14 ケントの来訪
リエットが客間に案内しようとすると、ケントはそれを固辞して温室を指定する。
「以前から温室を見せていただく約束をしていたんですよ。薬草栽培の参考にさせていただきたいのです」
もっともらしい理由を言っているが、人の邪魔が入らない場所を考えると、ここが一番安全だった。
「俺が案内しますよ」
麦わら帽子を被り、首からタオルを垂らしたエラムが、ニッコニコしながら腐葉土を積んだリヤカーを押して登場する。
一瞬それがエラムだとわからないほどの笑顔だった。
『コレがあの、ダグラント教授の教員室を焼き払った悪魔なのか?』
ケントは今日、ここに来るのも、ひょっとしたら、殴られるんじゃないかとビクビクしていた。
「ご、ご機嫌だね、エラム」
「え? いやあ、わかっちゃう?」
エラムは照れながら笑う。
「ルーがさあ、俺の事好きになってくれそうなんだ」
「ルーデシアが?」
ケントの背に冷たい感覚が走った。
「そういやあ、御者に変装していた時、貴公子みたいでカッコいい、って言ってたもんなあ」
『落ち着け、落ち着け』
ケントはそう自分に言い聞かせる。
「それで、ルーデシアはハッキリ好きという言葉を言ったのか?」
「いやあ、それはまだなんだけど」
「なんだ」
思わず声が漏れる。すかさずエラムはケントを睨む。
「何ホッとしてんだよ。まさか、今さら惜しいとか言うなよ」
ケントもルーデシアには同級生以上の感情を秘めていた。その彼女が、品、知性、経済力、全てに乏しいエラムに心惹かれ始めているのだとしたら、どうにもやるせない。
「彼女は、学生の頃から少し、好みの感覚が人とズレてるところがあったからな」
『そこにお前も含まれてたじゃねえか』
エラムの心の声がケントにも聞こえたのか、互いの視線に火花が散る。だがすぐにエラムは、先日のルーの精一杯の告白を思い出す。もう何百回と頭の中で繰り返されたそのシーンは思い出すたびにエラムの顔を緩ませる。
エラムは温室のドアを開けると、うやうやしくケントに向かってお辞儀をして「こちらでございます」と促した。
意味ありげなエラムの笑みに、この中に入ったら蒸し焼きにされるんじゃないだろうかと、一瞬嫌な想像をしたケントだった。
リエットに手伝ってもらい、服を着替えながらルーデシアは昼食を温室で済ませる旨を伝える。そして着替えが終わる頃にはバスケットに全てが揃えられていた。
マーサが突然いなくなったことで、彼女の仕事は全てリエットが賄っているが、不便だとか手が足りないということは一度もない。
「あの子はその程度の仕事しかしていなかったのです」
こともなげにリエットは言った。後で聞いた話では、マーサの私物はすでに何も残っておらず、実家に帰ったという手紙が後日、届いたそうだ。
誰もマーサを気にかけている様子は見られなかった。それがルーデシアには寂しく感じられた。
ルーデシアが温室に入ると、ケントはローブを脱いで椅子の背にかけている所だった。
「植物が多いから、空気が気持ちいいね」
立ち襟シャツのボタンを二つ外し、日差しを浴びているケント。学生の頃、図書室で待ち合わせをしていた姿を思い出す。
テーブルには既にクロスが敷かれ、エラムがお茶を淹れている。
「ルーの分も淹れたよ」
そう言うとエラムは椅子を引いて促す。
「ありがとう」
ルーデシアはバスケットをティーセット用のワゴンに置くと、椅子に腰かける。
「なんだか、学園のティーサロンに来たみたいだよ」
ルーデシアに合わせてケントも座る。
「ええ、私もちょっとだけそれを参考にしているの。この花、蔦ジャスミンとか」
「ああ、この懐かしい香りはそれか」
「懐かしいだなんて、ケントなら毎日行けるでしょ?」
「それがそうでもないんだよ。学生が多いと行きづらくてね。それに、いつも一緒だったルーデシアもいないし、今じゃ思い出の場所だよ」
「その思い出に、俺も割り込んでいいか?」
エラムがケントの背後からニュッっと顔を寄せて言う。
「もちろんよ」
ルーデシアが答える。そしてワゴンを引き寄せてバスケットを開く。
「お、燻製肉か?」
匂いを嗅いでエラムは言いあてる。
「エラムの大好物でしょ?」
『俺の好物を覚えてくれている。これって愛?』
エラムが感動して硬直しているのに構わずルーデシアはテキパキと皿を出して並べていく。
「ケントの好きなブルーベリージャムもあるわよ」
「え?」
ケントより先にエラムが反応した。
「ありがとう」
そう言ってケントはバゲットとベリージャムの瓶を取る。
「本当にティーサロンだな」
「不思議ね、なんだかエラムも最初からその中にいたみたい」
「確かにいたな、こんな後輩が」
精一杯優しい言葉に翻訳しているが、本当は『こんなクソガキが』とケントは言いたかった。
「ダグラント教授はまだ顔の痣が消えてなくて療養中だよ」
食後に淹れ直したお茶を飲みながら、ケントはエラムを見て言う。その原因はエラムが拳で記憶を消せないかと試した結果だったからだ。
