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竜王の星姫  作者: 菜種油☆
第一章
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+鳴海郷+



 その後、しばらく川沿いを進んだ牛車は、街道の分かれ道に差し掛かった。

 鳴海郷に近づくにつれ、憂い顔を深めていた娘は、ちいさく溜息をつくと諦めたように顔をあげた。


「牛飼いさん、もうここでいいよ。あとはひとりでも帰れるし」


「そんな足でそんな大荷物で、どうやってここから歩いて行くんだ? いいから乗ってろ。鳴海の織部なら俺も通り道だから」


「でも、もうこの先には宿もないでしょ? どうするの?」


「俺のことはいいから、ひとの心配よりもその泥まみれの荷の言い訳でも考えてろよ」


「やっぱり……みんな、怒るかなぁ……?」


「とりあえず、泣いて喜ぶ奴はいないだろうな」


 呆れて溜息をつく彼の言葉に、娘は怯えるようにちいさく身震いをした。


「うぅぅ……。凪沙兄さまが一番こわいよぅ」


「あぁ。おまえを先に帰らせた兄貴か? ……まぁ、そいつも自業自得だな。虫に見とれて土手から転がり落ちるような奴に、大事な荷を預けたのがそもそもの間違いだ」


 淡々とした表情で牛車を引いて歩く彼の言葉に、娘は闇に沈んだ田畑に淡く灯りはじめた星々を見つめながら、ちいさくぽつりと呟いた。


「このまま新しい反物が用意できなかったら……やっぱり下界に追放なのかな?」


 そんな言葉を口にするまでに落ち込んでしまった娘の姿に、彼は少し驚き、直後になぜかどことなく愉快そうな口ぶりで答えた。


「下には、こことは違う世界があるって言うしな。それも結構楽しいんじゃないか? 下界にくだった女は“天女”とか呼ばれて、大切にされるらしいから――その身なりじゃ、わかりにくいだろうけどな」


「ちょっと! ひとが本気で悩んでるのに、なんで笑うの!? それと、身なりになんの……ええぇっ!? なんで!?」


 自分の身なりについてさらりと言及され、目を剥いて仰天する娘の動揺など、どこ吹く風とばかりに彼は笑うと、前を向いたまま傍らの牛の頭を撫でた。


「――まぁそこまで巧く化けられれば、大抵の者は気づかないだろうな。……おい、騒ぐのもほどほどにしておけよ。そろそろ着くぞ。仲間にそのご立派な荷を見られても平気なのか?」


「織部以外の郷のひとには、今まで一度も気づかれなかったのに……なんで?」


 自らの身なりを見つめ、心外そうにブツブツと呟いていた娘は、傍らで揺れる無惨に汚れた荷に肩を落とした。


「これ、みんなになんて言おう……?」


 正体をあっさりと見抜かれたうえに、汚れた荷のためにさらに心を重くした娘が落ち込めば落ち込むほど、彼は上機嫌になるようで、街道を行く道々、鼻唄を歌いながら娘を乗せた荷車を、牛とともに引き続けた。


 やがて街道から離れた道を往く彼らは、鳴海郷の中に入った。夕暮れの郷中の道は行き交う者もなく、ゆるゆると道を進むうちに、ついに織部の集落がふたりの行く手に現れた。


「――ほら、着いたぞ。いきなりその荷を目にしたら、おまえの仲間は皆揃って首を括るだろうから、俺が先に事情を話して来てやる。その代わりに、ここでこいつを見ていてくれないか? 荷の中に飼い葉があるから、食わせてやってくれ。ひとから譲り受けた大切な牛だから、ちゃんと見張ってろよ」


 牛を見遣ってそう言い残すと、彼は織部で一番大きな構えを持つ長の家へと歩いて行った。


「飼い葉……?」


 荷車の覆いを持ち上げて荷の中身を覗くと、整然と積まれた柳行李には、どれもぎっしりと分厚い書物が詰まっていた。そのいくつかの中を覗いた後、麻袋に入った飼い葉が積まれているのを見つけた娘は、麻袋を牛の顔の前まで引き摺っていき、その口を大きく開いた。

