22・食べたいものに名前を書いておくっていうのはどの世界でも常識みたい。
「ニコラー。どこにいるのー」
慌ててあたりをうろうろする瑞恵だが、下手に動くと自分が迷子になってしまいそう。
「困ったわ。それにこの、寝殿造っていう建物は、吹きっ晒しで全部の廊下がまるでベランダみたいじゃない。ニコラなんかすぐに落っこちちゃうわよ」
「御簾とか、屏風とか、かくれんぼにちょうどいいものだらけだしねえ。あ、瑞恵さん、あたしいいこと考えた。お弁当よお弁当」
「?」
「ニコラー、お弁当の時間よー。早く来ないと、なくなっちゃうわよー」
「はーーーい!!」
初めからそこにいたかのように、ニコラが手を上げている。
「げっ。あんたどっから湧いてきたのよ。さっきまで、どれだけ呼んでも返事しなかったくせに」
「ミズエー、きょうのおべんとうは、オムスビ?」
「きょうはサンドイッチよ。ヘイアンキョウの方にも召し上がっていただこうと思って」
「おや、ピーナツバターサンドかい? 踊り子のおやつでよく食べたよ」
着がえを終えたマダム・フロリーヌが目ざとく指さす。
「あれ。マダム・フロリーヌのふく、おひめちゃまみたい」
「本当だ。絹の薄いものを、重ね着しているのね。青色のグラデーションがきれいねえ」
「この婆さまの緑の目には、青が似合うと思いまして」
お姫さまがそう言って、得意げに微笑んだ。
コーディネートをほめられてうれしいのだろう。ようやく年頃の女の子らしい一面が見えて、瑞恵はなんだか、ほっとする。
「お姫さまも食べてみてよ。ピーナツバターと、ツナマヨきゅうりと、たまご」
「ミズエ、このたまご、ニコラのすきなたまご!!」
「そうよ。出汁巻きたまごのサンドイッチよ。ゆで卵のマヨネーズ和えより、あんたはこっちのほうが好きでしょ」
「ミズエ、ニコラのことよくわかってるぅ」
「すじこに塩辛と、酒飲みの食べものをあんなにむしゃむしゃされちゃあねえ」
「お姫さまも、まずはたまごがいいかしら。ところでお名前はなんておっしゃるの。あ、あたしは瑞恵よ」
「ヤスコ、と申します」
「ヤスコちゃんね。さあ、どうぞ」
「これは、何をつけて食べたらよいのですか」
「? そのままどうぞ」
おそるおそる、小さな赤い唇に。
二等辺三角形のサンドイッチを運ぶ、ヘイアンキョウの姫。
「おいしゅうございます!!」
「でしょー」
「……このような、ふわふわとした、口当たりのよいもの……菓子のようで、そうではない……なんとすばらしき……一体そなたたちは、どこからいらしたのですか」
「えーっと……団地から来ました」
「ニコラとマダム・フロリーヌはねえ、パリンストンからついほうされたんだよー」
「たまごが大丈夫だったら、ツナマヨきゅうりもどうぞ」
一旦警戒心が解けると、そこは思春期の女の子。
ヤスコ姫も、ニコラに負けず劣らず、旺盛な食欲を見せる。
「ぱくぱくぱく」「ぱくぱくぱく」
「おひめちゃま、それ、ニコラの」「だめです。これはわたくしのです」
「ニコラのだもんー」「いいえ。ヤスコ、と書いております。さきほど念じました」
「うわーん、うそつきー」「うそつきだなんて。わたくしを侮辱するおつもりですか」
「喧嘩するなら二人とも、あたしに寄こしなさい。あんたたちがぱくぱくするから、あたしの分がないじゃないか!」
「マダム・フロリーヌ、子どもたちのぱくぱく競争に加わらないで!」
「姫、ここにおりましたか!」
「きゃあ、見つかっちゃった! 橋田さんどうしよう!」
「まあこれだけ騒いでいたら、見つかるわよねえ」
御簾を押しのけて駆けこんできた業平殿は、目を丸くし、一同を見下ろしている。
「姫、これは、一体、どういう……」
「この方たちは、わたくしの客人です」
口の周りに食パンをつけたヤスコ姫が、つんと澄まして業平に言い放つ。
「おひめちゃまー。パンついてるよー」
慌ててうつむき、口元をぬぐう姫。その一挙手一投足を見て、なんとも言えない表情をする業平。
「萌えね」
「これが萌えね」
ひそひそ言い交わす橋田さんと瑞恵。
「姫、お客人とは、どちらからですか? わたくしめもぜひ、ご挨拶を」
「えーっと、この方たちは、ダンチ、という国からいらっしゃいました」
「ダンチ? 聞いたことのない国だ……」
「まあまあ、細かいことは気にしないで。業平さんも、姫を追っかけたり、姫だと思ったらおばちゃんだったり、疲れたでしょ。サンドイッチとお茶にしたら」
「あ! そなたは先ほどの、塗籠に潜んでいた方か!!」
「あ、ばらしちゃった」
「姫……これは一体……」
「ちょっとあんた、うろたえてばっかりいないで、さっさと食べておくれ。片付かないじゃないか」
「あらマダム・フロリーヌ、調子が戻ってきたわね。よかった」
「ふん。こんな若造の『めぢからのまほう』なんて、あたしの『だめんずさーちらいと』で無効化してやったよ」
「さすが、年の功!」
「瑞恵さん、油断しちゃだめよ。あたしが思うに、マダム・フロリーヌはまだ、業平さんの『めぢからのまほう』が解けていないわ」
「え、橋田さん、なんで?」
「あの、妙に乱暴な口ぶりは、『ツンデレの症状』そのものよ」
「参ったわねえ。あ、業平さん、それはピーナツバターよ、甘いのはお好き?」
「……なんと麗しき甘露!!! ダンチの方々、そなたの国ではこのようなものを食しているのか」
「あのねえ、れいぞうこっていうのに、はいってるんだよ」
「私どもの料理人に、手ほどきをしていただけないか?」
「え? このお邸の??」
「さよう。どうか頼む」
「橋田さん、どうする? でも団地から取ってこないと作れないものも多いし……」
「セーブポイントを見つけないと、戻れないものねえ」
「マダム・ミズエ、マダム・ハシダ! ごちゃごちゃ言ってないで作ってやりなさい!!」
「……マダム・フロリーヌ、やっぱり業平さんにはまっている……」
「ふ、ふん。業平、あんたのためじゃないからねっ。あたしがもっと、食べたいから言ったまでだよっ」
「はいはい。じゃあとりあえず、何があるか見せてくれる?」
瑞恵たちは業平の後に続いて、炊事場に向かった。




