『告白したいのですが……』3
***
「花音さん、いらっしゃい」
ニッコリ微笑んで結城さんは玄関に現れた。
相変わらずこの人の微笑みは爽やかで、綺麗で、そして色気を漂わせる。
「こ、こんばんは……」
私はまともに相手の顔を見れず顔ごと逸らした。
(い、色気が普段より倍増してる……!)
「これ! 回覧板ですッ!」
「それはご丁寧にありがとうございます。言ってくだされば取りに伺ったのに」
「回覧板は取りに来てもらうものじゃなく、と……届けるものですから……っ」
「フフッ、それもそうですね」
「……」
何も言えず回覧板のファイルを突き出した。視線は斜め下へ。結城さんの足元だ。
私の行動に、結城さんはクスリと笑い声を漏らした。
「……嗚呼、成程。こんなはしたない姿で失礼いたしました。慌てて出たもので」
しっとりした空気とほのかな香りが鼻腔を掠めた気がして。
なるべく視線を動かさない様に、小さな声で「そんな……」と返すしか他ない。
「こちらこそタイミング悪くってすみません……」
結城さんの行動にはいつも驚かされる事多々。そろそろ私の方も、今度はそう来たかっ! て構えられるスキルを身に着けても良い頃だとは思う。
思うけどさ……!
明らかな動揺加減を言葉に乗せてしまった私に結城さんは笑った……のかもしれない。
見れない。視線を上に上げられない。
それは何故か? だって結城さん。
お風呂上りで髪を濡らし、しかも上半身は……は、裸なんだもんっ! 見れるかっ!
「いえいえ。花音さんならいつでも大歓迎ですよ」
「……ははは」
こういう時ってどう答えればいいんだ。
ありがとうございます?
なんか違う。
空笑いの私に、結城さんは一歩近付いた。
「どうぞ上がってください」
彼が動くとシャンプーかボディーソープの爽やかな香りもふんわりと舞う。
香りの密度は距離の表れ。
めまいを起こしそうだ。男性に免疫のない身には色々刺激的過ぎる。咄嗟に私は半歩程後ずさりしていた。
「いえ! 回覧板届けに来ただけですからっ! それに……」
「ご心配には及びません」
咄嗟に逃げるよう後ずさった私を、これまた咄嗟に結城さんの腕が囲む。片手が背中に回り、退路を塞がれてしまった。
おまけに、そんな事されたものだから結城さんの身体はより私の目の前に近づいて……。
鍛えられ均整のとれた身体が目前に迫り、私は心の中で「ぅわあああっ」と叫んでいた。
でも口は結んで、決して声に出しちゃわない様に。
ところが……。
――みゅにゃっ!
叫びを上手く消したつもりでも、身体にはその分力が籠っていたらしい。腕の中で変な鳴き声がした。
忘れてた! 猫!
「ああぁ! ごめんっ」
「何処のものか分からないから、探しに行こうとしてたのでしょう?」
私達を覗き込むようにして結城さんは微笑んだ。そして、子猫をつまみ上げると、
「うちのものがご迷惑をお掛けしました」
肩を竦めて見せる。
「え!? 結城さんちの猫だったんですか!?」
「えぇ」
「あれ? でも以前お邪魔した時には……」
「引っ越して来たばかりで片付けもままならぬ状態でしたからね。他に預けていたんです」
「……あ、そうなんですか……?」
このモデルルームみたいな部屋は、以前来た時と何ら変わらず整然としている。
結城さんの部屋が片付けままならぬ状態だと言うのなら、我が家は夜逃げ直前か空き巣に入られた後か……。苦笑も悲しい。
「預けてと言っても、そもそもが大人しくしている様な性格ではないので……」
ソファーに飛び乗って身を丸くした子猫を横目で見、結城さんは言いかけた。言いかけて、溜息で濁す。
「まぁ……こればかりはどうも……ね」
脱走は二度三度という訳じゃないって?
居ないことに気付きながらも悠々とシャワーを浴びてる辺り、焦って探し回るという時期はとうに過ぎてしまったみたい。
結城さんの困り顔がそれを物語っていた。
ソファーで呑気に顔を洗ってる子猫を、私も苦笑で見つめる。
とんだやんちゃさんなんだね、君は。
心の中で話しかけていたら、
「紅茶でよろしいですか?」
背後のキッチンから声をかけられた。
はい、と答えようとして……思わず呆然と口半開き。
(私ってばっ! 当たり前の様に結城宅へ上がりこんでたーっ!!)
