいはいびきが酷くて気分を害したとか――


 純潔が守られたことに感謝するが、すぐに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。エラムは好色中年デブから自分を守るために、文字通り全財産を失ったと言っていた。


「どうしよう、私」


 バンっ、と勢いよく扉が開き、侍女のマーサが飛び込んで来る。ルーデシアと同い年で、今年からルーデシアのそばに仕えるようになった快活な赤毛の少女だ。


「良かった。お嬢様、目が覚めたんですね」

「マーサ、私どうやってここに」

「マーサがお願いして馬車に運んでもらったんです。大丈夫。途中で馬車を変えてここまで来ましたからお嬢様がジャンクロフ家のご令嬢だとは誰にもバレていません」

「そう、面倒かけたわ」

「いいえ、いいえ」


 マーサの目からぽろぽろと涙がこぼれる。


「本当にありがとうございます。お嬢様。これで家族の借金が返せます」


 マーサはルーデシアの膝に顔をうずめて泣いた。


「あの、私と一緒にいたお客様は?」


 マーサは顔を上げる。


「はい。薬が良くきいたのか、熟睡でしたよ。ベッドの下で転がっていて、お嬢様を運ぶときに一度踏んづけてしまったのですけど、まったく起きませんでした」

「そう」


 不思議ね。エラムは薬を飲まなかったのに…。


 一人起きた時、エラムはどう思うのだろう。とルーデシアはエラムが気の毒に思った。


「でも、まさかお嬢様まで薬を飲んでしまうなんて。おかげで運ぶのが大変でした」


 その時の事を思い出しているのかマーサはくすくすと笑った。泣いたり笑ったり忙しい子だとルーデシアは思った。

 

 まだ眠い身体を起こし、ルーデシアはマーサに手伝ってもらって着替えた。今日の予定を何も言わなかったので、外出着と併用の薄緑のホームドレスを着せられた。


◇-◇-◇


食堂に行くと既に朝食を終えた父が立ち上がる所だった。


「おはようございます。お父様」

「ああ、随分と朝寝坊だな。まあ、休日だからそれもいいが。花の手入れは怠るなよ。私は出かけるから」


 花の手入れというのは、父が大事にしている蘭の事だった。


 父は蘭栽培を趣味としている。といっても、本人はほとんど世話をしない。全部ルーデシアがやっている。


 庭師のサラスよりもルーデシアの方が得意なほどだったので、温室の鍵の管理は勿論、ルーデシア以外は無断で入らないというのがこの屋敷での決まりだった。


 普段見向きもしない父も、花が咲いたという報告を受けると、満足げな顔で専用の箱に入れて出かけていく。社交界の貴婦人への点数稼ぎに利用しているようだ。


 母はルーデシアが幼いころに亡くなっている。後妻こそ迎えないが、父には愛人の影が常にあった。


 外出着の父は執事のロイドに顔を向ける。


「今日は庭師が来るんだったな」

「はい」

「やっとだな」


 含みのある言い方だった。サラスでは手に余る仕事なのだろうか。あるいは新種の蘭でも取り寄せたのか。だとしたらルーデシアに何か言うはずだ。


 疑問が湧いたがルーデシアは黙っていた。

 

