20―情けは人の為ならず
宣戦布告と反乱から二日。
女王一行は、相変わらず皇城の一角に滞在を許されている。
あっという間に空軍と陸軍を配備した魔族に、船が無くとも帰る手段があることは皇国側もわかっているが、指摘はしない。
退魔連合軍は一時的に撤退したのみであり、また反乱勢力として正規軍の半数以上を捕縛し処分を待つ状態におかれているイヅノメ皇国において、条約を理由にアルテンブルク王国軍にあらゆる役目を肩代わりさせる以外、方法がない。
よって、国防のためにアルテンブルク王国軍を各地に配備したままである。
これを魔族による侵略と見なして、各地で更に暴動が起きてもおかしくない状況であるが、そうならないのはひとえに、不気味な屍が行脚しているからである。
屍が人を襲ったという報告はまだ無いが、この屍を粉々になるまで叩きのめした者の報告によると、数分もすれば元の形を形成し始めたということである。
斃してもきりがないなら、無害である現状は放置ということになっている。
民たちが長期的に屋内に閉じこもれば経済的打撃も予想されるという懸念の声も上がっているが、他にすべきことが多すぎて手が回らないのだと民間では解釈されていた。
これらの屍が動きを見せた時の対策としてもまた、各地に秘密裡に魔族が配備された。
一般市民を恐怖させないよう、人里近くの山間部や森林に潜んで待機している。
彼ら魔族たちが聞かせられているのは、三日後に動きがあるかもしれないということだ。
手に負えない事態になった場合、アルテンブルク本国へ魔道具で信号を送るようにと指示されている。
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「ユキマサ」
「はい、陛下」
「お前は何故我に従う?」
忠節の臣下は、主君の問いの意味を図りかねる。
主君に従うということは彼にとって長く、息をするように自然なことであったから。
「他の者たちは皆、我に背いて己が義に従ったであろう?」
クニシゲの周囲にいた、特に護衛や警備や軍人といった武装していた人物たちは、ユキマサを除いて既に彼の傍にはいない。
彼らのほとんどが反乱勢力側として、クニシゲに刃を向けたのだ。
ミカゲが選んだ護衛たちは反逆罪に処すわけにはいかないので、あの女王の勧めで別の役割を与えて遠ざけておくことにした。
監視につけた魔族の報告によると、彼らは移動中、呪術のようなものを用いて砂となって姿をくらましたという。
「我はとんだ道化だな。ミカゲの言に踊らされ、臣下たちに愛想を尽かされた」
あの陰陽師は、反乱のどさくさでクニシゲの前から姿を消して、以来音沙汰が無い。
信頼できる者が少なすぎる現状、新たに身の回りに置く者を決めかね、ユキマサだけを側近として、クニシゲは懐の青い宝石を常に着物の上から確かめるように触れていた。
「我は皇帝となる器ではなかったのだ。他者に標を求めるばかりで、自分で何も選び取って来なかった」
魔族の女王に告げられた言葉の意味を、彼はここまで来てようやく理解し始めていた。
「お前がここにいてくれるのも、単にお前が義理堅いが故であろう?」
ユキマサは、改めて主君に眼差しを向ける。
何を責めるでもなく、自嘲に塗れ悲嘆するだけの、お人好しの男の顔がそこにある。
彼には皇帝という地位は重すぎたのだろう。
即位してからも、する前も、クニシゲはユキマサの良く知るクニシゲのままである。
「拙者には、政治の良し悪しのことまではよくわかりません。拙者にわかるのは、陛下が下の者にとって、情け深い良い主人であるということだけです」
精悍な顔立ちを柔らかく微笑ませ、ユキマサはクニシゲを真っ直ぐ見据える。
「ですから、貴方が皇帝であってもなくても、拙者はクニシゲ様に喜んでお仕え致します」
クニシゲは込み上げる想いを止められず、この忠節の臣下の名を呼んで泣き崩れた。
そして、名ばかりの皇帝という地位に驕っていた自分を恥じた。
