27―達磨の目
タマサキ山の頂上にいると言ったミカゲのもとへ、エルフリーデは飛行して向かった。
霧に覆われた山頂にはいかにもといった風貌の屋敷があり、それを囲うように季節外れの彼岸花が凍り付いたままに色形を保って生えていた。
訪ねてみれば案の定、ミカゲが迎え入れる。
「ようこそ、我が屋敷へ」
目深に被ったフードの下で、ミカゲの口元が嬉しそうに綻ぶ。
それを見たエルフリーデは、反対に秀麗な眉を顰めた。
「素直に嬉しいのですよ、貴女様にまたお会いできて」
その表情への答えのようにそう言うミカゲは、壁際に飾っていた一体の赤く丸みのある人形のようなものを手に取り、弄び始めた。
「…その玩具は何だ?私を馬鹿にしているのか」
ミカゲはクツクツと肩を震わせて笑う。
「ご存知ありませんか?達磨というのですよ。これは、目を入れれば完成します」
余計に不機嫌を滲ませたエルフリーデは、顰めた眉の下の視線を更に鋭くする。
「願をかけて左目を入れ、願いが成就した時に右目を入れるのが一般的です。この達磨の左目は、ヴィンフリートという男がこの世から消えた時に入れました」
エルフリーデの美貌に緊張が走る。
やはりこのミカゲという男は、あの件を良く知り、また関りがあるのだ。
「本日女王陛下をご招待した催しというのは、達磨の完成を祝う祝賀会です。もっとも、貴女様に完成させてお見せしたいのは、もっと良い達磨ですがね」
笑みを深めるミカゲの一挙一動に、エルフリーデは警戒する。
戯言を並べ立てているようにしか思えないこの男の真意を、彼女は測りかねる。
「ところで、ローゼンシュトラウス子爵もご招待したはずですが?」
僅かに渋る気配を見せた後、エルフリーデは固有空間を開いた。
緊張した様子のトシツネが、そこから外へと踏み出した。
「他の皆様はご一緒ではなかったのですね。…まあ、いいでしょう。後夜祭には嫌でもお越しいただくことにしておりますから」
彼女の臣下たちを自分の一存で動かせると言わんばかりのミカゲの言動が、女王には不愉快極まりなかった。
だがそんなことにいちいち抗議をする彼女でもなく、トシツネの安全だけは守ろうと、彼を斜め後ろに控えさせて片腕を庇うように伸ばしていた。
「ローゼンシュトラウス子爵、女王陛下の陰にお隠れになって、怖いのですか?」
そんなトシツネを挑発するように、嫌味ったらしい声色でミカゲは話しかける。
「そんなに怖ければ、スカートの中にでも隠して頂けばいかがです?その中を覗く勇気もまた無いのだとすれば、せいぜい背後で怯えているしかないのでしょうがね?」
ミカゲがクスクスと耳障りな笑い声を発する。
トシツネは俯いて赤面していた。
彼とて安い挑発だとわかってはいるのだが、どうにもエルフリーデたちのように強くはあれない。
「動じるな。何も感じる必要はない」
そんなトシツネに、エルフリーデは優しく声をかけた。
それだけでトシツネの心は温められていく。
「合理主義も考え物ですよ?生命の存在意義なんて初めからどこにもありはしないんですから。楽しまなければ損というものです」
ミカゲのその声は、エルフリーデにとって耳障りな騒音でしかなかった。
それでもその場に我慢しているのは、呪いによってこの国の人間たちを人質に取られているからである。
「そんな話は私にとって娯楽にもならない。どうすればこの土地にかけた呪いを解く気になる?要求を言うがいい」
冷めきった声を凛と響かせる女王に背を向けて、ミカゲは背後にあった大きな箱のようなものから、覆い布を取り去った。
「せっかちにがっつく貴女様も魅力的ですが、まずはゆっくりと、余興を一緒に鑑賞して頂きましょうか」
それは水槽のような透明なガラス張りの箱で、中には無数の丸いもの――眼球が蠢いていた。
眼球に纏わりつく筋肉などは見られないことから、それは誰かから抉り出したようなものではなく、もとからその状態に造り出されたものなのであろう。
エルフリーデとトシツネの視線を釘付けにしたのは、その瞳の金色である。
見紛うはずのないその色が誰のものか、彼らはよく知っている。
「これは右目です。左目はもう入れてあるんですよ。わたくしが願をかけた、特別な達磨にね」
