10―青い星と運命
皇都へは予定通り、即位記念パーティーの二日前に到着した。
港から近いと言えるこの都では、比較的太い川がいくつも海に向かって流れ、水上経路が豊富なことで物流が盛んであり、目に見えて賑わっていた。
道中では相変わらず、皇帝クニシゲは少しでもエルフリーデと一緒にいようとした。
おかげでエルフリーデは、臣下たちと問題について話し合うことも、トシツネと恋人らしく過ごすこともできず、その美貌に珍しく疲労の色が滲んでいた。
皇城へ辿り着くと、ようやくクニシゲはエルフリーデの傍を離れていった。
即位記念パーティーを控え、会談のために数日留守にしていた皇帝が、忙しくないわけがないのだ。
彼は残念そうに名残惜しんでいたが、エルフリーデは安堵に少しだけ表情を緩めた。
女官に案内されて、彼らは回廊を進んでいく。
遠巻きに彼らを見る視線には怯えが見て取れ、ひそひそと囁きかわされる声にも良い雰囲気は無い。
歓迎されていないというのは今更であるが、耳聡いギュンターはその囁き声もいくつか聞き取り、その中で魔王を皇城に招き入れた皇帝に対する批判の声も耳にした。
即位したての若き皇帝クニシゲは、明らかに民から信頼も支持もされていない。
イヅノメ皇国の内政にまで首を突っ込んでやる義理は、本来エルフリーデにはないのであるが、この国は女王の溺愛する恋人の故郷。
魔族と友好的に接しようとする歴史上初の人間の皇帝に、失墜されては困る。
この際、暴君エルフリーデは少々強引な手段も辞さないつもりである。
それにしてもこの皇城、アルテンブルクの王宮とは全く違った建築で、一見して吹き抜けになっている空間が多く見晴らしが確保されているようでいて、見えている場所に何度も角を曲がらねば辿り着けない。
何の利があってこんな造りになっているのかと魔族たちは疑問に感じたが、この国の気候に対応するためなのであろうと納得することにした。
そうしていくつ角を曲がり、どこを曲がったかわからなくなったあたりで、中庭に面する廊下に出た。
「…お前は」
中庭の立派な松の木の下に、フードを目深に被った男の影があった。
エルフリーデたちがこの国に来た最初の夜に、女王の瞳が呪われていると言った、ミカゲという陰陽師である。
その男が、音もなく歩を進めて彼らに近づいて来る。
「お伝えしたいことが」
戸惑う女官は足を止め、彼女の先導なしには進めない女王一行もまた、そこで立ち止まる。
「女王陛下について、占術で見えたことがございます」
エルフリーデは答えない。
ただ、青い瞳を真っ直ぐに、僅かばかり不快の色を滲ませて、その男に向けている。
「仕組まれた誕生と、掛け違えた運命と」
秀麗な眉を顰め、エルフリーデはミカゲを見遣る。
「どういう意味だ」
フードの下からは、口元しか見えない。
そこからは、何の表情も読み取れない。
「前者については、既に青い星に示されていると」
意味深な言い方が不愉快で、魔族たちは黙ったまま苛立っている。
「後者については、もっとはっきりと出ております」
女王は無視してその場を去ってしまいたかったのだが、行先を把握していないのでそうもいかない。
「運命の相手を、取り違えたと」
その言葉に雷に打たれたような衝撃を受けているのは、トシツネである。
ミリヤムがポンと彼の背中を叩く。
しっかりしろということであろう。
「下らぬな」
エルフリーデはミカゲから視線を外し、進行方向であろうほうへ踏み出して女官を促そうとする。
「運命に逆らっても、何人も引き戻されるものです」
引き留めるように、ミカゲの声がする。
毅然とした表情で、女王は首だけで振り返った。
「下らぬ。仮に運命が私に逆らおうと、私はそれを従わせるだけだ」
暴君の傲慢。
そこにあるのは絶対的な自信だった。
これ以上言うこともないのか、ミカゲが一礼して下がって行く。
それを見届けもせず、エルフリーデは女官を促して歩き出した。
女王一行が数日滞在するにあたり、皇城の東側に離れ建つ一棟を、まるごと客室として特別に準備したということだった。
四角く中庭を囲むような造りになっているその建物は、手すりまで煌びやかな朱に塗られ、ところどころに施された彫刻には金箔が貼られ、一見して豪華絢爛な様相を呈している。
通された部屋は広々として清潔に整えられており、特に文句の付け所はない。
ただ、奥まった場所にあり、木々で覆い隠されたその棟は、魔族たちをそこに隔離して遠ざけておくにはうってつけだろうという魂胆が見え見えである。
複雑な道を通らねばどこにも行けそうにない場所であることからも、彼らにあまり出てきてほしくないと言わんばかりである。
その意図を察しても、今更無礼だなどと思う彼らではない。
彼らにしても、常に怯える人間たちとの接触に時間を浪費することなく、身内だけで寛げるというのは却って有難い。
