1 魔術師エラム
ドアーズ繁華街、エラムは今日の稼ぎにホクホクだった。
これまでに貯めた銅、銀貨をたった今、両替商で50枚の金貨に変えてきたところだ。
「これでやっと念願の俺だけの家が買える。もう、上の住人の馬鹿騒ぎにも、隣の夫婦ゲンカにも邪魔されずに7時間睡眠がとれる」
重くなった巾着を服の上から撫でる。鍵もかからない下宿先では、いつ誰に盗られるともかぎらない。全財産は常に持ち歩くのが信条だった。
「すげ~」
ため息のようなざわめきが店の前でわき起こっている。娼館からだった。エラムには興味のない場所だった。
だった・・・。
今日売り出しの娼婦が飾り窓の向こうで座っている。
窓には御簾がかかっていて、女自身も薄いベールで顔を隠しているが、美しさを前に何の役割も果たしてはいない。
透き通るような肌、銀に近い淡く光る髪、伏し目がちな瞳を翳らせるまつ毛。
こんな美人がなぜ、こんな下町娼館で客を待つのか。
「今日だけだってよ
「高ェよ、金貨50コルト」
その数字にエラムはぎょっとした。
「家が建つな」
エラムが考えたことと同じ声がする。あらためて御簾を見た。
好奇と卑猥な目に怯え、俯くのを店の男が顎を掴んでぐいと晒す。途端に「おおー」という歓声があがる。
斜め前のでっぷりとした男が従者に何か囁いている。
買う気だ――
従者の頷くのをみた男はニヤリとして娼館に向かう。エラムは小走りに男を追い抜くとドアを押し開けるなり。
「俺が買う」
と言って巾着をわざと音を鳴らしてテーブルに置いた。
◇-◇-◇
外の喧騒が全く聞こえない部屋は、貴族の屋敷でしか見たこともない調度品で整えられている。
広いベッドには二人分の枕。
エラムはそこから一番遠くに椅子を置いて縮こまる様に座っている。
カチャリとドアが開くと、店先にいた時よりももっと扇情的な服に着替えた女が入ってきた。
シースルーの白いナイトドレスの下は何もつけていないのか、ドレープで生地の重なっていない所は体の線がはっきり見える。
アクセサリーといえるものは、細い指に大きな銀の彫り物が施された指輪だけだった。
女は部屋に入って戸惑う。エラムが隅にいたせいで誰もいないと思ったようだ。
あたりをキョロキョロと見回してようやくエラムを見つけると、両手でドレスのすそをつまんで淑女の挨拶をする。途端にドレープが広がって肢体が丸見えになった。
エラムは思わず視線をそらしてしまい、ああしまった、とすぐに戻すがすでに遅かった。女は挨拶を終えていた。
娼館に来たのは初めてで、何から始めたらいいのかもわからない。それは女も同じようだった。いつまでもドアを背にしたままで二人の距離は遠いままだった。
「あ、そうでした」
女は思い出したように、いそいそとテーブルに行くと、予め用意されていたティーセットでお茶の準備をする。
「どうぞお座りになって、旦那さま」
だんなさま・・・? だんなさま・・・旦那さま・・・?
『じゃあ、この人は俺の・・・お嫁さま?』
エラムの頭の中でその妄想がうなりをあげて回る。
こんな聖女が自分には絶対に放つ言葉ではない。
テーブルから離れた所に座ったままだが、今さら近づくのも恐れ多い。
「ミルクを入れてもよろしいかしら?」
「あ、俺、ストレートティーで」
ミルクカップを持つ女の手がピタリと止まる。
数秒で固まっていたが、真顔のままミルクをカップにドボドボと注ぐ。そしてまた笑顔になって
「あらいけない、うっかり入れてしまいました」
と言った。
『え? うっかり?』
次にシュガーポットに手を伸ばす。
「お砂糖は、おひとつ、かしら?」
「いや、あの、ストレートティーを」
女は答えを聞く前にすでに何さじも砂糖を入れていた。
『なんで俺にそんな甘ったるいものを飲ませようとするんだ』
溶け切らないのか、カチャカチャとしきりにかき混ぜている。
『そりゃ、あれだけ入れたら溶けないだろ』
女の指輪の形が変わっている。
『ああ、指輪のヘッドの蓋が開いてるのか。ケースになっているんだな。確かポイズンリングとかいうんだよな、って・・・え?』
念入りにかき混ぜていた女の手が止まる。そしてニッコリと微笑んで「はいどうぞ、旦那さま」と差し出した。
『絶対何か入れたよな』
受け取ってはいけないと分かってはいても、『旦那さま』という最強ワードを使われてしまっては断る選択肢がない。
カップからは香り高い紅茶の香りが漂っている。おそらく中には睡眠薬でも入っていて、これを飲んだら翌朝まで前後不覚になったあげく、ごまかされて店を追い出されるという算段だろう。
とんだ食わせものだが、それにしても下手すぎる。
エラムは興味が湧き、すると少しだけ緊張が薄れていく。
「なあ、姫さん」
名前がわからないのでとりあえずそう呼んだ。