 父にとってルーデシアは、蘭に関する事以外は空気のような存在だった。だからロイドとの話に割り込めば、きっと、話を中断されたことを不機嫌に思うに違いない。


 ルーデシアは息をひそめるように食事をした。


「念入りに頼むぞ」

「はっ」


 そして立ち上がるとロイドから帽子を受け取り、出て行った。


「行ってらっしゃいませ」


 もういない父に、ダイニングテーブルについたまま、ルーデシアは小声で言った。


◇-◇-◇


 吹けば飛ぶように軽くなった巾着袋を、エラムは振り回しながら歩く。


『俺は今、無敵の財布を持っている。どうだ。スリも強盗も怖くねえぞ』


 まるで腕自慢の剣士にでもなったような気分だった。そう思わずにはいられなかった。これを現実逃避というのだろう、とエラムは思った。


「それでも今日の仕事がある」


 自分に言って聞かせるようにつぶやくと屋敷へと向かった。



 向かった先は色々と黒い噂のある伯爵家だった。これまで何度も呼ばれたが断り続けてきた。


 だが、昨夜留守にしている間に大家が勝手に話を受けてしまった。文句も言いたかったが、今の自分には背に腹は代えられない。


「思い切り吹っ掛けてやる」


 執事が直接門までエラムを出迎えた。


 庭を一望しながら『なるほど』と納得する。庭のあちこちに呪詛がかけられている。これで死人の出ないのが不思議なくらいだ。


 エラムの得意とする魔法は解呪魔法だった。


 王族、貴族たちは平穏な世界にいるように見えて水面下では熾烈な闘いに日夜明け暮れている。その戦いの武器として最もよく使われているのが呪詛魔法だった。


 王国の『魔法士協会』に登録された魔法士であれば、身分も高額な収入も保証され、王宮や騎士団の庇護を受けられるが、国の命があれば戦場へも行かなくてはならない。


 一方、魔術師たちは『魔術師ギルド』に登録し、そこで仕事を見つけて依頼主と直接交渉をする。


 仕事の請け負い方に違いはあるが、どちらも、呪詛に関する魔法だけは禁止されている。


 だが貴族たちは、そのどちらにも登録されていない、はぐれ魔術師に、私的な呪詛を依頼する。


 呪詛があればそれを解く解呪魔法も当然ある。呪詛魔法と同じように、解呪を行うのも無登録のはぐれ魔術師だった。


「1年前、新しいものは1カ月前、か」


 エラムは呪詛の種類を分析し始めた。


「よっと」


 先導する執事を置いて、エラムは大きな樫の木の枝に飛びついた。シャツにズボン、魔術道具の入ったベルト鞄を腰に巻き付けている。フード付きのローブやマント姿の魔術師とは程遠い姿だった。


 そのまま足を上げて枝に乗るとさらに上にするすると登っていく。一番高い位置に来たところで屋敷を一望する。


 呪術がかかっている場所、あるいは呪物の埋められている場所は、どうしたってその影響が近くの植物に現れる。


 見ただけではわからないが、その植物の発する小さなサインを感知するのが解呪魔術師だ。彼らが庭師と呼ばれるのはその見た目と特質故だった。


「14、いや、17か」


 いつの間にか後ろから消えたエラムを探しに執事が戻ってくる。エラムは地面に下りる。


「聞いてた話を違うな。最低でも20カ所はあるぞ」

「追加分はちゃんと払う」


 内心、やった、と思った。だがそれを顔には出さない。


「いやあ、これ、3日で終わるかな」


 実際には半日で終わる。


「とにかく全部取り払ってくれ。話はその後だ」

「わかったよ」


 実際には全部終わってから交渉をするつもりはない。一番やっかいなものを残しておいてそれを盾にさらに要求する。はぐれ魔術師が嫌われる理由はそういう所だ。


「くれぐれも屋敷には入るな」


 そう言って執事はさっさと引っ込む。


「それにしても、何をしたらこんなに恨まれるんだろうな」


 エラムはつぶやきながら手近なところから取り掛かる。


 樫の木から降りる時に、枝を何本か手折っていた。その一つを地面に挿す。


 呪術がほどこされている場所に直接意識を向けると自分にも術が振るかかることがある。だからその近くにポイントを決め、そこに意識を集中させる。


 手をかざし感覚を研ぎ澄ませる。


「出ろ」


 黒い霧が立ちのぼると、吸い寄せられるように樫の枝に入っていく。


「炎滅」


 低く鋭く言う。途端に枝が燃え上がり灰になって消えた。


 炎滅魔法はもっと長い呪文を唱える。それは炎の燃え広がる範囲と強度、そして同時に自分自身に炎から守る保護魔法をかけるためだ。


 そんな事は知らなかった幼少期は、自分の魔法で大切な物を壊してしまったり、自分を傷つけたことが何度もあった。それを繰り返すうちに引き出されたのが、詠呪せずに魔法を使役する才能だった。


 自分の才能に気づいた時、エラムはそれを隠した。

 

 昼近くになった。屋敷の正面側の呪術はすでに取り払えている。1年もたてば呪術そのものが劣化して簡単に解呪できた。


「この家は飯も出さないのかよ」


 そうボヤキながら辺りを見回すと、屋敷と離れた所に小さな温室があるのを見つけた。


「あそこだけ、空気が違うな」


 なんとなしに足が向かう。執事の言葉が思い出されるが、「屋敷じゃないもんな」と自分に言い聞かせた。


「へえ、きれいに咲かせてるんだな」


 エラムはしばし休憩とばかりに鑑賞を楽しんだ。元々植物は好きだ。だから庭師と呼ばれる事も嫌いではなかった。


 温室の中央では花々に囲まれるように籐椅子が置かれている。そこに女が眠っていた。


「おっと」


 エラムは足を止めた。


「花の女主人、か」


 薄い萌黄色のドレス。さながら妖精界の王女が魔法にかけられ、眠りについているようだった。


 頬に掛かる白金の髪。ふとエラムはこの髪を知っていると思った。


「まさか」


 顔を近づけてよく見る。


 それはまさしくほんの数時間前まで見ていた寝顔だった。


「ルー」 


 思わず声が漏れてしまい、その声に妖精王女の目が開く。


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