しかも、なに普通にくつろぎモードへ突入しちゃってんのさ!
ホイホイ誘われるがまま部屋に入っちゃってる自分が恥ずかしい。慌てて振り返った。
「いや! 私もう、おいとま……? 結城さん? これからお出かけする予定があるんですか?」
キッチンでは結城さんがお茶の準備をしている途中。そして、彼もいつまでも上半身無防備な姿でいる訳ではない。
真っ白なシャツを着、ボタンを数個止めずにいる姿。
でも、お風呂上りに部屋でくつろぐにしては大分キッチリしているのでは? と思った。
……結城さんなら、まあそんな姿で一日中いてもおかしくなさそうだけど……。
「ああ、私用でちょっと。急ぐ用事ではないのでお気になさらずに。折角ですから、花音さんとお茶でも飲みたいですからね」
だからおいとまするなんて言わないでくださいね? カウンター越しに微笑まれて、私は少し迷ったものの結局「はい」と返事をした。
少しでも時間があるなら一緒に過ごしたい……これは私の本音だけど、結城さんの言葉の中にも似たような意味を感じた気がしてちょっぴり嬉しかったのだ。
急ぎではないとはいえ、この時間から再び外出しようとする人を自分の我儘で引き止めてる様な罪悪感。
けれども、ささやかな誘惑には勝てなかった。
「……じゃあ、ちょっとだけ」
子猫の横にお邪魔しますと座ったら、すかさずその子は膝の上に乗ってくる。
すり寄ってきた小さな頭を撫でてあげると、瞳を細めて気持ち良さそうな顔を見せてくれた。
可愛いなぁ、なんてこっちはほくほくしてしまう。キラリと耳のピアスが指先に触れ、その輝きに目を奪われた私は、ふと、また考えた。
(じゃあ、やっぱりこのピアスは結城さんがこの子に……)
子猫の耳にピアス、なんて普通はあまり考えないと思うけど。
(結城さんの趣味なのかな……?)
私は、痛そうっていう単純な理由でピアスをしてない人なので……なんかちょっと複雑。
猫だって痛かったよね? 初めてつける時は。
掌におさまる頭を撫でつつ、幸せそうな顔の子猫を覗き込んだ。
そっと耳に触ろうとすると、この子は耳をふるふるさせて嫌がる。やっぱり触られるのは嫌か……。
「ふふっ、ごめんね。ピアス綺麗だなって思ったから、ついね」
「お待たせしました、花音さ……ん?」
「はい?」
不自然な語尾の疑問符に顔を上げてみた。
すると、結城さんがアイスティー片手に形の整った片眉をひくりと動かし驚き顔。
あ。珍しい顔、見れた……。
「な……っ」
どうぞ、とアイスティーを手渡され、受け取る私の手は子猫から離れた。
と、そこをすかさず! といった感じで結城さんの手が子猫を摘まみ上げる。
「君は……! 遠慮も礼儀も無く、花音さんの膝の上にのしかかるとは失礼この上ない事を。少し自重なさい!」
「えっ、大丈夫ですよ可愛いじゃないですか! 気にしてませんし、むしろ全然歓迎っていうか……」
「しかしですね、花音さんっ」
「それに、のしかかるって……大袈裟すぎですよー。こーんな小っちゃいのに」
片手で子猫の大きさを表現してみた。
子猫に対して過剰な反応を見せる結城さんの姿に、私は笑ってしまう。
彼は根っからの紳士で礼儀正しい人だけど、猫の躾にまでそれが現れちゃうとは。成長したら、この子はさぞかし品の良い猫になるに違いない。
笑う私に、結城さんは困り顔で溜息をついたものの、自分の手の中で子猫が鳴き声を上げると今度は控えめに微笑んだ。
やれやれ……と言った具合に。
鳴き声がまるで「ごめんなさーい」と言ってる様に、か細く伸びたからだ。
「花音さんは優しすぎますよ」
「結城さんは子猫に厳しすぎですよ」
お許しを得、解放された子猫を見ながら、私達二人の言葉が偶然重なった。
思わずお互い顔を見合わせて……。ふっと自然に笑いが零れる。
「彼は花音さんを気に入っているみたいです」
「え?」
「人に身体を触れさせるなんて、今まで無かった事ですよ。ましてや腕に抱かれて大人しくしているとは。相当ですね」
笑みを浮かべ、私と同じアイスティーを口にした結城さんは隣に座った。
空気が動きまた舞い届く、ほのかな香り。
なんだか急にくすぐったい気持ちになった私は、ストローで氷と紅茶をかき混ぜる。
グラス内では、レモンではなくオレンジがくるくると泳いで。
オレンジティーか。こういう“ひねり”が結城さんらしかった。
「あ……彼って……。この子、オスなんですね! 名前は何て言うんですか?」
オレンジの甘さと紅茶の爽やかな香りが喉を通りすぎる。後味は想像通りさっぱり。
カランと氷がグラスを叩いて、指先の温度を変えていくのを感じた。
私の質問に、グラスを傾けていた結城さんは「ああ」と頷いた。
「ナユタですよ」
「は!?」
「ナユタです」
「……は!?」
つい同じリアクションをしてしまった……!
