12 図書室
魔法専門の書庫に本を戻しに行かされたルーデシアは、都合よく追い出された気がしてならない。
『今頃あの二人、魔術大戦を繰り広げているのではないかしら』
心配ではあるが、呪術関連の話をするのであれば、部外者のルーデシアには聞かせられないのは当然だ。エラムはきっと、それを見越してついてきてくれたのだろう。
「ジャンクロフ令嬢」
男の声が聞こえた。振り返ると、深緑のローブをまとった若い魔法士が走って来る。
「ええ、あの」
魔法士はルーデシアの前まで来ると、上気した顔で「僕だよ」と言った。
そばかすに赤茶色の髪、フルフレームの眼鏡。
「ケント」
名前を言い当てられてケントは嬉しそうに笑った。笑った顔は記憶のままだった。
「学生たちが君の噂をしていたんだ。もしかしたらと思って」
すれ違った学生の一人が、在学中の頃のルーデシアを覚えていたのだった。
「ジャンクロフ令嬢だなんていうから誰かと思った」
「名前で呼ぶのは失礼かな、と。君が、その、すでに結婚していたら」
ケントは少し言いよどんだ。それをごまかすようにルーデシアの抱える何冊もの本を代わりに持ってやる。
「結婚してないわ。それどころか、婚約者もいないのよ」
「そんなに選り好みしてるのか?」
「違うわよ」
ルーデシアも言い返す。最後に話したのが白薔薇祭の日だった。あの時はもう二度と、ケントとこんな軽口はたたけないと思った。
図書室で、ダグラントから預かった魔術書をワゴンに並べていく。
「そっちのを貸して」
ケントが脚立の上から本を指さす。
「ありがとう。ケントがいなかったら夜中までかかるところだったわ。それにしても、見違えちゃった。すっかり、りっぱな魔法士なんだもの」
「特進クラスに入って、やっと自分のやりたいことに向き合うことができた。今思うと、あの頃は、自分でも嫌になるほど、卑屈だったよ」
「私には、毎日ひたむきに努力しているケントがまぶしかったのに」
ケントは脚立を降りて移動する。ルーデシアもワゴンを押して後に続く。
「ずっと、君に謝りたかった。あんな、酷い事を言ってしまって」
白薔薇祭の事を言っているのだろう。ルーデシアは何も言えなかった。
「あの頃、女子たちの間で、モテない男子に告白して笑いものにするって悪戯が、流行っていただろ?」
「知らなかったわ」
「君が白バラを渡そうとしたのも、それだと思ったんだ。からかっているんだと」
「私がそんなことするように見えたの?」
「そうじゃないけど、でも、僕、女子たちから何て呼ばれていたか知ってる? 陰キャメガネだよ?」
「それは知ってる」
ケントは思わず噴き出した。そして二人同時に笑った。
「そう言っていた女子たちに、今のケントを見せてやりたいわね。釣書がいっぱい来るわよ」
「こっちから願い下げだよ」
本を取るとケントは脚立に上った。
「もし、あの時の君の気持ちを、今受け取りたいと言ったらどうする?」
「え?」
ルーデシアの位置からはケントの表情は見えない。
「婚約者がいないってことは、君は今、誰も想う人がいないってことなのか?」
本を棚にしまうと、ケントは脚立からとんっ、と降りてルーデシアの前に立つ。
「それとも、誰かいるの?」
ルーデシアは「いない」と言いかけて止まる。頭の中ではエラムの顔が浮かんでしまう。
「近しい人はいるわ」
それだけ言うのが精一杯だった。
「学生達は、君が男性と親しそうに歩いていたと言っていた。彼の事かい?」
「ええ」
「そうか」
ケントはワゴンから本を取ると、また脚立に上る。
◇-◇-◇
ダグラントは白紙の呪符だったものを皿の上に置く。
「見えるのは一瞬だ。目に焼き付けておくように」
「わかった」
薬品をかけて丸いガラスケースをかぶせる。
「ラーデ・セルム・アーデ・・・」
ダグラントが詠唱を始めるとガラスケースの中を煙が充満し出す。男の顔がアップに映し出される。
「これは呪詛を行った魔術師だ。ここから彼の記憶を読む」
『触れもせずに相手の記憶を読むのか』
エラムはダグラントの持つ魔力に興味を覚えた。
男の顔が消えると、今度は女が映し出された。だがその顔は仮面をつけて隠されている。
厚手の織物をふんだんに使ったドレスには、、すき間なく金糸の刺繍が縫い込まれている。黒髪は結わずに垂らし、念入りに顔を見せないようにしている。
「おそらくこれが依頼者だ」
女は従者らしき者に指だけで合図をすると、袋が目の前の机にどんと置かれ袋の紐が解かれた。途端に中から金貨がこぼれ出る。
魔術師はそれでもまだ足りないのか、従者の指輪まで要求している。従者はその場で指輪を抜いて机にたたきつけた。
映像はそこで消えた。
皿の上にあった紙は完全に灰になっていた。
「ここまでのようだ」
「仮面の女は誰だ」
「さあな」
「なら、この魔術師に聞けば」
「無駄だ」
ダグラントは汚らわしいものでも見るような顔をした。
