32―勝ちを認めなさい
アルベルトの剣捌きには、一切の無駄が無い。
そればかりか、普段の彼のあらゆる所作と同じに、洗練されて美しい。
押されているトシツネは、受け止めたり流したりするだけで精一杯で、防戦一方である。
それでも焦らず冷静でいるところだけは、この師がこの少年に認めるひとつの美点であった。
「まだ肩に無駄な力が入っていますよ。以前注意したことを思い出しなさい」
斜めに繰り出される一閃。
止める刃は甲高く震える。
力の方向を転換し、振り抜かせざまに退避する。
「はい…先生!」
振り上げつつ閃く一筋。
躱す身は反りながら、剣を前方へ。
水平に翳す刃は盾。
突き出される剣先に重なる軌道。
「わたくしがいつものように手加減すると高を括らないことです。これはただの稽古ではないのですから!」
交わる剣戟。
響く金属音。
靴底は地面を滑りながら抉る。
「…はいっ!」
勢いよく押し出されたアルベルトの剣に、トシツネは身体ごと後方に押される。
吹き飛びはしないが、体勢を崩してよろめいた。
容赦なく繰り出されるアルベルトの一撃に、トシツネは辛うじて剣を合わせる。
甲高く震える刃に加わる力を斜めに流し、近すぎる間合いを離すためにトシツネは飛び退る。
「力押しでも、速度でも、普通の人間では魔族に敵いません。教えたでしょう、あなたの最大の武器を」
剣と剣が打ち合わされる。
容赦なく叩き込まれた重みに、トシツネの足は土にめり込んでいく。
アルベルトはトシツネの度胸と冷静さを褒めた。
そしてもう一つ、戦略を与えた。
魔族相手に人間であるという圧倒的不利を埋めるには、脆弱な人間であるということに油断をさせて、その隙を好機に変えるしかないのだと。
「…でも、先生相手には、通じません!先生は、わたしのことをよくご存知ですから」
話す余裕など本来無い。
それでも声を絞り出すのは、アルベルトの想いに応えることがトシツネが闘う意味だからである。
「いいえ、できます。あなたにそれができるということをこそ、わたくしはよく知っています」
ギリリと骨の髄まで震わすような摩擦音を発てて、剣が擦れ合う。
押し負けて腰が沈む素振りを見せながら、次の瞬間それを覆し、凄まじい瞬発力でトシツネはアルベルトの剣を弾いて見せた。
跳び退ったアルベルトは満足気な微笑みを浮かべて、赤い瞳を肩で息する弟子に向けた。
「ね。できたでしょう?」
息つく間もなく、素早い攻撃が烈火のごとく連続して、アルベルトから繰り出された。
トシツネはどうにかそれを受け止め、その度に刃が打ち鳴らされる。
閃く軌跡の輝きに目がおかしくなりそうなほどに、次々に剣戟が交わる。
「信じる価値のある相手を見極めて、もっと信じなさい。そしてその相手が信じるあなた自身を、誰より信じなさい!」
返事をする余裕は無い。
防戦一方の姿勢の中で、トシツネはわざと隙を左下に集中させていく。
アルベルトの狙いも自然そこに引きつけられ、トシツネから見て右上――師の左肩辺りに僅かに隙が生まれ始める。
防御のために剣を使わざるを得ない中、トシツネはその身体の向きを強引に捩って、アルベルトの左肩に体重を捻じ込んだ。
「――っ!!」
二人分の体重を乗せたアルベルトの靴が、土を削ってジリジリと線を引く。
振り払われる寸前、トシツネはアルベルトの膝を蹴って跳び上がり、高い位置から剣を振りかぶった。
キィイイン――と、一際うるさく剣戟が鳴り響いて空気を震わす。
その一撃を素早く受け止めたアルベルトだが、ほんの数秒僅かに押し負けていた。
勢いをつけて弾き飛ばそうと押し返したアルベルトの力を、反動に利用してトシツネは跳び上がる。
もう一度振り下ろされた上からの一撃に、僅かに対処が遅れて受け止めたアルベルトの剣は、理知的な美貌に触れる手前まで沈み込む。
打ち合わせた銀の輝きの下に、少年は師の心からの笑みを見た。
