21―視る力
時を少し遡って、宣戦布告と反乱の対処のために、アルテンブルク王国軍がごっそり駆り出される前のこと。
地脈と魔水脈の調査に向かった地理学者ヨハネス・デューラーの護衛は、はじめ公爵位を持つ二人の軍人であった。
平民の彼にとってこれは気の重くなる人選――というわけでもなく、彼らとは別の意味で少々込み入った事情があり、そちらのほうが問題であった。
ミリヤム・クラナッハ公爵夫人は、ヨハネスと同じ村の出身の幼馴染で、元平民である。
ギュンター・グスタフ・シュレンドルフ公爵は、女王の叔父であり生まれながらに高貴な身分を与えられているにも関わらず、ミリヤムの部下として喜んで補佐役に徹している。
ヨハネスから見て、ギュンターは明らかにミリヤムに気があるとしか思えなかった。
「総帥、足元に気を付けてくださいね」
「お前もな」
山道を歩く今も、ギュンターは空間魔法でミリヤムの前に茂る植物を掻き分け、彼女に擦り傷一つつかないよう障害物に目を凝らしている。
これでは、ヨハネスの護衛ではなくミリヤムの世話係である。
そのことに文句をつけるでもなく、ヨハネスは一心に魔水脈の流れを追っていた。
ヨハネスの魔法属性はそこそこ珍しいもので、その能力を魔視といって、彼は魔力の流れを見ることができる。
魔力が固体、特に石や岩を媒介としやすいという性質を持つために、アルテンブルク王国ではこの力を持つ者が地脈と魔水脈を合わせて調査することが多い。
「しっかし、地味な作業だな?もっとこう、ズバッっと、一気に済ませられないのか?」
「無茶を言うな、ミリヤム。学者の調査なんてこんなものだ」
ミリヤムは、貴族になろうと昇級しようとヨハネスの昔から知るミリヤムであり続けた。
だからヨハネスは、王国軍に入って活躍する彼女がいつか都会での暮らしに疲れた時、いつでも帰って来られるようにと変わらぬ故郷を守り続けた。
そのために、彼自身の地理学者としての功績が認められ、爵位を与えるとの話が出た時も、彼は平民に留まることを希望した。
ミリヤムが公爵位を得たと聞いた時は驚いたが、それでもまだ、彼の知るミリヤムならばいつか帰って来るような気がしていたのである。
貴公子という言葉を体現したような美貌のギュンターが、ミリヤムの傍にいつもいると知った時は、一度はヨハネスは積年の想いを諦めようと思った。
ヨハネスの思っていたのとは違い、ミリヤムは貴族相手に疲れ切って嫌気がさすどころか、上手くやっていけているようなのである。
そして、そんなミリヤムとはもう住む世界が違うのだと、読み違えた自分を嘲ったりもした。
しかしこの二人がこれだけ長い時間共にいるにも関わらず、特別な関係にならないのを目の当たりにしているうち、ヨハネスの秘めてきた想いに再び火が点いてしまった。
相手が貴族であろうが公爵であろうが、ミリヤムが彼に特別な感情を抱いていないのならば、諦めるのは早い。
女王エルフリーデの治世になってから、身分違いの婚姻については随分制度が甘くなった。
それに暴君エルフリーデは、ヨハネスが望めばいつでも爵位を与えそうに見える。
身分関係なく、ギュンターが自分以上にミリヤムに相応しい男であると納得でもしない限り、ヨハネスは身を引いてやらないことにした。
「おい、ミリヤム。こっち手伝ってくれ」
「ああ、いいぞ。何すればいいんだ?」
「俺が印を付けたところに測量機を置いてくれ」
「僕もお手伝いしますよ」
わざとミリヤムと手が触れるように測量機を一緒に持ち上げたギュンターに、ヨハネスは思わず鋭い視線を向ける。
「…そんなに重いものではないんですがね」
「では、僕一人でお持ちしましょう」
「いいえ、幼馴染のミリヤムならともかく、シュレンドルフ公にそんな雑用させられませんよ」
「あたしはどっちでもいいぞ」
幼馴染で雑用でも頼める仲だと強調しているヨハネスに、ギュンターはらしくもなく敵意を込めた鋭い視線を送る。
一応、仕事中なのであるが。
結局はこの面子ではミリヤムの取り合いになる。
辣腕女王の珍しい人選ミスか、はたまたかの女王はこれをも見越してわざと彼らを護衛に寄越したのか。
「動いていないと、ミリヤムだって寒いだろう」
「総帥、寒ければ僕の上着をどうぞ」
「いや、この軍服は温度調節魔法がかかってるから寒くないぞ。つーか、お前ら知ってるだろ」
そんな彼らの攻防になど気づかないミリヤムの鈍さが、彼らの闘志に更に火を点けていく。