「私の事ですか?」
「ああ、名前がわからないから、姫さんでいいよな。姫さんはここがどういう所か知ってるよな?」
女の笑顔が消える。
「見たところ、育ちもよさそうだし美人だ。ほっといたって貴族や金持ちの男が求婚に来るだろ。なのにいいのか? こんな所にいて、俺なんかに、その」
エラムはそこで言葉を切る。女はまだ黙ったままだ。エラムは目の前の紅茶を横にどかすとそこに手をついて身を乗り出す。
「つまり、俺に、おっぱい揉まれまくるんだぞ」
言っておいてエラムは顔が赤くなる。だがそれに反してに女の顔は真っ青になっていった。
せっかく仕込んだ紅茶なのに、男は眼もくれず脇に避けた。飲むつもりはないということだ。作戦は完全に失敗した。
「こうしないと、助けられないんです」
泣きそうな声で女は言った。
「助けるって?」
女は首を振るとしばらくブツブツと何か呪文のようなものを唱えている。
「失敗した。でも大丈夫、相手はただの人間、魔物じゃない、ただの人間、おっぱい揉まれるだけ」
『いや、それだけで終わらないんだが』
一呼吸すると女は気丈にも真っすぐにエラムを見た。
「では、今度はあなたの事を教えてくれませんか?」
もう旦那さまとは言ってくれないのかと少しがっかりした。
「私も、全く知らない人に、その、おっぱい、を揉まれるのは嫌なので」
『聖女が堂々と破廉恥な言葉を発したぞ』
だが、何故か彼女が根っからの悪女ではないような気がしてきた。
「俺はエラム。家もない魔術師崩れだ」
魔術は貴族の血の中に発動する。だがエラムは孤児だった。
「では、ご両親は」
「父親はいない。母親は娼婦だった。おそらく客の誰かが貴族で、それとの間に俺が出来たんだろう。その母もとっくに死んだよ」
貴族ならば、それなりの高級娼館に行く。
エラムの母は、酒場の2階で客をとる下層の娼婦だった。おそらく貴族が旅の途中で酒場に立ち寄り、そういう関係になったのではないかとエラムは考えていた。
だから名前も告げなかったのだろう。
「自己流だけど少しばかり魔法が使えたんで、もぐりでなんとか暮らせる程度に稼いでる」
魔術能力者は王立の機関で教育を受け、魔法士として登録されるが、エラムのように独自に魔法を使う物は魔術師と呼んで区別される。
魔術師は身分が保証されないので、仕事も自分で直接依頼主を見つけて報酬を得る。腕のいい魔術師であればいくらでも値段を吊り上げられるが、エラムのような若い魔術師は買いたたかれて安い仕事を請け負っている。
「失礼ですけど、それでよく私が買えましたね」
そこでエラムは己の愚行にうなだれる。
「ああ、そうだよ。やっと念願の家が買えるはずだった。その全財産を俺はなんでこんなところに使ってんだ」
「そんな、そんな大切なお金を何故」
他人事のような言葉に、エラムはムッとして女を見る。
「ヤバそうなデブのおっさんが、あんたを買おうとしてたんだ。あんな奴におっぱい揉まれる所なんて想像したく無かったんだよ。あー、ったく、俺の馬鹿」
今日何度目のおっぱいワードか。
「そんな、見ず知らずの私を守るために・・・」
「いや、俺だって同じ事しようとしてる」
ようはビジュアルの問題なのだ。あのデブおやじがイケメン騎士だったらエラムは何事もなく部屋に戻っていた。
「わかりました」
女は立ち上がる。
「たとえ魂胆がヤバそうなデブと一緒でも、手練れの中年オヤジよりも、淡白な青二才の方が傷は浅く済みます」
『俺、今酷い言われ方してない?』
「エラム様の御慈悲に報いるために、私、頑張ります」
女は気持ちを落ち着かせようと胸をおさえて深呼吸をする。そして手近にあったカップに手を延ばすとその中身を一気に飲み干した。
「はあ、甘くておいしい」
「おい、それ!」
「あっ」
それはエラムに仕込んだミルクティーだった。
「いけない。飲んでしまいました」
「飲むとどうなるんだ?」
「牛に乗られても起きないそうです」
言ってる傍から女はフラフラと足をもつれさせる。
慌ててエラムは立ち上がり、女を支えようとする。
女はしなだれるようにエラムに寄りかかる。
「私、眠ってしまいますが、どうぞ、お好きになさってください・・・」
女はとろりとした瞳でエラムを見る。とてもいやらしく見えるが、ただ単に眠気に襲われているだけだ。
「ああ、でも、あまりご無体なことは・・・なさらないで・・・起きた時、痛いのは辛いので」
「おい、姫さん、頼むから起きててくれよ。寝てる相手じゃ、俺、ただのケダモノじゃねえか」
「姫ではありません・・・私・・・ルー」
女はエラムの腕の中でぱたりと意識を失う。
エラムはそっと顔を近づける。深い寝息だけが聞こえた。
現在6話まで進んでいます。週2回くらいのペースでupできればと思っています。




