31―好敵手との賭け勝負
意識が覚醒する。
夜の暗闇から、眩しい空間へ放り出されていた。
そのことに気づいたと同時に、もう一人の男もまた同時に意識を取り戻したらしい気配を感じ取る。
太陽の無い青空の下には、観客のいない客席に囲われた円形闘技場。
その舞台には自分と、恋の好敵手である男の二人だけ。
閉め切られた門扉を視認すれば、退路の無いことは明白。
そこにいるのは、ギュンターとヨハネス。
互いに同じ状況に立たされた彼らは、全てを悟ったような気配を纏って対峙した。
「ここに立っているのが僕たち二人であることは、偶然なのか必然なのか、どちらでしょうね」
中性的な美貌に闘志を漂わせながら、ギュンターの上品な薄い唇が先に開く。
「さあ、どうでしょうね。けれど俺にとっては好都合です。他の誰かでは、俺は戦う意思なんて持てなかったでしょうから」
小麦色の健康的な肌を輝かせ、精悍な顔立ちに闘志を漂わせて、ヨハネスの唇が開いて答えを紡ぐ。
「僕はこう見えても現役軍人ですよ。学者のあなたに、勝てる見込みがあるとお思いですか?」
珍しく挑発的な笑みを浮かべたギュンターにも、ヨハネスは動じる素振りを見せない。
「舐めないで頂きたいですね。ミリヤムに槍を教えたのは俺の兄です。その兄に鍛えられてきた俺も、槍の腕でミリヤムに劣るつもりはありませんよ」
ヨハネスは、同じように挑発的に微笑み返す。
彼らは、正反対の特徴を多く持ちながらも、この時まるで鏡のように応じ合っていた。
「ほう。それは僕にとっても好都合です。弱者を一方的にいたぶるのは、趣味ではありませんからね。魔法は無しにしましょう、それでフェアでしょう」
二人とも理解していた。
この状況が整えられていることの意味は、ひとつしかない。
戦え、ということなのだと。
「ひとつ、賭けをしませんか。勝った方が、先に総帥に想いを伝える権利を得るというのは?」
ギュンターが悪戯気に微笑めば、ヨハネスもまた悪戯気に微笑み返す。
「望むところです。俺が勝てば、ミリヤムへのセクハラを止めて頂けるんでしょうね?」
「僕のアプローチをセクハラなどと称されるのは不本意ですが、ここで負けたらあなたが総帥に振られない限りにおいて、総帥のことは諦めるとお約束しましょう。そちらこそ、僕が勝って、もし総帥にプロポーズまでしたとしても、焦って止めに入らないでくださいね?」
「男に二言はありません。さっさと始めましょう」
たかが恋、されど恋。
その情熱が心に燃え上がる彼らには、それは命を賭すほどの価値のあるものだった。
こんな時に不謹慎であるとか、そんな場合ではないという考えも浮かばないではない。
それでも、競い合う男が二人闘いの機会を得たならば、勝負をつけたいと望むのは不自然ではない。
古めかしい決闘にも似たこの舞台で、ひとりの女性を巡る男と男の闘いを始めるために、彼らは武器を構えた。
開始の合図も審判もない。
先に動いたのはヨハネスである。
槍の穂先が一瞬のうちに弧を描き、空を切り裂いて唸る。
キィン――と響く金属音。
左足を狙ったその一撃を剣で受け止め、ギュンターはその勢いのまま槍を跳ね上げながら剣を振り上げる。
剣と槍では間合いが違う。
距離を詰めて肩を狙うギュンターの無防備になった脇腹に、ヨハネスの左足が繰り出される。
咄嗟に左斜め前方へ転がり出てそれを避けたギュンターは、素早く起き上がってヨハネスを振り返る。
武器を構え直し、彼らは一度動きを止めて見合った。
ライトグレーと山吹色の瞳が視線を交差させる。
「軍人にも引けを取らないその身のこなし、ただの学者と侮ったことを詫びましょう」
「こちらこそ、その綺麗なお顔を傷つけまいと遠慮していましたが、そんな余裕はなかったと考えを改めたところです」
ヨハネスの逞しい腕に振り回される槍がうなりを上げる。
それを受け止めるギュンターの剣が、目にも留まらぬ速さで閃く。
連続して繰り出される攻撃の僅かな隙を突いて、攻守が交替する。
そしてまた僅かな隙に、立場が入れ替わる。
腕に伝わる重みと振動、鳴り響く剣と槍。
武器を打ち合わせるだけの攻防が続くが、狙いの無い無暗な攻撃はひとつもない。
心地良いせめぎ合いを繰り返せるこの相手はまさに好敵手と、拮抗する力がぶつかる度に彼らはお互いを認め合った。
