25―溶岩から噴き出す足
アルベルトは、イヅノメ皇国でも有名な活火山の火口を目指していた。
この地点に不自然に貯蓄された魔力というのは火属性で、そしてその煮え立つ溶岩の中にあるらしい。
そんな場所に近づくことはできない――否、魔法と魔道具を駆使すればできないことでもないが、現時点でその指示は出ていないので、様子を見て情報のみを持ち帰るつもりでいた。
彼の主君が『深追いは禁ずる』と明言した以上、無事な姿で彼女に報告するのが、忠臣たる彼の義務であるとアルベルトは思っている。
既に火口付近まで来ている。
立ち上っているのは煙か湯気か、白く揺蕩いながら天へ昇っていくものを、アルベルトは理知的な赤い瞳で見上げた。
彼の衣服には温度調節魔法が施されているために、熱気も寒さもほとんど感じないのだが、その火口に何の用意もなく落ちれば即座に灰と化すのであろうということは、容易に想像できる。
魔道具で周囲を照らし出し、降り積もった灰を踏みしめながら、その中でまだチリチリと赤い熱を煌めかせる塊を避けて進んだ。
そうする間にも思い出すのは、彼にだけは感じ取れた、主君の常ならぬ心乱れた青い瞳である。
(陛下は、悲しんでおいでだった)
毅然とした女王の態度に安堵を浮かべた他の者たちは、気づかなかっただろう。
だが、誰より主君の近くで長年仕えてきたアルベルトには、わかる。
エルフリーデは、いつになく心乱されている。
それも、トシツネをエファに連れ去られたあの夜以来、最も大きく。
(何故、陛下を悲しませるようなことをしたのです?)
心の中で、焦げ茶色の髪と瞳を持つ、彼の生徒に問いかける。
アルベルトは、トシツネにできる限りの教育を施し、あらゆる手を尽くして、エルフリーデの傍で不自由なく暮らせるよう協力してきたつもりである。
手塩にかけて育て上げた自慢の弟子だとすら、思っていた。
ただ従者として仕え、決して想いを口には出さないと決めたアルベルトだが、エルフリーデを愛する気持ちはトシツネにも負けないと――否、それ以上のものだと自負している。
そんな想いを秘めながら、その愛する彼女が愛した相手であるならと、アルベルトはトシツネが来てから、恋敵にまで尽くすように過ごして来た。
それ自体はアルベルト自身の意思による選択であり、誰に恨み言を言えた筋でもないことはわかっているのだが、こうしてトシツネのほうからエルフリーデに別れを切り出したと聞かされると、裏切られたという想いが湧き上がるのをどうにも止められなかった。
(陛下を、悲しませるような男に譲った、その責はわたくしにもある…)
やりきれない想いのやり場に困ったアルベルトは、自分をも責め始めた。
この時一番心乱されていたのは、まだ平静を装うことのできているエルフリーデよりも、この憐れな従者だったのかもしれなかった。
恋愛関係というものは、些細なことで拗れて壊れやすいものである。
まだ若い彼を許してやれない自分は、幼稚で心が狭いのかもしれない。
そうは思うが、アルベルトは顔も見たくないほどにトシツネに憤り、自分に対しても同じだけ憤っているのを、いくら苦心してみても制御できなかった。
複雑な表情のまま思案しながらも、その足はどんどん火口に近づいていく。
地獄の門が口を開けているなどと表現されることのあるその場所が近いというのに、彼の胸にわだかまっているのは緊張よりも憂鬱なのである。
落ちれば死ぬという恐怖も、この時彼は微塵も感じておらず、エルフリーデの瞳の奥に視たあの悲し気な光ばかりが、アルベルトの瞼の裏をちらついていた。
もともと、アルベルトには怖いものがほとんどない。
あるとすれば、敬愛する主君を失うことや、彼女に嫌われることであろうか。
呪われた炎と呼ばれた特殊な魔法を扱える彼は、本気を出せば世界を滅ぼせるかもしれない人材である。
いざとなれば、この火山ごと消し去れないこともない。
故に彼は気もそぞろに、目的の火口に碌な注意も払っていなかった。
(例えこの国も、陛下の守りたい他の全ても守り切ったとしても、陛下は幸せになってくださるのだろうか…)
辿り着いた高みから、真っ赤な溶岩を見下ろす。
粘度の高い高温の液体を気泡が押し上げ、ぶくぶくと泡を吹く。
熱気が頬にかかって初めて、彼は我に返ったように火口に目を向けた。
魔力が蓄積されている、とは聞いているが、アルベルトにはそれを見ることはできない。
その他に特に気になる点も見当たらないのであれば、一通りここの地形でも書き記して持って帰る他に、できることも思いつかなかった。
その時、解せないことに、人体など一瞬で蒸発してしまうであろう溶岩の中から、人間の足らしきものが突き出した。
