26―土の下を蠢く胴
ヨハネスが歩いているのは、単なる平地である。
軍人でもなく護衛の心得もない彼を女王がこの地の担当に割り振ったのは、気遣いかもしれなかった。
ここに蓄積された魔力は、土属性である。
“土”という魔力属性の分類は、アルテンブルク王国では定義されていない。
土とは、地表を覆うあらゆる物質・物体の混合物を指して言うものであり、それを対象として効力を発揮するに特化した魔法属性というものが存在しないのである。
正確には他の属性の名称についても、風魔法は気体、水魔法は液体に働きかける力であり、それぞれに風や水に限定して効果を及ぼすものではなく、これらは便宜上の名称である。
固体に働きかける有用な属性については、重力、空間などが挙げられるのだが、これはその性質と原理から、土や岩といった名称では一般に受け入れられづらいだろう。
よって、この地に蓄積された土属性の魔力というものは、人為的にその属性を操作されたものであろうと考えられた。
この土属性の魔力は、自然の状態では見られない、土にのみ働きかけることに特化した魔力である。
木属性にしてもそうである。
これらの特殊な属性を含む魔力の存在だけでも、陰陽師と名乗ったミカゲとの関連を想起せずにはいられなかった。
ヨハネスには、魔力そのものを視る、魔視の力がある。
この地点を見つけたのも彼本人であり、そこに辿り着くに特に困難は無い。
彼にとって問題があるとすれば、彼の持つ魔力属性は攻撃にも防御にも向かないということである。
敵が現れた場合の対処は、物理攻撃に頼るしかない。
「何もお出ましでなければ、それでいい。魔力は使用者がいなければ、ただそこにあるだけで害の無いものだ」
楽観視しているわけではないが、それに越したことはないという願いは当然のものと言えた。
しかし、そうはいかないのが現実である。
魔道具で辺りを照らしながら、魔力が貯まっている地点に近づく。
それまで別段変わったところの無かったその場所の地面が、不意にボコリと盛り上がった。
「…魔力は持っていない。自然界の生物か?」
ボコリと盛り上がっていたそれは、そのままガバリと起き上がった。
土をはらはらと散らせながら地表を突き破って出てきたそれは、人間の胴に見えた。
手足は無い。
首も無い。
「これでは、何もできないだろう」
それがもし生きていたなら、ヨハネスが口走った通り何もできなかったかもしれない。
しかし土気色をして生気のないそれは、どうやら自らの意思でなく動かされているようで、ヨハネスに向かって突撃してきた。
シュッと空を切る音と共に背負っていた槍を抜いて構えたヨハネスは、その胴を石突で突いて押し留める。
「魔力の使用者は…周囲に見当たらないか。だとすればこれを動かしているのは、それ以外の力。呪術あたりか」
妙だった。
調査のためにヨハネスは既に一度ここを訪れていたが、その時はこんなものは出てこなかったのだ。
あの時とどう条件が違うというのだろうか。
ブンッと音を発てて槍を振り、石突に纏わりついたままだった胴を遠心力に任せて投げ捨てる。
しかしそれは、また起き上がって彼に向ってきた。
「壊しても構わないのだろうか」
動いてもいなさそうな心臓を槍の穂で突いてみてもよいものか、数舜悩んだ挙句に、ヨハネスは思い切ってグシャリとやった。
血は出てこない。
「感触からして、骨と肉だけでできているのか。しかしこれは…」
その違和感を何と表現していいのか、思いつく前に新たに土が盛り上がり、それがそのままモグラかミミズのように地表を盛り上げながら地中を突進し、ヨハネスの眼前で飛び上がって襲い掛かってきた。
すかさず槍を打ち込み、ヨハネスはその奇妙な胴を貫く。
しかしこの胴、腹に穴が開いているというのに、槍に突き刺さったままでまだヨハネスのほうへにじり寄ろうともがいている。
蹴りで槍から抜いてその足で踏みつけ、心臓を刺してやると、ようやくそれは大人しくなった。
「生きてもいないのに、心臓が急所とは。皮肉な奴だ」
また土が盛り上がるのを、彼は視界の端に捉えた。
それもひとつではなく、複数である。
小さく舌打ちをして、ヨハネスは槍を構え直した。
向かって来る胴を、まとめて槍の軌道で叩き落し、手近なものから心臓を潰した。
再度起き上がって向かって来た一体を一突きにし、背後に迫ってきたものを蹴り落し、その心臓を突くと同時に反対方向の一体を石突で留めて蹴り落す。
故郷の村で兄に鍛えられた彼の槍の腕は、軍人に勝るとも劣らない。
そのことを自慢げに語ったりはしないので、知る人は少ないのだが、彼とて己の持つ魔法属性が攻撃にも防御にも向かないという弱点を補うために、何もしないで生きてきたということはない。
そうしながら、学者である彼にとっては当たり前とも言えることだったが、対象を観察することも忘れていなかった。
どうにも不気味なことに、それらの胴は全て同じものを複製したかのように、骨に至るまで同じに造られていた。
その気味悪さをも振り払うように、ヨハネスは槍を振るい続ける。
「だが、これではキリがない」
退避の準備を整えようと、ヨハネスは持ってきた魔道具をいかに活用するか逡巡しつつ、迫りくる胴をいなす。
もういくつ、心臓を潰しただろうか。
その度に腕に伝わってくる感触は、決して気味の良いものではない。
相手は生きてはいないものとわかってはいても、はっきり言って、あまり続けていては気が滅入りそうだった。
最近開発されたばかりで希少だと言う、風魔法を宿した長距離移動用の魔道具でその場から逃げてしまうのが、最も容易に思われた。
緊急時用にと持たされた青い転移水晶の、対のもう一つ――つまりこれを使った際の転移先は、皇城東の離れ棟であるが、これは上記の魔道具以上に貴重だと聞かされているので温存したいところである。
対人用の目くらましや、対獣用の捕獲網などの残りの道具は、言うまでもなくこの場では役に立たない。
方針を決めたヨハネスは槍を振り回して、纏わりつこうとしてきた胴を全て振り払うように叩き落した。
そして長距離移動用の魔道具を取り出し、素早くそれを作動させる。
(あいつは今頃、無事でいるだろうか)
その時ふと、幼馴染の太陽のような笑顔が脳裏を過った。
今やアルテンブルク王国軍総帥の地位にまで上り詰めた彼女に、何事もないであろうとは思っている。
それでも彼女のことが気になってしまう理由というものにも十二分に思い当たる彼は、魔道具で宙に浮き上がりながらフッと自嘲気味に笑った。
(何、こんな時にあいつのことなんか、気にしてるんだ)
美貌の貴公子に見つめられながら甘い言葉を吐かれて、赤面した彼女のことを思い出す。
チリリと胸を焼く痛みの名前が嫉妬だと知るなんて、とことん気分の悪い話だった。
突然何かに叩き落された感覚に、我に返る。
気配を感じなかったのは何故かと自問し、情けない答えに思い当たった時には、意識が途切れていた。
その最後の瞬間まで、琥珀色の瞳の輝きが瞼の裏にこびりついて、残像になりそうなほどに眩しかった。
ヨハネスとテレーゼあたりを最終的にくっつけるのはどうかと…思ってみたこともありましたが、合わなさそうですね。