だって、だって! ねぇ!? ナユタって……。
「ナ、ナユタ君と一緒です……ね……?」
お店でピョンピョン跳ねている男の子を思い出して……。私は引き攣り笑いの中困惑する。
知り合いの名前を自分の飼ってる猫につけるって……? アリなの? ソレ?
「ええ、同じですね」
爽やかに微笑んで結城さん。何の問題も疑問もないという感じで続ける。
「そっくりでしょう?」
「……え、あー……まあ、その……はぁ……」
そういうフワッとした感じでついちゃったんですか? その名前は……。
「似てるっていうか……。うん。やんちゃっぽい感じは似てるとは思いますけど……。私、ナユタ君は人懐っこい子犬ってイメージだから……えっと、」
「イヌ……?」
「ああっ! いや、犬とか猫とかそういうんじゃなくてですね! これってナユタ君知ってるんですか? 結城さんちの子猫に自分の名前が……って? 結城さん?」
キョトンとした表情の後、結城さんは自分の右掌で顔を覆う。肩が小刻みに震え……。
ど、どうしたんだろう?
「イヌですか! それは良いですね! さすが花音さん、着眼点が違う」
「え……あの? 私……」
ククク……と、結城さんは何がそんなにツボったのか笑いをこらえきれない様子で相変わらず肩を震わせていた。
「言い得て妙、とは……まさにです」
「え、何がですか?」
「ああ、失礼。つい」
それ以上は語らず、彼は、私達の足元で何かにじゃれている子猫を見た。
子猫の『ナユタ君』は、丸いふわふわしたボールの様なものに興味津々の様子。
これは……猫用のおもちゃ? 鈴がついているのか、それは転がる度にチリンチリンと甲高い音が鳴る。
「まぁ、ネコでもイヌでも、どっちでもいいんですけどね」
『ナユタ君』を見下ろす結城さんの瞳が、フッと細められ優しい色になった。
言葉とのギャップに、私は思わずドキリとさせられる。
なんだか、“どんな姿でも自分の側にいるなら愛おしい存在なのだ”そんな風に言ってるみたいに聞こえてしまった……。
「結城さんって想像の斜め上って感じです」
「そうですか?」
「そうですよ。名前の付け方も、首輪代わりのピアスも……」
「ピアス……? ああ、これですか」
ひょいと子猫を抱き上げた彼は、『ナユタ君』の耳に光る石に触れた。
黒い小さな体は、ピクッと反応し、そのまま結城さんの手の中で大人しくなる。
そして、にゃあ……と不安げに一声鳴いた。
「彼が私の所に来た時」
結城さんは手の中の存在を見つめながら言った。
「今より小さなこの体は、傷だらけでした」
「えっ……?」
「怪我による外傷が特に酷くてですね……存在しているのがやっとで」
「そんなことが……」
「この耳は、何かに貫かれ放置されていたようです。治療は限界がありました」
「じゃあ、それを隠すためにそのピアスを?」
「奇しくも丁度良い大きさでしたからね。この石はお守りです」
――今度は困難に負けない様に。
結城さんは優しい微笑みで子猫の頭を撫でた。ゴロゴロと喉を鳴らし、結城さんの手に擦り寄る子猫。なんて微笑ましい光景だろう。
……というか、ちょっと羨ましい。
ふわふわと撫でられてる姿をじっと見てる自分に気付いて、慌てて逸らす目。
そうしたら今度は結城さんとバッチリ視線が合ってしまった。
な、何か喋らないと気まずい……っ。
「結城さんの所に来てラッキーでしたね『ナユタ君』。今度は大事にしてもらえる……」
勢いで出た言葉だけど、私は自分のそれに頷けた。
ここに来るまでこの子はどんな辛いことがあったんだろう?