「…我は、皇帝の器などではない。だが、ユキマサ」
涙に濡れたままの顔を、クニシゲはユキマサに向ける。
「我に仕えるお前のために、良い皇帝になろう」
泣きながら微笑む主君にこんな言葉をもらえることが、ユキマサにとっては栄誉で仕方ない。
「どこまでもお仕え致します、陛下」
お前は良い臣下だ、そう言いながらクニシゲはまたひとしきり泣いた。
そして、唯一信頼のおけるこの忠臣に問いかける。
「この先、お前の他に、誰を信じれば良いと思う?」
参謀としての手腕に自信の無いユキマサであったが、彼は精一杯考える。
お人好しであるが故に破天荒なクニシゲらしい、新しい国の在り方を世に示すに良い方法を。
―――――――――――――――
ハルツネは、ギリと奥歯を噛んで地下牢の鉄格子を睨めつけた。
正義を愛する彼は仲間と共に、悪魔と信じる者たちの手に捕えられ、反逆罪で投獄されている。
彼にしてみれば、皇帝の乱心こそがこの国にこの度の惨事を招いたのであり、悪魔にこの国を売り渡した皇帝には既に義は無いのである。
だから、例え不名誉な罪に問われることになろうと、彼は正しさを貫いたと胸を張れる。
――そのはずだったというのに。
どうやら話が違うのだ。
魔族というものは、聞かされていたのと違って、人間より余程平和ぼけして人道的なのだ。
形の上では彼らは投獄されているのだが、不穏な行動に出ない限り丁寧に扱われ、何かと世話を焼かれる。
皇国の地下牢を見た魔族らは、これでは寒いだろうと勝手に魔法を用いた暖房を設置したり、毛布の類を調達してきて配ったりし始めた。
看守役の魔族は気が抜けるほどに気さくで、彼ら囚人と世間話をしたがる。
共に反乱に加わった仲間のうち何人かは、絆されてすっかり打ち解けている。
魔王の傍で幸せそうにしていた弟を思い出す。
(…俺が間違っていたというのか?)
ハルツネが、というより。
これは皆が誤った知識を刷り込まれていたという状況に見える。
つまりは、乗せられていたということなのだ。
誰か他人の意思なのか、世間の風潮か、歴史が自然と培ってきた価値観であるのか、“何に”とはハルツネにもわからない。
しかし、これでは反乱軍の側に彼らの思う義があると言い切れないことは明白である。
反乱軍のみではなく、魔族にあらゆる現象の悪を押し付けてきた人間社会そのものが、長きに渡ってまるで見当外れな理念を掲げてきたのだ。
乱心した皇帝を斃し、正しい統治者のもとにこの国を委ねれば全てが解決すると、彼を含めた反乱勢力は信じて反乱を起こした。
だが、皇帝は本当に乱心していたのか。
占術結果に重きを置き、突拍子もない政策を打ち立てたことが、民を混乱に陥れたことは確かではあっても。
反乱に踏み切るきっかけとなった、魔族と親交を図るという方針は、果たして“悪”であっただろうか。
「看守」
「おや、あなたから話しかけてくれるなんて珍しいですね」
ハルツネは、この看守が気さくに話しかけてきても、これまで何度も無視を通し、必要最低限の会話しかしてこなかった。
「外はどうなっている?」
「連合軍は撤退後動きが無いし、問題と言えば屍が行脚していることだけですね。とりあえず、明日までは平和らしいですよ」
看守の返答に、ハルツネは眉を顰める。
屍が行脚、という聞きなれない言葉への理解が、どうしても追いつかない。
「今晩次第で今後の指示が出ることになってます。全国民の避難は間に合わないだろうから、もしもの時は増援が来るんだそうですよ」
「何だそれは」
わけがわからないなりに、奇怪な危機が訪れているということは人間のハルツネにも認識できる。
「何故そんなに平然としている?」
「大丈夫ですよ。女王陛下の治世になってから八十余年、今までもずっと大丈夫でしたから」
あの女王の信頼が厚いことはわかった。
だが他にハルツネにはもう一つ、気になることがある。
兄上殿と呼びかけた彼女が発した、『たった一人の弟を年増女の婿にやるのが、それほどお気に召さないか』という台詞が、今になって真実みを帯びて蘇る。
