『告白したいのですが……』4
足下では『ナユタ君』がそわそわと行ったり来たりしていた。まるで、自分も仲間に入れてくれと言ってるみたい。
みゃあ! と上げた鳴き声は、話題を変えるには何ともタイミングが良かった。
「結城さんが居ない時、この子はいつもお留守番なんですか?」
こちらを見上げる、くるくるの瞳に笑いながら、『ナユタ君』に手を伸ばす。
――ところが。
「ナユタの話はもういいと言ったでしょう」
横から出て来た結城さんの手が私の手を、ガッ! と掴んだのだ。
抱き上げかけた子猫の身体はその勢いに放り出されて。
驚いただろう『ナユタ君』は、凄い速さで部屋の奥に逃げて行ってしまった。
そして、手を掴まれた私はというと、結城さんに引っ張られ、もたれかかる様に彼の方へ。目の前に結城さんの綺麗な顔が迫る。
「……あっ、エッ!?」
「花音さんの話が聞きたいんです。私は」
「でも……つまらないし、私の話」
「それは私が決める事なのでは?」
「っ。そうかもですけど……! なんでそんな、私の事ばっか……」
「解りませんか?」
目の前の艶めく唇がゆっくりと形を変える。口角が引き上げられ、いつもの穏やかな微笑み。
「だって知りたいじゃないですか」
頬に触れてくる指先が意味深に顔の輪郭をなぞった。
あまりにもなまめかしい動きに、反射的にゾクリとしてしまう自分の身体が少し怖い。
(何コレ……何これ!? こんなの知らないっ!)
「好きな女性の事は、何でも」
「え……」
「自分が側にいない時に相手が何をしているのか。何を思っているのか。誰と過ごし、どんな話をしているのか……全部」
「結城……さん?」
「その間、少しでも自分の事を思い出してくれているかどうか。そういうモノでしょう?」
「……あの」
「違うのですか?」
形の整った眉が僅かに歪む。フッと一瞬私から視線を外し、結城さんは「おかしいですね」と呟いた。
「恋愛とは、そういう感情の先に起こる葛藤や希望に一喜一憂するものと聞きましたが……」
「……」
結城さんの恋愛論はなんだか……哲学的?
確かに、間違ってない気もするけど……。言葉が畏まってるせいなのか、なんか現実感が乏しいような。
「……いえ。違わないですけど……」
ポツリと返したら、薄茶色の瞳がより近付いてきた。それ以上近付かれると鼻先触れて、唇まで触れてしまいそう。
至近距離も度が過ぎると心臓に悪い。そっと頭を後ろに引こうとした。だけど、後頭部はすぐ壁に当たり移動不可に。
……いや。正確に言うと、壁じゃなく結城さんの手。私が後退するのをしっかり察知し、逃げ場を塞いでいた。
「それならば……私の言っている事、分かって下さいますよね?」
「でも、結城さん……。それじゃあ、まるで私に恋してるから私の事全部知りたいって言ってるみたい」
「だから、前からそう言っているじゃないですか」
呆れ顔で言われ、そうだっけ? と振り返ってみる私。
考える。考える……。
こちらが勘違いしそうな行為、否、好意? はそれはもう沢山……。
でも言葉は?
告白さえあれば……なんて思ってしまった時もあった。それこそ、確定的な何か(言葉)が無かった証拠になるんじゃ……?
「ああ……そうでしたね。すっかり伝わっているものと思っていましたので。関係を築く上で“言葉”は重要でした」
思考を右往左往させていたら、結城さんが納得の表情を見せ……。
私の視界は、その後ぐるッと勢いよく変わる。……あれ? 天井が……。
「ここに触れる熱で全てお伝え出来れば、何も難しい事は無いんですけどね」
「……あ」
「好きですよ、花音さん」
唇をなぞる結城さんの親指。
「貴女だけを、この先も……ずっと。愛してあげます」
「……っ!」
「だから必ず……。私のたった一人の“パートナー”になってくださいますよね?」
「……えッ!?」
引っくり返った視界の中で、結城さんは天井を背に私を見ている。
自分の背中に感じるクッションの柔らかさ。
ソファーに押し倒されての告白は、想像の遥か彼方を行っていて……追い付くのに時間がかかった。
こくはく……。ていうか、それ!
(聞きようによってはプロポーズみたいなんですけどっ!?)
「返事は? 花音さん?」
「……う。えっ、あ!? えぇ!?」
こんな逃げ道無しな告白、あるんですかっ!?