でも、それもいつか忘れられる位、結城さんが大切に育ててくれるに違いない。良かった……!
「花音さんの事はもっと大事にしますからね」
「っは!?」
「嗚呼……。折角、貴女との時間を持てたというのにナユタの話になってしまうとは……」
話題を変えましょう、と結城さんは私の方に改めて向き直り笑った。
(……ちょっと前に放たれた言葉が、すっごーく中途半端に流されてますが!)
結城さん、こういうの多過ぎ!
消化不良のドキドキが、この後一人になった時どんなに悩みの種になるか知らないんだな?
罪深い人だなぁ……。
「今日はどんな一日でしたか? 花音さんの話をしましょう」
「え? 私?」
「はい。何をしていたんですか? 今日は確か……バイトはお休みでしたよね?」
「……そ、そうですけど……」
やっぱりバイトのシフト知ってんですね……何故か。
「それで?」
「え」
先を促す視線が刺さる。
柔らかな微笑みは決して無理強いしていないのに、期待に満ちたというか興味津々というか……とにかく、瞳に宿る音の無い言葉が向けられると、こちらは困ってしまう。
「あの……。そんな面白おかしい一日を過ごしてた訳じゃないんですよ? 私」
「大丈夫ですよ。面白おかしい出来事を期待して聞いてる訳ではありませんから」
「うぅ……。えっと……大学行って、朋絵とランチしたり……。お、お店で藤本さんとお茶したり……そんな程度の事しか……!」
「トモエ……?」
「良く考えたら食べてるかお茶してるかしかしてないですけどっ……。き、今日は特別、本当に何も予定が無かったんです!」
何の弁解なんだかよく分からないものの、暇で時間を持て余し過ごしてるつまらないコと思われたくなくて、私は焦り口を動かす。
その一方、結城さんはそんな事全く聞いて無い感じで、朋絵の名を呟いた後少し考えて……。
「ああ……! 花音さんの一番のお友達、朋絵さんですか。バイト先も一緒の」
「……ですね……」
やっぱり……よくご存知のようで。
その情報網で私の一日も本当は全部知ってるんじゃないか?
……なんて思ってしまいそうになった。
だけど、「藤本さんと一緒だったんですか。随分仲良しになられたんですねぇ」と笑っている所を見ると、やっぱり情報網にも限界がある様子。
「あ、そういえば」
だったらと、藤本さんのオムライスの件も話そうとして、私はそれを……思わず止めていた。
零さんの顔が脳裏にちらついたのだ。
彼から話を聞いて、と説明すれば、当然学食で会った事も言うことになる……。
ここまで彼の名を出さなかったのは意図的にじゃない。ただ単に忘れてたから。
でも、結城さんの零さんに対しての態度や私に向ける警告の事など考えると……このまま彼との事はふせておいた方がいいんじゃ……?
「……“そういえば”?」
「あ。……いえ、藤本さんのお話を色々聞きました。オムライスの事とか……」
「おや。彼はそんな事まで話してくれたんですか」
あれ? 知ってたんだ。なんだ。
でも、それもそうか。お店の常連同士、私なんかよりずっと前から知り合いなら、零さんが知ってる様に結城さんが知ってても不思議じゃないよね。
ひとまず零さんの事は表に出さずに済んだ。
結果隠してる感じにはなったものの、彼と二人でいたと聞いて、また結城さんの「あれほど言ったのに!」的な地雷を踏むのは避けられたのだから……。よ、良しとしようっ。
(――本当に結城さんと零さん、何でここまで距離感あるのかなぁ……)