「…あの女はそんなに歳なのか?」
「陛下はもうすぐ百五十歳になられます。いやあ、あんなにお美しいのに未婚を貫いて勿体ない。そういえば――」
年増どころの話ではない、紛れもなく化け物の齢ではないか。
――ハルツネがそう考えていると、看守がとてもいい笑顔を向けて来る。
「あなた、似ていらっしゃいますね。陛下の恋人の…」
「こい、びと…?」
その単語がまた、不可解な響きを持ってハルツネの脳裏を彷徨う。
弟が何かの気まぐれで魔王の傍に置かれているのだとしても、せいぜい愛人の一人にでもなって弄ばれているのだろうと思っていたのだ。
「確か、トシツネ殿でしたか。男嫌いの陛下を骨抜きにした人間の少年!我々魔族の間では、ここ五十年で一番の話題ですよ」
「男嫌いを…骨抜き…だと…」
ハルツネの弟は、少なくとも彼の知る限り、ごく平凡で女性慣れもしておらず、どこぞの女王を手玉に取れるような手腕は無いはずである。
「それにしても、強引な政策で有名で、力でねじ伏せるのがお得意なあの女王陛下が、気に入ったお相手がいるのにさっさと結婚に踏み切らないのが不思議でしてね。うちの女王陛下は、上手いこと結婚を先延ばしにされて、弄ばれているんですかね?」
眩暈がしそうだった。
冗談だと思っていた彼女の言葉が、またも耳の奥に蘇る。
『彼との交際を快く認めてはもらえまいか?』――そう、確かに聞いた。
あれは本気だったということか。
「…弟は、そんな器用なことができるような男ではない」
「ご兄弟でしたか!いやあ、似ていらっしゃると思った!」
にやにやと笑う看守のとてもいい笑顔が、ハルツネから彼らの関係性を引き出すためにこの話を誘導していたことを物語っている。
まんまと策略に嵌ったと思ったハルツネは、悔し気に眉を顰める。
「…こんな話をしたくて声をかけたわけではない」
「おや、ではどんなお話を?」
ひとつ小さく深呼吸をして、ハルツネは真剣な表情で看守と向き合う。
「皇帝陛下はご無事なのだな?」
「ええ。お怪我もないとお聞きしていますよ」
「我々は事が落ち着いたら死刑になるのだろう?」
にこり、と不可思議な笑みを浮かべ、看守は答えない。
ハルツネの次の言葉を待っているようである。
「黙って死罪を受け入れるのが本来唯一の道だろう。だが…人手はいくらでも足りないはずだ。もしもこの命、皇帝陛下のためにお役に立てるなら、囮にでも生贄にでも何にでも使ってほしい」
償いのつもりはなかった。
ハルツネは、願わくば、誤った認識に踊らされただけの人生で終わりたくないと思っただけだ。
それが叶わなくても、最期にその意思を示すだけでも良かった。
「おいでください。勅命です」
看守が牢の錠を外し、扉を開いてハルツネを促す。
突然のことに、ハルツネは瞠目する。
「どこへ?」
動けないでいるハルツネの腕を引いて看守は彼を外へ出し、扉を閉めて錠を掛け直してしまう。
「あなたの皇帝陛下のところですよ。我々の女王陛下もお喜びになられます」
ハルツネは地下牢の廊下を進んでいくと、入り口で別の魔族に引き渡された。
何が起こったのかわからないままでいると、馬車に放り込まれ、それが皇城へ向かう道を進んでいく。
馬車を降りれば、見知った女官に案内され、皇帝の元へ連れて行かれた。
そこからの彼の記憶は、混乱のために曖昧である。
いつの間にか、皇帝クニシゲの前に跪いて頭を垂れており、信じられないことに彼の護衛に任命されていた。
反逆罪はどうなったのか、それもさっぱりわからない。
仕事のための衣装と刀を支給され、気づけば常に皇帝のいる部屋の扉の前に立っていた。
ご愛読下さる方々、そして一見様にも、心から感謝申し上げます。
ずっと書きたいことを書きたいだけ書いているのですが、もしなろうに投稿してみて読者様がゼロだったら、私はおそらくこの作品をそっと削除していたと思います。
書いて手元に置いて一人で眺めるだけでは味わえない幸せや感謝を頂いております。