「一発じゃ足らなかったな」
「今日はそのダグラント教授からの伝言を預かって来たんだ」
エラムに緊張が走る。呪詛の依頼の件だと思ったからだ。
「例の依頼人なんだが、あの身なりだと、きっと社交界でもそれなりに地位があるはずだと、先生は言うんだ」
「ああ、確かにそう見えたな」
上質のドレスに洗練されたセンスが見て取れる。おそらく彼女は社交界でも上流にあたる人物だろう。
「それで、次の夜会に二人も来たらどうかと」
「夜会?」
「来月、王宮の夜会に招待状がきていたのを思い出したらしい。いつもすっぽかしていたからね」
「無理よ」
ルーデシアが初めて口を挟む。
「夜会なんて行ったこともないし、父が許さないわ。それに」
そこで言葉が止まる。
男の二人でもわかった。身支度できるものがないのだろう。
「それなんだけど、僕から提案があるんだ」
ケントはあらかじめ用意してきた考えを話す。
「僕の姉の家に泊まりに行くというのはどうかな」
◇-◇-◇
ジャンクロフ伯爵はロイドの報告を聞いていた。
「母親は娼婦か」
「父親は不明、魔術も独学のようです」
それを聞いて伯爵は一旦は安心する。魔術能力の高さからあるいは誰かが送り込んだのでは、と思ったが、背後に誰もいないのが分かった。
「ただ」
ロイドがつけ足すように言う。
「最近、ルーデシアお嬢様と一緒に温室にいることがあるそうです」
「ルーデシアと?」
「もっぱら花の世話を手伝っているだけのようですが」
「あれは、素性を知っておるのか」
「さあ、そこまでは。ですが屋敷の者たちは皆、彼をただの庭師と思っているようですのでおそらくはお嬢様も」
ジャンクロフ伯爵は指で机を叩く。
「そろそろ蘭が咲くな」
「はい」
「それを待ってから、あれをしばらく大叔母の家にでも預けろ」
「でしたらちょうど、リーゼル夫人がお嬢様を招待したそうです」
「誰だそれは」
ロイドは内心呆れていた。リーゼルはルーデシアの学園在学時の担任で、最後まで退学を反対した人物だ。直接ここにまで押しかけた事もある。そんな女傑をたった二年でいとも簡単に記憶から消してしまえるのか。
「ルーデシアお嬢様のクラス担任です。あれから遠方へ赴任していましたが、今里帰りされているそうです」
「ああ、あの生意気な女教師か。せっかく追い払ったというのに」
辺境の学校へ転勤させたのはジャンクロフ伯爵の影の力が働いたからだ。そしてリーゼル夫人はケントの年の離れた姉でもある。
◇-◇-◇
温室の最奥には鍵のかかった部屋がある。その扉を開くと、棚と白い服だけがある小さな部屋と、横にはさらに扉。その扉の向こうへ行く前に、ルーデシアは白い服に着替える必要があった。
誰もこの鍵のかかった部屋に入ることは出来ない。エラムでさえも。理由はここが貴重な蘭を栽培する部屋であり、外からの花粉や虫の侵入を防ぐためだった。
扉を開くと、室内は天井から吊り下げた魔鉱石の白い光がすき間なく照らしている。魔鉱石はとても高価なものだが、父は惜しみなく買い揃えてくれた。
窓は無く、両側の壁には全て蘭の鉢植えだけが並んでいる。まだ蕾だったり、成長具合は様々ななかで、一鉢だけ、薄紅色の花を一輪、咲かせている。ルーデシアはそれを切り取ると、戸棚から箱を取り出してそっとおさめた。
蘭の部屋から出るとエラムが待っていた。いつものシャツに腰ベルトスタイルだが、新調したまっさらな前ボタンの綿シャツを着ている。
「こっちにいたのか。最近頻繁に蘭の部屋にいるよな」
エラムは言いながらルーデシアの抱えている箱に気がついた。
「やっと一鉢咲いたのよ。父に明日、蘭の花を贈りたい女性がいると言われてて、何とか間に合ったわ」
「見ていいか?」
「ええ」
ルーデシアは箱を開ける。
「蘭と言われればそう見えなくはないけど、思ってたのと違うな」
「そうね。でも、見たこともない花だから女性は喜ぶそうよ」
「それを娘に作らせてるって?」
エラムの口からは皮肉めいた感想しか出てこない。それでもルーデシアは満足そうな顔をしている。彼女にとっては父親がどうこうではなく、ただ花が咲いたことに喜びを感じているのだろう。
「俺の仕事も今日で終わった。さっきロイドに残りの給金をもらってきたよ」
「そう、私も、これをロイドに渡したら行くわね」
「ああ、じゃあ、馬車で待ってる」
そう言ってエラムはルーデシアを引き寄せると、自分の腕の中に抱きかかえる。
「エラム、花を届けないと」
「うん、でも、少しだけ。もう、こんな風に二人だけになれないだろ」
契約が終わるということは、ルーデシアに会いに来る理由も無くなるという事だった。これまでの、清浄な温室の中での時間は、エラムにとって大切なひと時だった。
「そうだけど」
ルーデシアは困った顔をしながらも、エラムの腕の中でじっとしていた。新品のシャツから覗く引きしまった首から肩の線に、ルーデシアはどきりとした。




