『油断しないで』19
……安心する。
香りに癒されるとは、まさにこういう事なんだろう。
私がプチパニックから抜け出した頃を見計らって、ミツキさんは「じゃあ花音ちゃん」とニッコリ笑った。
「順番に聞こうかしら。仕事、って何度も言ってたみたいだけど、それはツムグ関係……?」
頷く私。
彼の仕事内容などを聞くつもりはない。私自身、それは結城さんに言われたように彼の口から聞くのが良いと思うから。ただ私が今不安なのは、彼の仕事がどうとかそういうのではなく、時期を見ないと私には話せないという意味。
何度も何度もそれを考えて、そしてどうしても行き着いてしまう同じ不安。私はまだまだ彼の信頼を得ていないのか、と……。
毎時毎日繰り返す自分に疲れても、悩みという雲が消え心が晴れない限り、スッキリするはずもなくて。
「結城さん、ミツキさんには私をどういう人物って説明してるのかなぁと思って……」
「“大切な彼女”って聞いてるわよ? ツムグが一人の女に固執するなんて、私が知ってる限りハジメテねぇ~。その辺は花音ちゃん、安心していいんじゃないかしら……。ん? 安心っていうか……うーん……。まぁ、ソンナカンジ?」
「え。どんな感じですか一体……」
「違う違う! ネガティブな意味じゃないわよ? つまり、えっと。執着が激しいってコトは、独占欲も激しいってコトで……。あいつ、肝心な部分での女の子の扱いちゃんと出来るのかしら? ……えーいっ! 頑張るのよ、花音ちゃんっ! 大丈夫。ツムグだって“大切な彼女”をむやみやたらに壊したりしないハズだから!」
「ミツキさん……。それ、なんかちょっと怖いです」
――壊す……? 結城さんってそういうダークな人なの?
時々見た事のある冷たい雰囲気。それを思い出すと少し怖い。
「ごめんねぇ。脅すつもりは全く無いのよ。だからそんなカオしないでね? ……で! 仕事の件だけど……。ツムグがまだ言わないのは、花音ちゃんへの信頼云々とかそういう問題じゃないわ。本当は分かってるんでしょ? あなただって」
「……」
「悩み過ぎ! 自分の好きな男を、とことん好いてごらんなさい。そんな悩み米粒みたいなモノになるから」
「米粒、ですか?」
「そ。――ツムグの仕事はねぇ、普通の人間からしたらチョット特殊な部類に入ると思うのよ。隠さなきゃいけない事もあるし、危険な事に関わる事もある」
ミツキさんは、ワインを開けながら言った。コルクの香りを目を閉じ楽しんでいる姿で、彼女が相当なワイン好きだという事が分かる。
まぁ、テーブルに並ぶ“おつまみ”の類を見ても想像はつくけど……。
一通り目と鼻でワインを味わった彼女は、グラスにそれを注ぎ、そして、
「嫌な案件を抱えてる時は特に厄介だし~。花音ちゃんを、出来る限りそういうのから離したいのよ。結局それって、良い意味でも悪い意味でもツムグの身勝手さではあるけどね」
一気に飲み干し苦笑した。
「デキる男が今必死になって守ってんのが花音ちゃんなのよ。あいつが時期を見てって言ってるのは……うん! 花音ちゃんの為ね! ってコトで、許してあげて?」
「そんな……許すとか……」
「あ! ワタシ分かっちゃったかも!」
「へ?」
ワインを飲み干し、グラスをテーブルに置いたミツキさんは、嬉々として手を叩いた。直後、再びワインを注ぐのを忘れない。
私は注がれる葡萄色と美人を交互に見た。飲酒ペースの速さに驚きつつ……だ。
そんなこちらをよそに、「ふっふーん?」と彼女は一人で納得顔。
一口サイズに切ったガーリックトーストを口に放り込む様子は、女性にしてはかなり豪快だと思う。だけど、ミツキさんがすると何故かそうは見えなかった。
良く似合うピンクルージュの唇の隙間から、紅い舌がチラリと覗く。きっとそのせい。口中の妖艶さは女の私でもドキッとするのだ。
綺麗な指先が自らの唇をなぞる。こちらに向いたチョコレート色の瞳は、私の見惚れてしまった様子に気付くとそっと笑った。
「零が、って泣いてたのはそのせいね? ツムグがモタモタしてるから、あの子が横入ったのかぁ~」
ミツキさんの声に、ふわんと浮きかけていた意識が一気に重くなる。横入り、という彼女の言葉に、少し前の衝撃シーンが脳内に蘇った。
「しょうがないわね。本当、男ってのは……。零にキスでもされちゃった?」
「あ、あれはそういうのには……入りませんっ! 事故みたいなっ」
「事故? ……じゃあ花音ちゃん、あなた」
「ちょっと、ちょっと端っこの方に触っただけです! だけど、私が悪いんです! 私が……っ」
――唇の端に、あの時感じた温度まで蘇ってくるなんて。
思い出すこと自体が悪い事をしているみたいだ。結城さんとの甘い口付けを思い出すのとは訳が違う。罪悪感、嫌悪感、黒く重い感情。それが私をきつく責める。何故あんな事になったんだ、と。
「花音ちゃんのどこが悪いの。どっこも悪くないわよッ!」
眉を顰め、ミツキさんはそう言いながらグラスをあおった。




