『油断しないで』22
◆ another side ◆
玄関の鍵が開いている時から嫌な予感はしていた。
次に二つ並んだパンプスを見た時。
真っ赤な高いピンヒールと、小さなリボンが足先にあしらわれた黒のローヒール。
「……あぁ……」と思わず呟きを零さずにいられない紡であった。
「光稀、また勝手に来てる」
自分の言いたい事を横で口にするセツナ。ナユタはというと、それぞれ諦め顔と呆れ顔の二人とは対照的にパッと明るい表情を見せた。
バタバタと靴を投げ脱ぎ、
「花音さん来てるんだーっ!」
と走り中へ。もう遅いのだから静かにしなさい、と諭す間もなく奥へと消える。
「花音さん! いらっしゃいですっ! 僕、まさかここで会えると思いませんでしたー!」
「あらナユタ珍しいコト。ふ、ふ、ふ~! 喜びなさい! ワタシもいるわよぉ」
「あ。――光稀さん……いらっしゃい」
「ちょっと! その温度差は何よッ」
リビングでの会話が届き、紡は改めて溜息を吐き出した。
――今夜は面倒事が多い日だ……。
「このタイミングでミツキですか……。とても偶然とは思えませんねぇ。それとも、彼女は余程ああいう類のモノを引き寄せるのでしょうか……」
「紡が花音に酷い事してるのがいけない」
「おや。私は何も。セツナは時々手厳しいですね」
「私、花音なら好き。だから変なのに取ってかれるのはイヤ」
「……。彼女が“誰か”と重なりますか?」
クスリと笑う紡がセツナの頭を撫でると、セツナはほんのりと頬を染めた。
「……別に重なってなんか」
しかしそれも一瞬の事。真っ白な陶器の様な肌はすぐに本来の色になり、いつもの薄い表情へ戻る。
「でも。今日花音に会えるのは嬉しい」
言葉の割に顔には表れないのがセツナのデフォルト。
しかし、そこに僅かの差を見つけた紡は唇の端を上げた。
ほんの、ほんのわずか。
だが、セツナの表情をここまで変える人物が自分たち以外に今までいたか……?
少なくとも、人間の中にはいないだろう。
「だから面白い」
ナユタの後を追いリビングへ入っていったセツナの後ろ姿を見ながら、紡はひとり微笑んだ。
「うわ! またこんなに飲んでる! 光稀さん、マスターの部屋を、うちの店代わりにしないでくださいっていつも言ってるじゃないですかぁ!」
「ナユタッ」
勢いよく言葉を発したナユタに、セツナは間髪入れずに声を重ねた。
『マスター』
自分たちは当たり前に、自らの主人をそう呼んでいるが、花音は恐らくその事を知らない。
紡の事だ。教えてなどいないだろう。
きっと最後の最後まで言わないでいるか、それとも花音が自力で答えを導き出すか……。――後者だと思うが。
とにかく、“そうなる時”まですっとぼけているつもりだ。
……全く。自分の主人とはいえ、こんな所は呆れるばかりである。
セツナは、背後に主人の気配を感じつつ、光稀の横に座る花音を気にした。
きょとんと自分達を見、「マスターって?」と尋ねてくる彼女を想像していたものの、これが意外にも反応が無い。それどころか少し俯いて黙っている。
きょとんとしたのはセツナの方だった。
「花音……?」
「あ。大丈夫大丈夫! 今の花音ちゃんなら、そんくらい今日は聞き逃すわよ~」
ケラケラ陽気な笑い方がいつもの昼間より甲高い所から察するに、光稀は本日もイイ感じにホロ酔いの様だった。
どこまで飲んでも光稀はホロ酔い。決してボロ酔いにはならない。要するに、ウワバミなのだ。
そして、酔っていようがなかろうが、こちらの予想を裏切らずに、その呼び名通り大蛇の如く様々なモノを飲み込む。
はた迷惑な客、というのはこの人の為にある言葉なのだと、セツナとナユタは最近知った。
「花音さんに何をしました?」
それまで沈黙していた紡がセツナの横で早口に言った。
「何って……女子会」
「女子会?」
怪訝な顔。
「――まさか。花音さんにお酒を飲ませたんじゃないでしょうね」
「だって女子会だもん。外せないでしょ?」
「彼女は未成年ですよ!?」
「あと数か月の話じゃない、実害なんか無いわよぉ」
「……。実害は君の方です!」
紡は慌てて花音に近寄り、彼女を光稀から引き離すと自分の腕の中に確保した。
すでに酒が全身に回っている花音の身体は、いつもより不安定に動く。大人しかった花音から出た「あれ?」という声も、心なしか「あぁれぇ?」と間延びした発音に感じる。
「……ゆーき、さん?」
「花音さん? 平気ですか? あぁ、平気じゃないですよね。セツナ、水を持ってきなさい」
「うん」
「ねぇねぇ、ツムグ~」
「ミツキ、君は少しの間黙っていなさい」
「違くてぇ」
「何がですかっ」
「可愛いと思わない? 酔ってる花音ちゃんも」
くふふ、と美人は妖艶に笑う。
ワイングラスをゆらゆら傾けて。
「恋する女は最強よねぇ。いや、最恐?」
「は? こんな時に何を言っ――」
「結城さん~っ。やっと帰って来てくれたぁぁ」
それまでされるがままだった花音が自ら動く。
涙目だったのは、酒のせいか気持ちの問題か。
彼の腕の中で縋る様に胸元へ身を寄せながら、彼女は瞳を潤ませ紡を見上げていた。
ほんのりと桜色に染まる目元と頬。
いつもは幼げな雰囲気が残る花音でも、ここまでくれば歳相応の色気というものを無意識といえど放つ。
これには、さすがの紡も「うっ」と声を詰まらせるしかなかった。
……こんな彼女は見た事が無い。
「わたし、私ずっと待ってたんですよぉ……!」
「ホラホラ! 甘えたな花音ちゃん! レアものレアものッ!」
「本当だ~! こんな花音さんも可愛いですっ! ね? マスター?」
「でっしょう? ナユタも番いにするならこういうコを選びなさいよ?」
「えっ!? つ、つ、つがいっ! 僕のっ!?」
「ちょ……! いい加減やめなさい二人とも! ――確かにこういう花音さんも愛らしいですが……っ」
心痛な面持ち? な花音を尻目に、三人の輩が言いたい放題盛り上がっている。
「花音、水。………あ」
急いで花音の為に水を汲んできたセツナは、それを見つけるとコップを握りしめ呟いた。
「酒は飲んでも飲まれるな。飲んでなくても飲まれるな……」
またひとつ、言葉を勉強した気がする……。