それは急速にアルベルトに迫り、彼を火口から蹴り落そうと回転した。
「何ですか、これは」
言いながら、彼は剣を抜く。
その切っ先は正確に足の脹脛を捉え、彼はそれを串の刺さった肉料理のように宙へ持ち上げ、観察した。
生気が無く土気色のそれは、どうやら生きてはいない。
だが何故それは、溶岩を潜って尚、形を保てるのか。
答えが出る前に、二本目の足がアルベルトに迫った。
バキッ――と骨が折れる音が鳴り響いたのは、アルベルトが一本目の串刺しにした足ごと剣を振るい、二本目の足をそこへぶつけて強打したからである。
一本目と二本目の足は、ぶつかった衝撃で剣から放れ、ぼとりと溶岩の中へ逆戻りしていった。
「軟弱ですね」
表情もなく冷淡に放たれた声は、その足にいかにも興味が無いといった雰囲気を纏っていた。
しかし、続けて数本の足が溶岩から飛び出すのを見たアルベルトは、流石に眉を顰める。
アルベルトは剣を構え直す。
女王の世話係として普段彼女の傍にいる従者だが、彼は護衛としても恥じない程度には剣が使える。
強力過ぎる彼の魔法を放つのは、あの足の正体がわからない今はなるべく控え、最終手段にしようと決める。
そして、向かい来る足の猛攻を、目にも留まらぬ速さで斬り捌いた。
銀の閃きが溶岩の赤を照り返し、残像が幾筋もの直線を描いて見える。
数舜後には、骨まで断たれた足がぼとぼとと彼の周囲に落ちていく。
血は出なかった。
切断面に見えるのは、骨と肉だけ。
足の付け根にあたる部分の肉は、初めからそうあったように閉ざされ、千切った痕跡も無い。
「数で押して来ようにも、そちらにも限界があるのでしょうね?まさか、無限にこれを生み出しているとは言ってほしくないものです」
誰にともなく言葉を投げかけつつ、アルベルトは次々彼の元へ飛来してくる足を斬り捨てる。
その見事な剣捌きは、軍人顔負けであろう。
その手が慣れていくにつれ、彼は赤い瞳を凝らして足の様子を分析する。
右足と左足の二種類があるが、それぞれに個体差は無い。
つまり、全て同じ足なのである。
それが何とも言えず不気味で、身の危険を感じているわけでもないのに、アルベルトの背に嫌な汗が流れた。
いくつ斬り捨てたであろうか。
百か、もっとか。
千はなかっただろう。
足は数が尽きたのか、もう出て来なくなっていた。
呼吸を乱すこともなく、アルベルトは火口に背を向ける。
「一本くらいサンプルに持って帰っても良いかもしれませんが――」
足元に転がっていた、斬り捨てた足を一本、彼は拾う。
しかし、手にしたそれが気持ち悪いという気持ちが勝り、再び放り出して転がした。
「報告だけでいいでしょう」
来た道を辿って、そこを去ろうと歩み出す。
溶岩の赤い光を背にした彼の淡い金髪が照らされて、美しく煌めいていた。
「陛下は今頃…」
きっと内心では辛いのに、少しも表情に出さずに気丈な主君は堪えているのだろうと、アルベルトは思った。
自分を振った男と敵地へ向かわねばならないなんて、いったいどんな生き方をすればそんな罰を受けるものであろうか。
エルフリーデは出生からして、重く暗いものを背負っている。
いつになったら彼女は楽になれるのだろうか。
願わくば生きているうちに幸福を掴んで欲しいとは、アルベルトの念願である。
それは、一度は叶ったと思ったのだが。
ほんの数ヶ月で幻のように過ぎ去ってしまうなんて、あまりに惨い。
彼女は良き主君であり、立派な王であった。
それに見合うだけの個人としての幸福だって、手に入っても罰は当たらないだろうに。
何故、彼女ばかりが辛いものを抱えて生きなければならないのか。
何故、全てを抱えて背負っても、彼女は良き王であろうとするのだろうか。
アルベルトの胸は裂けんばかりに痛んだ。
それが彼女自身の意思で、それこそが彼女の性であると理解していても。
彼女の代わりに泣き叫んでしまいたいくらいに、彼は悲しかった。
愛しい青い瞳の奥に揺れる光を、抱き締められない苦しみに苛まれた。
「陛下。…エルフリーデ様。愛しています」
本人を前には、決して口にしないと決めたその感情を。
呼ぶことの叶わないであろうその名前を。
一筋の涙と共に、アルベルトはぽつりと吐き出した。
「――っ!!」
天罰かと、彼は思った。
背後から彼を捉えた何かに、気配も感じることができなかった。
告げてはならない愛を、例え独り言でも口にしたことを悔やんだ。
そうして沈む意識の中で、また青い瞳を想った。
報われない忠臣…他人事ながら、そして自分で書いておきながら、泣けてくることがあります。