「どうして」
「この男は先週死体で発見された男だ。魔術師の不審死には立会い義務があるのでよく覚えている」
ジャンクロフ邸に近づく者には災厄が降りかかる。噂で聞いた言葉が現実のものになっている。
「この女が関係しているのか?」
「断定はできない」
ダグラントは席を離れた。
「お茶が冷めてしまった。淹れ直すからそこを片付けてくれ」
エラムはガラスケースを持ち上げて皿の上の灰を捨てる。
「君はルーデシアとはどういう関係なんだ」
ガチャンと物の割れる音がする。床にはガラスの破片が散らばっている。
「おいおい、それ高かったんだよ」
「あ、す、すみません」
「まあ、私も質問が唐突だったね。とりあえず、お茶でも飲んで落ち着こうや。ハーブティーだよ」
「いや、俺ハーブティーって苦手で」
ダグラントはすでにお茶の入ったカップをテーブルに置く。このパターンにとても似たようなことが、以前もあったのを思い出した。
「それは残念、これはルーデシアも好きなお茶なのに」
それを聞いてエラムは席につくとゴクリと飲んだ。正直あまりおいしいとは思えなかった。
◇-◇-◇
ルーデシアはケントと一緒にダグラントの教員室へ向かっていた。
「そうだ、ヘーゼルの焼き菓子があるんだ。好きだったろ?」
「ケントのお土産だったの? 私の好物を覚えていてくれたのね。いただこうとしたら、本の返却を頼まれてしまって」
「そうなのか?」
ふと、ケントの脳裏に何かが引っかかる。
「ねえ、ルーデシア。本の返却は先生が言い出したの?」
「ええ、そうよ。魔法書なんて、素人の私にわかるわけないのに、ゆっくりでいいから、って」
「じゃあ、今ダグラント教授の元には彼がいるのかい?」
「きっと、二人にしかわからない話があるのではないかしら」
ケントの顔には明らかに焦りの色があった。
「大変だ。急ごうルーデシア」
言い終わる前にケントは走り出している。
◇-◇-◇
先に着いたケントがドアを開けた途端、ダグラントの高笑いが聞こえ、思わず足がとまる。
「それで、それで、ヒー、ヒー、自分で薬を飲んで寝ちまったのか」
ダグラントが苦しそうに息をしながら言っている。
「で、好きにしていいって言ったんだろ。触りまくったのか? どんなだった?」
「できるわけないだろ」
向かい合わせに置いた二つの椅子にエラムとダグラントは座り、まるでカウンセリングを受けている患者のようにエラムはうなだれている。
『いったい、何の話をしているんだ?』
そしてこの、こきたない男は誰なんだ。庭師のような格好をしているが、ダグラントがまたどこかから引っ張り込んで来たのか。
「エラム・・・?」
蚊の鳴くような声にケントは振り返る。するとそこには真っ青になったルーデシアが立っていた。
「ええっ!?」
まさか、この男がルーデシアの言っていた『近しい人』というやつなのか?
『趣味悪いだろ』
ケントはそんなルーデシアに選ばれた自分自身を棚に上げて呆れた。
「先生、やめてください」
ケントは気を取り直してダグラントを止める。だがダグラントは「今面白いところなんだから」と言ってケントを追いやる。
「寝てる相手に手なんか出したらケダモノじゃねえか」
「いやいや、それはそれ、だろう。身体は反応したんだろ?」
「そりゃあ、あんな綺麗な裸、初めて見たし」
「じゃあ、なんで、何もしなかったんだよ。聖女が目の前で自分を好きにしていいって言ってんだぞ」
そう言ってダグラントはエラムを煽る。
「俺は」
ケントは今にも倒れそうなルーデシアに状況を説明しようとする。
「これは、自白剤だ」
「え?」
「ダグラント教授の新しい試験薬なんだ。あの人、薬を作るとすぐに人で試そうとするんだよ」
あくまでもエラムが自主的に言っているわけではない。
「俺は!」
エラムの痛烈な叫びが部屋中を通る。
ルーデシアはケントに助けを求める。
「お願い。止めて」
ケントは詠唱を始める。そして唱え終わると手を挙げた。
「俺の事を好きになってくれる相手じゃないと、出来ないんだよ!」
「スコール」
バケツをひっくり返したような雨がエラムとダグラントに打ち付ける。
「うわ、やめろケント、採点前の答案がまだあるんだぞ」
「知りませんよ。自業自得でしょう」
ケントは冷たく言い放つ。
「うわああ」
数秒遅れてエラムは正気に戻る。
「何で俺、びしょぬれなんだ?」
「もう大丈夫だよ」
ルーデシアは安堵のため息をつくと、あらためてケントを見る。
「ありがとう、ケント」
「ケント?!」
エラムはルーデシアがケントと呼んだ男を見る。
寝ぐせなのか、クセ毛なのかまるでわからないもじゃもじゃの髪。細い目はそばかすに紛れている。そして何よりもこの趣味の悪い眼鏡。これのどこに胸をときめかせる要素があるんだ。
「趣味悪すぎんだろ」
「君に言われたくないね」
ケントは即答した。




