21・人を見かけで判断してはいけない。そんなこと、わかっているつもりだった。
「うきゃーーー! 悪い男が来るわ! 橋田さん、お姫さまとニコラを頼んだわっ」
「瑞恵さん、マダム・フロリーヌをよろしくねっ」
「……これがふたりの、さいごのかいわになろうとは、まだだれもしらなかった……」
「ニコラ! バカなナレーションしてないで早く行きなさいっ」
「はーい」
橋田さんがニコラとお姫さまの手をつないで、北側の通用口から逃げるのと同時に。
しびれを切らした男が、塗籠の戸を開いた。
夕やけのような、紅い光が差し込んでくる。
「姫。どうかわたしを怖がらないでください」
男はまっすぐ、小山のような十二単に近づいてくる。
その中身が門番のおかみさん、マダム・フロリーヌだとは知らずに。
「あなたのことは、幼いころからよく存じております。わたしにとっては、妹のような存在のあなた。傷つけるようなことはゆめゆめ致しません」
憂いを帯び、切々と語る男の声。
(なんだか、思っていたトンデモ男とは印象が違うわねえ……)
嫌がるお姫さまを追いかける悪い男の面を見てやろう、鼻を明かしてやろう、ざまぁみろ、あっかんべー、おしーりぺんぺんしてやろう、と意気込んでいた瑞恵だが。
その気持ちが、しゅるしゅると溶けてしまうような誠実さが、男の物腰から感じられる。
(いやいや、騙されてなるものですか。しっかし、この位置からだと、顔が全然見えないのよねえ……)
物陰からひょこひょこ頭を出す瑞恵。
マダム・フロリーヌはといえば、扇でばっちり顔を隠し、お姫さまになりきっている。
「姫、さあ、あちらでもう一度、筝をひいてください。わたしが笛を合わせましょう」
男はついに、十二単を抱きすくめるように手を伸ばす。
「きゃっ」
動じたマダム・フロリーヌが、扇を落とす。
男とマダム・フロリーヌが、互いの顔をしかと見つめる。
「うぎゃっ」
短い悲鳴を上げ、飛びのいた男が、勢い余って尻もちをつく。
「やったー! お姫さまじゃなくて、残念でしたー!! さあマダム・フロリーヌ逃げるわよっ」
嬉々として飛び出す瑞恵。
「マダム・フロリーヌ、ほら、その重たい十二単から抜けだして。早く早くっ」
「できない……」
「はい?」
「あたし、下着姿だもの。殿方の前で、このキモノを脱ぐなんて、恥ずかしくてできないさ」
「何急に乙女みたいなこと言ってるのよ。だいたい下着って言ったって、長襦袢着ているじゃない。着物着ているのと、変わらないでしょ」
「でもいやなのよっ。この人の前で、そんな、はしたないのはっ。」
男を指さして、いやいやするマダム・フロリーヌ。
乙女の物の怪でも憑りついたのかと、唖然とする瑞恵。
「そなたたちは、何者か……姫は、どこへ行ったのですか……」
「ほらっ。マダム・フロリーヌがもたもたしているから、せっかくざまぁしたのに、男、復活しちゃったじゃない……!」
腰を抜かしていた男が、よろよろと立ち上がる。
瑞恵は初めて、男の顔をはっきりと認める。
「!!!!!!!!!」
切れ長の瞳。すっきりとした鼻筋。薄くほほえみをたたえたような唇。
「ひえー。なにこの男、信じられないほどのイケメンじゃない!」
「?」
烏帽子に手をやり、不思議そうな顔をする男。
この世界に「イケメン」という単語はないのか。
「くううっ。ヨン様にも嵐にも、純烈にだってハマらなかったあたしのハートをバクバクさせるとは! こいつは強敵だわ! マダム・フロリーヌ、早く!!」
瑞恵は火事場の馬鹿力というやつで、マダム・フロリーヌを十二単から引っこ抜き、大根のように抱える。
「ごめんあそばせ! お姫さまは、とっくに逃げているわよっ」
何とか男をせせら笑い、瑞恵は駆けだす。
瑞恵たちを追いかけるでもなく、男はがっくりと膝をついた。
「なんということ……姫が一瞬にして、あのようなお姿に……さてはこの塗籠には、鬼が棲んでいるのでは……」
◇◇◇
「ああっ、瑞恵さん!! よかった無事だったわね!!」
どこをどう走ったのか皆目見当のつかない瑞恵だが、橋田さんの声が聞こえて立ち止まる。
「橋田さん! どこ?」
「ここよここ!」
部屋の目隠しになっている御簾をべろんと持ち上げて、橋田さんが手招きする。
「あああ、そのように御簾を扱ってはなりませぬ。なんとまあ、はしたない……」
殿方に顔を見られることを恥としているらしいお姫さまは、あわてて橋田さんをたしなめるが、
「ちょっとお姫さま! 話が違うじゃない!」
瑞恵の剣幕のほうが、姫の小言に勝る。
「話が違うとは、はて」
「どんなひどい奴に追われているのかと思ったら、めっちゃいい男だったわよ!」
「それが、どうかしましたか」
「え?」
「めっちゃいい男だったら、何をしてもよいのですか」
「いや、そういうわけじゃないですけど……」
「そなたは見た目で、人柄を判断するのですか。いい大人として、恥ずかしくないのですか」
「……恥ずかしいです。すみません」
せいぜい12、13歳のお姫さまに諭される58歳、青森瑞恵。
「でもルックスだけじゃなくてさ。とても紳士的で、あなたに危害を与えるような雰囲気では、全くなかったわよ」
「ふん。見目麗しく、紳士的で、笛も歌もお上手。それがあの方、業平殿です」
「ナリヒラって、まさか……在原業平?」
平安時代のプレイボーイ、「源氏物語」の光源氏のモデルともいわれる在原業平のことだろうか。
「わたくしは、ああいう方は好みませぬ。歌を詠めばキャー、蹴鞠をすればキャー、女人たちにキャーキャー騒がれて、いい気になって」
「橋田さん、このお姫さま、だいぶ屈折しているみたいね」
「つまり、『リア充爆発しろ』っていうことね」
「ところでそちらの婆様に、着るものをご用意いたしましょう。さあ、こちらへ」
「マダム・フロリーヌ、大丈夫? なんだかほっぺが赤いわよ。熱でもある?」
「おおかた、業平殿の目力にあてられたのでしょう。よくあることです」
「……ずいぶん達観したお姫さまね。あれ、橋田さん? そういえばニコラは?」
「あら? さっきまでそこで、すじこ食べていたけれど……」
「ニコラ? ニコラどこいったー?」




