『貴女は透明』5
――いまさら何言うの?
と、嘲笑うもう一人の自分が横に現れた。
――落ちなよ。もともと短命なんでしょ? だったら、とっくに死んでたんじゃない? ……あの日に、親と一緒にさ。
肩を叩いて、耳元で囁いてくる。
――落ちればいいじゃん。堕ちた方が楽だって。自分が消えれば全部解決だよ。
それが、みんなの為。これはきっと新しい自衛策……。
「花音さん? 大丈夫ですか?」
「……」
テーブルにあるフォークが目に付いた。
残念ながらタルトは一口サイズなので、切り分ける用のナイフは無い。でも、フォークでも……死
「花音さんっ!」
結城さんの大声と、鳴り響く鈴の音にハッとした。
「お客様だ!」
「誠心かも」
ナユタ君達が店内へ戻っていく。
目の前には、怒気を帯びた結城さんの顔。
私は急に恥ずかしくなった。弱くて狡い自分を見られてしまった気がして。
「今日はもう帰ります!」
「えっ!? 待ってください!」
来客が藤本さんだったのか見る余裕なんて無い。私は走って店から飛び出した。逃げたのだ――。
立ち止まらず、とにかく走った。
路地裏の青空に対して大通りは夜空。
でも、もう驚きはしない。あちら側とこちら側で時間が異なるなんて、きっと日常茶飯事なのだろう。
朋絵がカフェに辿り着けなかった理由が、今ならちょっと分かる。普通の人間は、人ならざるものの世界へ行けないから、店への道が通じなかったのだ。
ハンチング帽の男は、普通の人――不審者が進入して来ないように見張ってる。だから“風紀を守る自治会長”なんて言われていて……。
(あの時、携帯電話で話してたのって誰なんだろう。結城さんだったのかな)
この世と違う世界を、その世界に暮らす人達を、「そうか。それで――」と、納得し認めていく自分がいる。
ならば、この異質な自分とも、嫌でも何でも向かい合うしかないのだろう。
そうしなければ、私はまた誰かの大切なものを壊してしまう――。
路地裏から駅南口、さらに地下連絡通路を突き抜け北口まで。
北口にはバスターミナルがある。
美咲が丘の事故以来、乗るのが怖くて避けてきたバスだけど、ずっとこのままという訳にはいかない。
逃げずに、ここから始めないと――。
(それにしても、次が最終って……。あっちと時間ズレ過ぎじゃない? 日をまたぐよりいいけどさ……)
溜息吐きつつ列の四番目に並ぶ。前のサラリーマンが持つスマホから、ゲームの音が微かに聞こえてきた。
軽快な音楽は、朋絵と田所さんが休憩所でよくやっている、同じキャラを繋げて消していくパズルゲームの曲だ。
私も勧められて始めたものの、一週間も経たない内に飽きてしまい、今は朋絵と田所さんにハートを贈るだけの生存確認みたいなアプリになってる。
――あ、今日はまだ贈ってなかったな。
忘れない内にとバッグに手を突っ込んだ直後だった。
「花音さん!!」
「ッ!?」
急に肩を鷲掴みされ、心臓が飛び出るほど驚いた。
「結城さん? どうしてここに」
「どうしてって、貴女……。乗るんですか?」
「そうですけど」
肩で息をしている、難しい顔の結城さん。
現れると思わなかった人に二度驚く。
「駅中を探してもいないので、もしやと思って……」
「え? 私を?」
「それはもう……あの状態で逃げられては……」
逃げたのバレてた――。
「結城さんの事だから、マンションの前で『遅かったですね、花音さん』てパターンだと思ってました」
「そんな無責任な男じゃないですよ」
結城さんは額に手をあて嘆息する。
「一緒に帰りましょう」
「……はい」
先回りして待ち伏せ、結城さんならお手の物なはず。
なのにそれをせず、私を探しに駅にまで行ったなんて。
(息せき切って追いかけて来てくれた……)
私は、どこかでそれを期待していたのかもしれない。随分とまあ勝手な話だ。
だけど、
(……ちょっと嬉しい)
強がりを言っても、不安は拭いきれなかったから――。
駆け込み乗車の女性を加え、バスは六名の客を乗せ走り始めた。
私達は一番後ろの席へ。一段上がっているので、座ると車内全体を見渡せる。他の人達は降り口付近に座っていた。
(最終バスって、いつもこうなのかな?)
もっと混んでるものだと思ってた。それとも今日だけ、たまたまなのか……。
窓ガラスに映る車内は少し薄暗く寂しげで、機械的な女性声の車内アナウンスがそれを強調していた。
窓の外に意識を向けると、コンビニやファミレス、明かりの消えた看板が流れていく。
窓ガラスに集中すれば、寝不足と疲労で何歳か老けたんじゃないかってくらい酷い顔の自分。その奥には、背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見つめている結城さんの綺麗な横顔。
『降ります』と誰もボタンを押さないので、アナウンスとエンジンの音だけが車内に響く。
何となくどんよりした空気がしんどくなり、私は結城さんに話しかけた。
「ナユタ君とセツナちゃんは、結城さんと同じなんですか?」
真面目な横顔がフッと柔らかくなる。
「ああ……。あの子達は、怪物ですよ」
お茶を飲んでいたら、絶対吹き出していたと思う。い、今、何と!?
「か、いぶつ!?」
「化け物の方が分かりやすいですか?」
「いや……どっちも分かりやすいけど、全く理解出来ないです……」
「じゃあ……魔獣とか?」
すごいのが更に増えただけじゃないですか!
「あの双子の本当の姿は、見る者によって違うらしいです。私には、渦巻く暗闇――小さなブラックホールの様なものに見えます」
「魔獣とか言うから狼っぽいの想像したのに……」
「花音さんにはどう見えるのでしょうねぇ」
冗談めかして言い、結城さんは目を細める。
天使の様に可愛らしいあの子達が、よりによって化け物? 怪物? 魔獣? だなんて。
うーん……と唸った私に、結城さんが肩を竦めた。
「普段は子供の姿か、猫でいるように躾けていますので、ご安心を」
「猫ですか……。あっ! 結城さん家の黒猫!」
“ナユタ君”は、ナユタ君だった――。