振り返ったミカゲは、トシツネのほうへ向かって真っすぐ歩を進めた。
僅かに後ずさるトシツネの前に、険しい表情の女王が立ち塞がる。
「おやおや、随分と過保護でいらっしゃる。それとも束縛と言うべきでしょうかね?恋人の話し相手まで、貴女様の一存で制限をしたいのですか?」
冷やかすような、蔑むような声でミカゲが挑発する。
「私に恋人などいない」
表情の読めない声を発するエルフリーデの後ろ姿を見上げながら、トシツネの胸は痛んだ。
何でもない彼を守るために、彼女はいつまでも彼の盾になろうとしている。
中途半端に関係だけ切っても彼女の心を呪縛のような義務感から解放できないなら、いっそ潔くこの世から去っていればよかったのではないかという思いまで過る。
だが今は、そんなことを考えている場合ではない。
「これはこれは、どちらがどちらを捨てたのやら?」
フードの下で、隠れた瞳が動いている気配がする。
その視線をトシツネの上で止めて、ミカゲの口元はにやりと意地悪気に微笑んだ。
「ああ…いくら美しくとも、紛い物の美貌ではお気に召しませんでしたか」
そのミカゲの言葉の意味を解した時、トシツネの中で何かがぷつりと切れた。
「違う!陛下を紛い物だなんて…そんなこと、次に言ってみろ!絶対に許さない!」
驚くほどの剣幕で大声を上げたトシツネは、ミカゲを鋭く睨めつけながら前に進み出た。
「待て、トシツネ!下がっていろ!」
慌てて押さえようとしたエルフリーデの腕もすり抜けて、彼はミカゲに近づいて行ってしまう。
「貴方に何ができるのです?何の力も無い、か弱いだけの貴方に?惚れた女を守ることも、手に入れることもできず、指を咥えて見ているだけの臆病者に」
ミカゲの腕が伸ばされる。
「トシツネに手を出すな!消すぞ」
エルフリーデが低く凄む声が響いたのと同時に、トシツネの手首は強く掴まれていた。
「わたくしを消せば呪いを解く方法がわからないままですよ?いいのですか、彼の故郷が地獄に変わっても」
ギリと奥歯を噛み締めて、エルフリーデは纏っていた魔力により発せられた青い光を収めた。
ミカゲはトシツネを自分の側へ引き寄せる。
その力は思いのほか強く、トシツネには抗うことができなかった。
絶世の美貌に苦悶が浮かぶのを眺めながら、ミカゲは悦楽に思わず口を開けて笑んだ。
「ああ、なんて良い表情をなさるのですか!それを見るのは、もっと後の楽しみだと思っていたのに!」
強く掴まれた手首から、トシツネは感じ取った。
このミカゲという男がエルフリーデに抱いている感情は、拗らせた恋慕を歪めた執着に近い何か――。
「――余計な詮索は不要です」
突然冷たい声を発したミカゲは、トシツネの手首を支点に彼を振り上げ、背後にあったガラス張りの箱の中に投げ入れた。
「なっ!?」
無力な少年は、眼球の群れの中に成す術もなく落ちていく。
「トシツネに何をする!?本当に消されたいのか!」
エルフリーデがミカゲに掴みかかるが、フードの下の口元は笑みを浮かべたままだった。
「そう焦ることはありませんよ。彼には少し、余興に協力して頂くだけです。きちんと出て来られると思いますよ?選ばれるのは、最も優秀な目なのですから」
ガラス張りの箱の中、眼球の群れが一斉にトシツネに躍りかかるのが見えた。
それを見たエルフリーデは青い光を弾けさせようとしたが、それも何かに阻まれる。
「おっと、そのガラスは魔力を通しません。無駄ですよ。何せ、神代の遺産なのですから」
そんなガラスの存在を、魔族の女王は知らなかった。
しかしそれもどうでもいい。
トシツネは、襲って来る眼球を懸命に剣で薙ぎ払っている。
それを助けられない歯がゆさに、エルフリーデは美貌を歪めて荒い呼吸をする。
「返せ。私のトシツネを」
「恋人ではないのでしょう?では何ですか?臣下ですか?」
「…違う。それでもあれは、私の――」
苦し気に言葉に詰まる美貌の女王を、ミカゲは愛でるように眺めた。
「何でもないのでしょう?認めてはいかがですか?貴女様は、捨てられたんです。所詮紛い物には、紛い物がお似合いです。どう足掻いても本物にはなれないのだから…わたくしとひと時の夢を見ましょう」