「…あなたにはその目がよく似合います。無鉄砲に見えて本当は違う、捨て身になれるほどに真摯な、一途な想いを宿した目が」
剣を受け流すために身体を捩ったアルベルトの懐に、トシツネはすかさず飛び込む。
体当たりなぞしたところで、倒れるアルベルトではないと、トシツネは思っていた。
しかしトシツネのぶつかっていった方向にそのまま、アルベルトの身体は雪崩れるように傾いていった。
ずいずいと地面を滑って止まった長身の上に、トシツネも倒れ込んだまま同じ距離を運ばれる。
二人とも、剣は手放していた。
「…先生?」
焦げ茶色の髪を、大きな手が優しく撫でた。
「あなたの勝ちです」
優しい声でそう言うと、アルベルトは柔らかく微笑んだ。
「わたくしには無い光を、あなたは持っています。陛下があなたを愛したことが、偶然であるはずがありません」
焦げ茶色の目を見開いて驚くトシツネは、頭を撫でられながら、アルベルトの身体の上で動けなくなっていた。
「何を驚いているのです?負けたと思わない相手に、最も大切なものを譲る者がいますか?」
穏やかな声色にはもう、憤りは感じられない。
ゆっくりと首を横に振って、トシツネは茫然とアルベルトを見下ろす。
「勝ちを認めなさい。堂々と陛下のお傍にいなさい。でなければ、負けたわたくしが憐れでしょう?」
頭を撫でる手を止めて、アルベルトは静かに焦げ茶色の瞳を見据えた。
数舜の沈黙の後、トシツネはゆっくりと頷いた。
「はい、先生」
人のいない客席が歪み、闘技場が崩れていく。
見えていた世界が崩壊すると気づいても、恐怖は無かった。
トシツネが立ち上がれば、アルベルトも立ち上がろうとする。
助け起こすための手を差し伸べれば、その弟子の手を師が取った。
エルフリーデの言葉を思い出す。
女王の従者は、トシツネを見捨てない。
それが事実であったことがこうして証明された。
その彼女を、信じられないはずがない。
崩れ去った景色の後に彼らの目の前に映ったのは、木造の建築物の壁だった。
誰かの気配に振り返ると、そこにはよく見知った二人の男がいた。
「おや、アルベルト殿にトシツネ殿」
声をかけたのはギュンターだった。
その隣にはヨハネスが立っている。
「その祭壇のようなものは何なのでしょうか?」
彼らの背後にある祭壇のようなものに気づいたアルベルトが、疑問を投げかける。
見回せば、そこは宗教的建造物の中であるようだった。
「さあ、わからないのです。わかることといえば、どうやら朝が来ているらしいということくらいで」
その部屋を照らす光源を振り向けば、格子状になった扉の上部から日の光が差し込んでいた。
「あの、陛下はこちらにはいらしていませんか?」
トシツネが問いかけるが、ギュンターもヨハネスも首を横に振る。
「いいえ。陛下のことなら、トシツネ殿が一番よくご存知かと思ったのですが」
トシツネは、ミカゲと対峙したエルフリーデを遺して来てしまったのだろうと察して、肩を落とす。
「陛下はまだあの山に?」
アルベルトの問いかけに、トシツネは頷いた。
「ミリヤムは…見かけませんでしたか?」
ヨハネスが問いかけるが、誰もが首を横に振った。
「待っていれば、お二人もここにいらっしゃる可能性はあるでしょう。ですが、そうでない場合のことも想定して動いた方がよろしいでしょうね。わたくしは、一度外を見て戻って参ります」
アルベルトが戻るまで、残りの三人はこれからの行動を思案した。
退避用に準備していた魔道具が手元にあったので、移動手段は確保できる。
わけのわからない空間からは脱したというのに、最も安否の気になる女性の姿が見えないことに、男四人は浮かない表情を浮かべていた。
戦闘シーンが続いてましたが、恋愛というジャンル設定を裏切らないよう、恋愛メインのシーンは今後のお話で書いていくつもりですので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




