『油断しないで』10
「あのオッサンは自治会長だよ」
まだ顎をさすっている零さんは、歩きながら言った。
「自治会長?」
「そ。この界隈を取り仕切ってる代表みたいなもんでさ。別に自治会なんてこの辺は無いんだけど、周りの奴らは、オッサンの地域風紀にかける情熱に敬意を表してそう呼んでる」
「はぁ……」
何だかよく分からなかったけど、難? を逃れたのだったら、私は早くお店へ行きたかった。
だけど零さんは、「あのオッサン、店の方へ行ったからムリだ」と言ってお店とは反対方向に歩き始めてしまい。
私のバッグとお土産の袋は、いつの間にか零さんが持っていた。荷物を持っていかれるとどうする事も出来ないし、何と言っても私はまだこの辺の地理がよく分からないのだ。
置いて行かれると途端に迷子決定だった。
しかも、この暗さ。
とりあえず、今は彼に大人しくついて行くしかない。零さんだったら、後でちゃんと案内してくれるだろう。
「夜になると変な奴らが入って来る事が多いんだよ。だから、オッサンに見つかると結構ヤバい」
「私、変な奴なんかじゃないですよ」
「そんなの勿論だよ。だけど、あのヒトにはそういうの通じない所があってさ」
ハァッ、と随分な溜息を吐き、零さんはぐしゃぐしゃと自分の頭を掻き乱した。
「少し休もうか」
そうして目の前を指さす。
二又に分かれた道の真ん中を埋める様に、小さな公園が見えた。公園と言っても、ベンチと外灯とブランコしかない。
公園の入り口柱には『猫耳公園』と手作りされた木板。なるほど。三角の小さな土地から猫耳……。ネーミングの由来はすぐわかる。
「花音ちゃんも知ってるだろ? この路地裏に入って来れるのは、表のカフェの隙間みたいな道からしかないって」
「あ。確かにそうですね。カフェの両隣はビルだし……。教えて貰わないと一瞬気が付けない感じです」
「そういうトコ、普通はあまり入ろうって気起きないと思わない? 昼間は明るいからそういう事あるとしても、夜はさすがにさぁ……。酔っ払いか、よほどの不審者だ」
「そっか……」
周辺の風紀に情熱をかけている……という人なら、見回りして不審者を追い払う位するか……。
――ていうか、あれ?
「それってやっぱり、私が不審者扱いって事に変わりないですよね……?」
「はははっ。確かにそう聞こえるなっ! でもまぁ、オッサンは、見知った顔以外はみーんな不審者扱いなワケ。いくら花音ちゃんが可愛くても、見つかれば容赦無いって」
――見知った顔以外か……。
私は一度会った事あるから、あのおじさんを見知ってると思うけど、相手が私を覚えているとは限らない。
それに、見知った顔という意味が、ある程度の付き合いがあるという意味ならば、確かに私は不審者に分類されてもおかしく無い。
でもなぁ……。
「ちょっと怖そうだったけど、容赦ないって……そんなに凄い人ですか?」
以前会ったイメージで私が言うと、零さんはさっきの印象と捉えたのだろう。
明るく笑った。
「俺相手だったからな~。花音ちゃん、声だけじゃ相手の事は分からないぞ。あんまりお人好しだと怖い目にあうぜ?」
ベンチの背にもたれて、零さんは空を仰ぎ笑い声を放った。
そしてすぐに、
「痛って……!」
と、首をおさえる。
「私、そこまで酷くしちゃいました……?」
「違う違う! 普段なら女の子の力位じゃ全然だけど、さっきはかなり油断したっていうかっ」
暗い中でも、零さんの頬が赤くなったのが見えた気がした。
あわあわと手で何かを払うようにしてから、直後、苦笑をこちらに向けて。
「だってさー。花音ちゃん、ホントすっげぇイイ匂いさせてんだもん!」
「な!? それって、セ、セクハラですっ!」
「んな、OLみたいな事言うなって」
「そうじゃなくても、あんな急に抱きつくとかっ……! 驚くじゃないですか!」
少し声が大きすぎた。自分の声にハッとなって周りを見る。
静かな公園は私が声を出さなければ、しんと静まり返ってた。もうあの楽しげな笑い声も聞こえない。
ここまで結構歩いたから、そういうお店が並ぶ場所から離れたんだろう……。
「男慣れしてないんだな、花音ちゃんは。ますます興味わく~」
「からかわないでください」
「あれ。結構俺、本気なんだけどね」
肩を竦めた零さんは言った。そんな事を言っているけど、口調はどこかおどけてる。いくら鈍い私でも、彼が冗談を言っている位すぐわかった。
それよりも、と変える話題。このままじゃ、いつまでもからかわれっぱなしだ。
「私はいつになったらお店に行けるんでしょうか」
「何? 本当にあの店行こうとしてたの? こんな時間から?」
「えぇ。セツナちゃん達に渡したいものあって……。あと、これを差し入れようと」
「差し入れ? えー、ナニナニ? 気になる!」
「大したものじゃ……。パンなんです。今日初めて行ったお店だったんだけど、すごく美味しくって」
私は、がさごそと袋を開けてみせた。零さんは興味深げに中を覗いてから、「へぇ~」と頷く。
「でも、パンなら今日じゃなくても良かったんじゃないのか? 家帰るの遅くなっちゃうじゃん」
「どうせ早く帰っても、独り暮らしだし……。あ! 零さんも一緒にお店でみんなと食べましょうよ」
零さんとみんなの仲が微妙な感じなのは知ってる。でも、せっかく同じお店に集まる者同士。こういう小さい事を積み重ねていけば、いつか仲良くなれるかもしれない。
零さんがそんなに悪い人じゃないって、きっと分かってもらえるはずだよね?