恍惚さを宿した瞳に、強悪的な甘みを放つ唇。覆い被さるのは全部を呑む様な大きな影。
――至極妖しい鳥籠に収まった気分だった……。
「返事は? 花音さん?」
もう一度、結城さんにそう迫られる。
今更ながら、自分が押し倒されてる態勢だって事を再認識してしまい、私の顔は一気に熱くなってきた。
こくん、となるノド。それがやけに耳に響いて、また更に恥ずかしくなる。
気が付けば、指先が小刻みに震えていた。
怖い? ――違う。
恥ずかしい? ――それもあるけど。
なによりも。――多分。
(好き、って言ってくれた……。私の事、好きって……!)
(うれしい!)
初めて会った時からドキドキが始まって、今までずっと同じドキドキが続いていた気がする。
……ううん。日毎強くなってたときめくキモチ。
振り回されても、強引に引っ張られても嫌じゃなかったのは、私もこの人の事を好きだったからなんだと改めて感じる。でも、
「私……。わたし、も……」
好きです
の言葉が、緊張で出ない。
せめてもと、自分の精一杯の想いを伝える為に、曖昧じゃない頷きで答えた。
「そうですか……。良かった」
結城さんの微笑みが、今日一番に柔らかく見えた。薄茶の瞳がふんわり細く。
「これでやっと……」
「……あ……」
近付いて、傾く彼の綺麗な顔。予感に目を閉じた。
「………」
何度も合わせた唇の甘さは、前だって今だって同じはずなのに……何故か違う。
気持ちが触れ合えるとこんなにも変わるものなのだと、今日はちょっぴり余裕すらある心の中で思った。
ただ甘いだけじゃない。
――その中にある“変わった何か”は、一体何なのかな?
深い口付けが続くと息が苦しくなってくる。
許された一瞬に大きく息を吸うと、一気に流れ込む空気にむせ返りそうになった。
「……花音さん」
触れるだけのキスをした後、結城さんは身体をゆっくり起こす。呼んだ私の名前が、静かに私達の間に落ちて。
「?」
「今日起きた事、全部教えてほしいと言いましたよね?」
「は、い……?」
まだ少し息切れ中。甘ったるい口付けの中、私の頭は完全に溺れかけた状態でぼんやりしていた。
だから少しの間気付けなかった。
……結城さんの瞳に。
静かな言葉に表れてる意味を。
「――零に会いましたね」
まばたきを数度繰り返す内、意識は急激に浮上した。
心臓が一拍飛んだと思う。間違いなくその一瞬。
「な、んで……っ」
(なんでそれを?)
言葉が震えた。
見上げた結城さんの瞳が真っ直ぐ私を見下ろしている。
柔らかく優しい色だった薄茶が、色を変えず温度だけを変えていた。
結城さんの薄茶の瞳は、琥珀みたいだといつも思っていた私。他の人とは違う何かを秘めて輝くそれは、神秘の存在を閉じ込める琥珀とよく似ている。
そして、今はそこに、チリッと小さな炎を見た気がした。
「何故そんな大事な事、貴女は言ってくれなかったのでしょうか?」
「そ、それは……」
――私は選択を誤った……?
言わない方が問題にならないと思ったのに。私が言わなければ流れる事実だと。
それとも、言って問題にしていた方がよっぽど良かった?
――どっちが正解だった……?
ああ……。でも何を考えても、もう遅い。
何故、結城さんが私の言わない事実を知っているのか。今更それを考える?
「それこそ、私が一番知りたい事でしたよ」
「その、私……」
「“自分以外の者”が、貴女に近づく。許しがたい事を……」
「零さんの事、いつも結城さん厳しく言うからつい……。ご、ごめんなさ……い?」
「……」
無言の間が、ちょっと怖い。
じっと見つめてくる目の前の瞳が、とにかく威圧感を醸し出しているのだ。
射る様な強い視線。私を通り越して床まで突き刺すんじゃないの? ってくらい。
(もしかして、怒ってる……?)
怒っているのならば、ちゃんと言っちゃえば良かった。完全に私の選択ミス。変な気遣いは無用だったかも……!