ガンッ――と打ち合わされた重い一撃に、ギリギリと武器を押し合う刹那が生まれる。
「ミリヤムの左尻には、親指くらいの大きさの花弁型の痣があるんですよ。ご存知でしたか?」
ヨハネスの言葉が、ギュンターの脳裏に想い人の見たことも無い場所の幻を描く。
押し負けたギュンターが剣ごと槍の勢いに弾かれ、後方に転がる。
ぐるりと一回転して起き上がったギュンターに、追い打ちをかけるようにヨハネスの槍が突き出される。
それを横向きにした剣を盾代わりに止め、ギュンターは弾き返した。
再び渾身の一撃が打ち合わされ、甲高い音と共に押し出す武器が擦れ合う。
「寝台に押し倒した総帥を見下ろした時の、愛らしく呆けた表情は絶景でしたよ。その後どうしたと思います?」
ギュンターの言葉の意味を理解していくほどに、ヨハネスの中に嫌な憶測がいくらでも溢れて来る。
押し負けたヨハネスが大勢を崩すところへ、ギュンターの剣が振り下ろされる。
咄嗟に横へ転げて避けたヨハネスが起き上がる間際、地面に刺さった剣を支点にギュンターはその上へのしかかった。
槍を持つ腕の動きを止めるために、刺さった剣を引き抜いた腕で押さえつける。
心理的に揺さぶりを掛け合うなんて、常ならば卑怯と思わないでもなかったかもしれない。
こうなっては、正々堂々とした男同士の闘いであるのかは本人たちにも疑問であったが、しかし彼らの闘う意味は、結局のところミリヤムの取り合いなのである。
見た目は武勇を競っているようではあっても、その実は一人の女性が欲しいだけの二人なのだ。
「華奢な見た目の割には鍛えていらっしゃいますが、大した重さではありませんね」
全身の筋肉に力を込めてギュンターを跳ね除けようとするヨハネスの意図に気づき、ギュンターはその僅か前に飛び退った。
跳ね起きたヨハネスと、姿勢を正したギュンターが、再び真っ直ぐに対峙する。
「そちらは重い分、瞬発力はあっても速度を保つのは苦手のようですね」
交わる視線と感情は、ほとんど同質のものである。
静寂が産む緊張を破って閃く刃の輝きは、伝う汗を散らして動き回る二人の間に、幾筋もの軌跡を描いては消えた。
打ち合わされる武器の唸りと震えを、それから何度腕や大気に響かせただろうか。
疲労と、蓄積された痛みが、徐々に彼らを苛んでいく。
一瞬でも気を抜けば負けるということはお互いにわかっていた。
隙を探り合いながら、執念で耐久を競う。
ついに力の拮抗が崩れた。
槍がヨハネスの手を離れ、遠心力に任せてぐるぐると回転しながら放物線上に宙を飛んで行く。
その小麦色の喉に剣先が向けられ、二人の動きはぴたりと止まる。
数十メートル先で、槍が地面に転がった。
「僕の勝ちですね」
「俺の負けです」
その言葉と共に、世界が崩れ始めた。
分解されていく虚像のように、視界が捩れながら色を失っていく。
何が起こっているのかわからない状況に、ギュンターは剣を鞘に納める。
「落ち着いたら総帥に告白します。それまでに何度か口説くかもしれませんが、セクハラだなんて苦情は受け付けませんよ?」
こんな状況でも。
こんな状況だからこそ。
愛しい女性のことばかりがギュンターの頭を支配していた。
「ええ、どうぞ。でも、シュレンドルフ公が振られたら、俺がもらいに行かせて頂きますよ」
答えるヨハネスもまた、崩れていく世界の中で、あの太陽の様な笑顔への恋しさを募らせる。
やがて二人の足が地に着いた。
そこは木造の宗教的建造物の中のようで、二人の前には祭壇らしきものがある。
横開きの扉の上部は格子状になっており、その格子から光が差し込んでいた。
朝が訪れていたのである。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
9月は毎日12時に更新してきましたが、執筆速度の都合によりまして、10月は更新間隔をちょっとずらして投稿させて頂きたいと思います。
もともと長ったらしい物語なので、先が見えなくなるような時間をあけたりはしないよう心掛けたいと思っております。
今後も何卒お付き合いいただけますと幸いです。
ご愛読、お立ち寄りくださいます皆様に、今一度心より感謝申し上げます。