 牛は娘の顔を見つめて何度かまばたきをし、ゆっくりと娘に近寄って麻袋に顔を突っ込むと、そのまま中の飼い葉を食み始めた。


「……大丈夫かなぁ? 牛飼いさん」


 彼の消えた先が気になるものの、牛から目を離してもし逃げられでもしたら、今度は牛飼いさんに殺されちゃう。と娘は麻袋の底に残っていた飼い葉を、地面にすべて空けた。

 牛飼いにとって、牛は自らの身代のすべてに等しく、道中の彼もこの牛をとても大切にしているように、娘には思えたのだ。


 夕闇が少しずつ濃くなってくる中、牛は時折、尾を振りながらもくもくと飼い葉を食んでいる。娘は牛の首を撫でながら、遠くに瞬く長の家の光を窺った。

 間もなく長の家の戸が開き、何やら言い交わしあう声とともに彼が戸口から出てくるのが見えた。長は彼に向かって何かを言い、しばらくの間、戸口に立ってこちらへと向かってくる彼の姿を見送った後、家の中へと姿を消した。


 長の家に入る前と特に変わった様子もなく、まっすぐに娘の待つ牛車のもとに戻って来た彼に、娘は声を掛けた。


「牛飼いさん」


「あぁ。とりあえず話はしてきた。おまえも家に帰っていいそうだ」


「でも、反物は……?」


「――それはどうするのか、俺にはわからないけど……残りをすべてかき集めても数に足りなかったら、鳴海の領館に相談してみろ。あの領主は頭は堅いが、話の分からない御方じゃない。織部から反物を出せなくなったら、まず咎められるのは領主だからな。……まぁなんとかなるんじゃないか?」


 なにを思ったのか、最後は少し笑いを含んで彼はそう言い、出立の支度を始めた。


「あ、ちょっと待ってて!!」


 娘はそう言い残すと、すぐ近くの納屋へと姿を消し、なにかの詰まった袋を抱えて戻って来た。


「これ、この子にあげて。荷物と一緒にずっと乗せてくれたお礼」


「あ、あぁ。ありがとう」


 彼が飼い葉の詰まった袋を受け取ると、娘は先ほどのかざぐるまを彼に差し出した。


「それから、これは牛飼いさんに」


 気に入ってたみたいだから。はい、どうぞ。


「え……いや、別に俺は」


「まぁまぁ、そう言わずに受け取ってよ? 荷物にはならないでしょ?」


 娘は勝手に彼の衣の懐にかざぐるまを差し込むと、泥にまみれた反物の大包みを背負い、オオクスのもとで別れた時と同様に、元気に手を振って織部の集落に戻って行った。


「……じゃあ、もらっておくか」


 彼はかざぐるまを手に取ると、娘がしていたように自分の荷の隙間にかざぐるまを挿し、織部から鳴海の領館へと向かう道へと牛車を率いて足を向けた。



 夜も深くなったころ、彼もようやく実家にたどり着くことができた。数年ぶりに目にした鳴海の領館は、相変わらず都の建物にも劣らぬほど立派なもので、彼の姿を遠目に認めて慌てて駆け寄ってきた門番に牛車を預けた彼は、身支度もそのままに、真っ直ぐに伯父の待つ本殿へと向かった。


「――ただいま戻りました」


「おお! 久しぶりだな拓陸。ついに戻って来たか。ご苦労だったな。それにしても、もっと早く戻る予定だと聞いていたのに、随分遅かったじゃないか?」


「えぇ、ちょっと道中いろいろとあったもので。それより伯父上、お願いがあるのですが」


「な……なんだ? 帰って来る早々、改まって……きみのことだ。またなにか、ろくでもないことに巻き込まれているんじゃないのかね?」


「まぁそうと言えばそうですが……伯父上の進退にも関わることですよ」


「……は? わたしの?」


「織部の者が、竜王宮に奉献する白絹の反物と同じものを、こちらの館に納めているのはご存知ですか?」


「あ、あぁ。今年のはいつになく良い出来だと、千春や佳苗が見とれていたようだが……それが、どうかしたのか?」


「――その中の四十ばかり、俺に都合していただきたいのです」

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