「――零と何を話しましたか?」
「大したことは何も……。ただの世間話ですよ? お店のちょっとしたこととか。あ。藤本さんのオムライス話は、元々零さんから聞いて……」
固くなった頬の筋肉を必死に緩めて、私は喋る。喋りながら、ぐるぐると脳内で零さんとの会話を思い出していた。
「ナユタ君に学食のオムライスを覚えて貰ってお店で出したら、藤本さん驚くだろうなって。あと、セツナちゃんがお店のスイーツ担当なんだとか……えっと」
それから……。
思い出しても、思い出しても、世間話しか出てこない。結城さんに聞かれてマズい話なんて、これっぽっちも無い。
これ以上隠し事があると思われたくない自分の口からは、つんのめるようにして言葉が溢れ出る。
会話に出て来た単語だけがポンポン頭の中に浮かんで、それを繋げようとすればするほど唇が焦りに震え上手く動かない感じ。
うわ。ますます焦るっ。
「花音さん。怯えないで」
結城さんは眉尻を少し下げ、困った様に笑った。
さっきまでの緊迫した一瞬が僅かに緩む。
「何も貴女を怖がらせるつもりは無いんです」
「……ん」
「ただ少し……“痛い”かもしれませんが」
「?」
私の唇に細長い人差し指を添え、彼は確かにそう言った。
(いたい?……って?)
「何も考えず、ココに集中を」
「へ?」
「ホラ、目を閉じて……」
つつ……、と人差し指が唇をなぞる。
目を細めた結城さんの顔が近づいて、吐息がそこに触れた。
「っんん」
「……っ」
絡む吐息と熱い舌。再びの深い口付けに、すぐに意識が持っていかれる。閉じた視界の暗い中でまた溺れそうになる。
甘い波に訳が分からなくなりかけた――。
それを……、
「っつ!?」
プチッと鋭い痛みが突然襲い壊す。
急な事に、私の身体は驚き跳ねた。
ビックリして目を見開くと、結城さんが私から離れた所だった。
突然の痛みは、間を置いた後じわじわと広がり始めて……。
口内に鉄っぽい血の味。下唇にズキンズキンと脈打つ痛みのリズム。
飲み込んだ唾はすっかり血に変わっている。
(うそ……何?)
何で!?
――下唇、噛み切った……てこと!?
「何か零と約束していませんか?」
淡々とした声で結城さんが私に聞いてきた。
さっきまで私の唇に重なっていた結城さんの唇も、血で赤さを増している。
私の血……。
生々しい赤い液体が、彼の色を酷く艶めかしく目立たせていて、それが本当に……怖いほどだった。
「約束……?」
答えると血の味がまた。私は黙って首を振ってから、約束なんかしてない事を伝える。
「またね、ってそんな程度の事しか……」
でもそれは普通の挨拶で。別れ際の当たり前の言葉だ。ちゃんとした約束とは違う。
「また、ですか」
小さく嘆息した結城さんは、自分の唇を親指で拭った。そして、
「まぁ、その程度で何より……と思っておきましょう」
舌先で指に付いた血を舐め上げる。
その仕草が妙に扇情的で。
私はドキッとしながら、でも、結城さんのしたい事が分からなくて、呆然と琥珀色を覗いてみた。
「しかし、花音さん」
「……は、はい」
「言葉には、人には分からない力があるものですよ。この世界にも《言霊》という単語があるでしょう?」
「ことだま……。はぁ……」
「“はぁ……”じゃ、ありません」
ソファーのスプリングが軋む音を立てた。
厳しい表情を間近に寄せて、結城さんは人差し指で強引に私の顎を上向かせる。
勢いに、下唇にはまた強い痛みが走り、思わず眉根を寄せた。痛みが広がらない様にと無意識に唇をキュッと結ぶ。
「忘れないでくださいよ。花音さんが全てを許して良いのは、私だけなのだという事。他の者に気を許すなどとんでもない。特にあの男……零だけには絶対に!」
「……」
「いいですね? 花音さん」
チリチリしてる傷の痛みが胸を騒がす。結城さんの低い言葉は、全身を押しつける様なすさまじい圧をかけてきた。
ざわざわと感じるこの胸の疼きは何だろう?
痛みがいつの間にか甘さに変わる様な、変な気分。この一瞬、一ミリも動けない。
頷く事も出来ずに、私の目にはどういうわけか勝手に涙が滲んできた。
怖いけど怖くない。
痛いけど甘い。
目の前の男が放つ深く濃い支配的な雰囲気に、どんどんと飲み込まれていくのが分かった。
「――約束、ですよ?」
頬を伝った一粒の涙に、結城さんは満足げに微笑んでいた。
私の唇についた血を舐め、傷のある下唇を甘噛みし、吐息の熱さを唇に乗せた後、ゆっくりと全部重ね絡ませて。
痛みを心地好さに変えていく。
キスの途中……息継ぎの数秒、結城さんが私の名前を初めて呼び捨てで「花音」と呟いた気がしたけど……。
それは、甘ったるさに溺れていた私の空耳だったのかもしれない……。