「服で覆えない手やお顔は寒いでしょう」
ギュンターがミリヤムの手をそっと取り、両手で包み込んで温めながら上目遣いで彼女の琥珀色の瞳を覗き込む。
中性的な美貌を持つギュンターにこうされると、大抵の女性は腰砕けになるものである。
「そういうの、セクハラじゃないですかね」
ばっとミリヤムの腕をギュンターから引き剥がし、ヨハネスは強引にミリヤムを自分の側へ引き寄せた。
「そちらこそ、その腕はどうなのです?」
どさくさに紛れてミリヤムの肩に回されたヨハネスの小麦色の腕を指して、ギュンターがミリヤムに問うような視線を投げかける。
ミリヤムはというと、困惑して二人に交互に視線を送っていた。
「これは失礼。子供の頃からの癖でしてね」
腕を離すと、ヨハネスは見せ付けるようにミリヤムの頭をわしわしと撫でた。
「大人のレディに対する接し方を弁えなければ、嫌われてしまいますよ?ねえ、総帥」
すっとミリヤムの片頬を撫でて顎に指を添えたギュンターは、琥珀色の瞳に斜め上から熱い眼差しを注ぐ。
「貴女のような美しい女性に触れる時は、壊れ物を扱う様に大切にしなければ」
ミリヤムが彼のライトグレーの瞳を見つめ返す。
ばちりと目が合ったその時、予想に反してミリヤムが急に赤面した。
瞳を読み取られてしまった――そう感じて図らずも焦ったのはギュンターである。
数舜遅れて焦ったヨハネスは戸惑いを隠せない。
いつもならミリヤム相手に口説けど口説けど空振りするというのに、この反応は何なのか。
「そ、そういう冗談、あたし相手に言っても、何にもならないぞ」
「冗談ではありません」
ミリヤムがたじろぐ。
ここぞとばかりに、ギュンターは真摯な瞳でミリヤムを射るように見つめた。
どう足掻いても伝わらないと思っていた想いがあと一歩で伝わるなら、二人きりではないということについてこの際贅沢は言うまい。
「お、お前、慣れない土地で疲れて、おかしくなってるんじゃないのか…?」
「僕の瞳に映る貴女がどれだけ美しいか、もっと覗き込んで下さい。そうすれば――」
「お戯れが過ぎるのではありませんか?勤務中だということをお忘れですか?」
ヨハネスが強引に割って入り、ギュンターに続きを言わせなかった。
幼馴染が目の前でかすめ取られていくのを、黙って見過ごすわけがない。
「女を口説いている暇があるなら、やはり手伝ってください」
壮絶に鋭い目でギュンターを睨めつけながら、測量機を彼のしなやかな手に押し付けるヨハネスの発する声は、凍り付きそうなほどに冷たい。
「ミリヤム」
ミリヤムのまだほんのり赤い頬が、ヨハネスの苛立ちを増幅する。
彼は彼女に歩み寄って、耳元に口を近づけて小声で囁いた。
「女を口説き慣れた男の言葉を真に受けると、痛い目を見るのはお前だぞ」
ミリヤムは不快気に眉を顰めはしたが、言い返しはしなかった。
彼女は確かに、ギュンターが彼の女性受けする容貌を武器に巧みな言葉を用いて、面倒事を躱したり必要な情報を引き出したりするのを、何度も見てきた。
「あたしも、手伝う」
ぼそりと低くそう呟くと、ミリヤムはヨハネスから調査結果を記した紙の束をひったくった。
「お前が数字言えよ。あたしが書く」
「わかった。頼んだ」
その先は、淡々と調査を進めた。
護衛が必要になる場面にも出くわさず、二人の公爵は王国軍人として退魔連合軍との開戦に備えて海岸に配置されるまで、単なるヨハネスの助手として働いた。
この間ヨハネスの頭を占めていたのは、二つの事柄ばかりである。
ひとつは、地脈に逆らうように不自然に張り巡らされた魔水脈の奇妙な流れ。
そしてふたつ目は、先程のミリヤムの様子。
ミリヤムは昔から、瞳をじっと覗き込むことで相手の本質的な何かを察することがあった。
その能力をよく知るヨハネスには、あの瞬間それが起こったのだと思い当たった。
ミリヤムと長く行動を共にしているギュンターにしても、それを理解した可能性は高いとヨハネスは見ている。
恋に現を抜かしている場合ではないことは、ヨハネスにもよくわかっている。
それでも彼女のことが頭から離れないのは、恋が病である特質のためなのであろうか。
ミリヤムとギュンターが戦地へ赴き、代わりに寄越された護衛兼移動補助係の魔族が到着してからは、ヨハネスの仕事は十倍ほどの速度で進んだ。
風魔法で運ばれる道中、ヨハネスは空のどこかに何度も嘆息を置き去りにしていった。
この世界では魂は瞳に宿る、という封印編の設定を引き摺っています。