「んー。俺はいいや」
「え? なんで?」
「時間帯的に?」
「時間……帯?」
「そ。アイツいねぇーもん。居なきゃ嫌味も言えねぇー」
「あいつ……」
「花音ちゃんも、期待して行くならハズレだよ。結城はこの時間じゃ、まだ居ない」
「……っ!?」
当たり前の様に言われて、私は一気に自分の頬が熱くなるのが分かった。
なんで分かったんだろ。
みんなへ差し入れとか色々理由を重ねても、心のどこかで零さんの言う“期待”を持ってたこと。
昼間お店に行っても、全然会えない結城さん。
勿論、マンションでは会えるけど、私はあの店でまた会いたいと願っていた。
初めてお店へ行った時、一緒にお茶を飲んだ夢みたいな幸せな時間を、またもう一度過ごしたかったからだ。
最近ゆっくりと顔を合わせる機会が無かったから、余計に。
私はパンを一個取り出して零さんに渡した。
デニッシュクロワッサン。
彼は、くくく……と笑いを抑えながらもそれを受け取って、口に運ぶ。
「図星だな。……おっ、美味いなコレ」
「全部が全部、結城さんが理由じゃないですよっ。ね、美味しいでしょ? ソレ」
ちゃんと他にも理由はある!
見せないながらも、その中にある二つの小さなプレゼントを、バッグを叩いてアピール。
そんな私の主張をサラリと流して、零さんは「ふーん」と味気なく呟いた。
「他に理由はあっても、結城に会いたいって事に変わりはねーじゃん。そんなに良い訳? アイツがさ」
「……どういう意味ですか?」
「ああ……そういえば、付き合ってるんだっけ? 二人は」
なんだろう。茶化されているっていうよりも、責められている気分になる。
でも、刺々しくも感じる相手の口調に、ふと重要な事を思い出した。こんな口調をどこかで聞いた事……ある。
「零さん。結城さんとは仲悪いみたいですけど、もしかして本当は仲良くしたいんですか?」
「今までの会話でどこをどう捉えれば、そんな気色悪い話になるんだよ?」
「反発し合いながらも、いずれ分かり合えるようになるのが、男の友情かと思って……」
「………。オモシロイネ、花音チャン」
棒読みで言われた。
重い溜息が続く。
「これはさー。嫉妬してんだよ……、って! 何自分で言ってるんだ! 俺!」
「……えっ!?」
さっきの私みたいに、零さんの大きな声が公園に響いた。そして、自分のもまた。
「そんなに結城さんの事がっ!?」
「怒るよ!? さすがに俺も!」
「分かってますよ……。だったら、零さんだって急に変な事言ってからかわないでくださいっ」
分かっているから冗談で返せるんじゃないか。
はぁ~っ……。
私達は二人同時に溜息を。
脱力したところで、公園の外灯がチカチカと瞬く。
――そういえば、通りのガス灯と違って此処のは電気なんだ……。
数度瞬いたところで元通りの明るさを取り戻す灯りを見上げて、ぼんやりと考えた。
静かな夜。無風の中、心なしか気温が下がった気がする。
賑やかな表通りとは真逆な風景。
この辺りの独特な雰囲気も相まって、私は一瞬空間の狭間に閉じ込められた様な、不思議な感覚をもった。