「そんなことはどうでもいい。私はただ、私が守りたいものを守るだけだ」
毅然と言い放つエルフリーデを嘲笑うかのように、薄く開いたミカゲの口元から耳障りな笑い声が漏れる。
「何故、こんなことをする」
「意味の無いものほど愉快で美しい。貴女様にも思い当たることがございませんか?」
測りがたいミカゲの言葉の真意よりも、その背後のトシツネが気になって、エルフリーデは青い瞳をそちらへ向けた。
眼球の群れは、トシツネの目を狙っているようであった。
潰せば二度と襲って来ないと気づいたトシツネは、飛び掛かって来た眼球から剣先でぐしゃりと潰していく。
その感触がおぞましいのか、エルフリーデが愛してやまない焦げ茶色の美しい瞳に不快と疲労が滲んでいる。
「余所見をしないでください。せっかく貴女様から迫られるのはいい気分だと、思っていたところなのに」
掴みかかったままだったミカゲに視線を戻し、エルフリーデは冷めた青い視線を向ける。
「お前の目的は何だ?」
その時エルフリーデは、フードの下の口元の、薄い唇に見覚えがある気がした。
だが彼女は、咄嗟にはその記憶を手繰れない。
「享楽ですよ」
愉快気な声が答えると、見知っている気のする唇が動く。
「創造主が作品を愛でる、そんな当たり前のことを忘れて犬死した男の代わりに、わたくしが愛でようというのです」
記憶を手繰り寄せる。
造るということに並々ならぬ思いを抱いていた男を、彼女は知っている。
「この世界に存在意義などあるでしょうか?ねえ、女王陛下。どう思われますか?」
その男の名を、既にミカゲは口にした。
『創造力の欠如した現代魔族の皆さん』――そう言った男の声が蘇る。
「どうせ何もかも意味など無いのなら、楽しみましょう。紛い物の生をもって、造り物の美に酔い、夢幻を愛でたとて、誰に責められましょうか」
気持ち良さそうに持論を説くミカゲのフードに、エルフリーデは白くたおやかな指をかけた。
それをふわりと捲って、その下の顔を晒す。
抵抗はされなかった。
血に塗れたような赤い髪、蛇のような鋭い眼窩から覗く白い瞳。
「ヴィンフリート」
その名をエルフリーデが口にすれば、ミカゲはにまりと嬉し気に笑う。
「かつてはその名を貴女様に――いえ、貴女様を似せた女性に呼ばれることを、あの男は嬉しいと思っていたようですね。オリジナルのくせに、そんなことも忘れ去って、破壊のみに走った憐れな男です」
その見た目はヴィンフリートと同じだった。
だが、声は違う。
それにどうやらこの言いようでは、このミカゲという男はヴィンフリートの複製品ででもあるのか。
「この山の名は、古くは“魂裂山”と表記されたのですよ。この国の民にすら忘れ去られていますが、ここは霊山です。神秘の力を最大限に引き出す素晴らしい山なのです。魂を裂くのに、これ以上の場所はありません」
魂を裂く、という言葉にエルフリーデは眉を顰めた。
エファから魂の一部を分離したヴィンフリートの技というものは、この山に関連があったのだろうか。
「魂分けを済ませた後、新たな身体と名を得たわたくしは、ミカゲです。ですから、どうぞそうお呼びください、女王陛下」
頷く代わりに、アルベルトの炎で燃え尽きたあの男のことを思い出した。
魂分けをしたということはつまり、ミカゲという器と名にヴィンフリートの魂を分け入れたものが、今目の前にいる男であるということか。
存在ごと消し去るあの炎によってミカゲが消えなかったのは、新たな名を持ち別の概念として存在していたからである、という仮説が立てられる。
「呼んでくださいよ、女王陛下。わたくしは、ずっと貴女様にお会いしたかったのです」
ミカゲの懐から取り出されたのは、一輪の凍った赤い彼岸花であった。
受け取りもせずそれを見つめるだけのエルフリーデは、測れぬ思惑への戸惑いにしばらく沈黙だけを落としていた。
お読みくださっている皆様に感謝感謝です。
書きたかったシーンに近づいてきて今とっても楽しいです。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。