ようやく落ち着いた様子で低い木のテーブルを囲み、座布団というクッションが並べられた畳という柔らかい床の上に、好きなように腰を下ろした。
案内をしてきた女官は、御用の際はお呼びくださいと言って、卓上に呼び鈴を置いて行った。
憐れなこの女官は、彼らの滞在中、この棟に住み込みで魔族たちの世話をさせられるようである。
死刑宣告を受けたかのように青ざめた彼女が下がっていくのを、女王一行は可哀想に思いながら見送った。
彼らは長方形のテーブルの長辺に三人ずつ、向かい合うように座っている。
エルフリーデの両側にトシツネとアルベルト。
ミリヤムの両側にギュンターとヨハネス。
まあ、こうなるであろうと誰もが思っていた席順である。
「おいトシツネ、気にするな」
ミリヤムが開口一番、血の気が引いて真っ白になっているトシツネに声をかける。
エルフリーデは左側に座るそのトシツネを、左腕でぐいと引き寄せ、強引に自分の肩に凭れさせた。
「おおかた、心理的に揺さぶりをかけているつもりであろう」
しかしトシツネの不安は晴れない。
引き寄せられた腕や、肩の感触は感じているのに。
隣の彼女を見上げると、その顔は女王としての彼女の顔で、彼に一瞬も青い瞳を向けないのである。
「あのミカゲという男。私のことをよく知っているようだな」
深刻な空気が漂う。
それは他の者たちも思っていたことだ。
ミカゲは、精霊エファと全く同じ色であったエルフリーデの瞳の起源を、おそらく知っている。
“仕組まれた誕生”という意味深な言葉で、それを匂わせている。
そして、エルフリーデの最大の弱点ともいえる、彼女が冷静さを失う原因となりうる恋人のことも。
「お、お茶をお持ち致しました」
戸の向こうから上ずった掠れ声がする。
すっとその戸が横に開き、敷居の向こう側に正座をした状態の女官がいるのが見える。
急須と湯飲みが乗った盆を持ち上げようとする彼女の手が、わなわなと震えている。
これでは、ひっくり返してしまうだろう。
「あの、わたし手伝います」
エルフリーデに引き寄せられていたトシツネが、そう言って立ち上がる。
女王は驚いて見上げたが、止めはしなかった。
顔色の悪い彼が心配ではあったが、人間のトシツネが間に入れば、あの女官も少しは安心するかもしれない。
それにこういう時は、動いていないといくらでも悪い方向へ考えてしまうものである。
ここで皆が驚いたことに、トシツネはアルテンブルク流の完璧な紳士の所作で、その女官の前に片膝をついて視線を合わせた。
「お手伝い致します」
すっと盆を持ち上げる様子は、まるでアルベルトの所作を写し取ったかのように美しかった。
それを見たアルベルトが、満足気に頷いている。
呆気に取られた女官は、ほんの少し頬を赤らめた。
真っ直ぐ伸ばされた背筋、気品すら感じさせる足取り。
エルフリーデの頬が音を発てそうに急激に上気した。
トシツネがその盆を持ってテーブルまで辿り着くと、慌てたように女官が追いかけてきて、湯飲みを並べていく。
「あ、あとは、わたくしどもが…!」
そう言って女官が急須を取り上げると、
「では、お願い致します」
そっと瞼を伏せて、トシツネがアルベルト仕込みの綺麗な礼をして、音もなく下がって席に着いた。
ギュンターほどの破壊力はないものの、これは女性の心を掴むには充分な効果があろう。
青い瞳がトシツネに釘付けになり、エルフリーデはうっとりと彼だけに視線を注いでいた。
そう、トシツネは頑張ったのである。
エルフリーデの気を引きたくて。
その青い瞳に自分だけを映してほしくて。
女官は、エルフリーデの前から順に茶を注いでいった。
その手はもう震えていない。
湯気が立ち昇り、良い香りが漂った。
「これはどうも」
茶を注がれたアルベルトが、にこりと微笑んで軽く礼をする。
女官はこの理知的な美青年の微笑みを直視してしまい、頬を染めて恐縮した。
「い、いえ」
次に茶を注がれたギュンターも、ふわりと微笑んで感謝を示す。
女官の顔が、ますます真っ赤になる。
「ありがとな」
ニカッと太陽の様な笑みを浮かべて、ミリヤムが礼を言う。
「と、とんでもございません!」
恐縮しながらも、女官ははにかんで笑んだ。
「おそれいる」
少々ぎこちないながら、ヨハネスも感謝して微笑む。
「ととと、とんでもございません!」
本来こういう時、いちいち女官に礼を言うものではない。
しかし彼らは、可哀想なくらいに怯える彼女が、この数日のストレスで死んでしまわないようにと気遣える程度には、慈悲深いのである。
最後にトシツネの湯飲みに茶を注いだ女官に、トシツネは優美な所作で軽く礼をした。
それに目を奪われているのは、女官よりも隣のエルフリーデであった。
「失礼致しました」
すっかり笑顔になって、女官が下がっていく。
これで彼女は今夜からもよく眠れるであろう。
「トシツネ」
蕩けるような目で見つめながら、エルフリーデが恋人の名を呼ぶ。
「はい、陛下」
顔色が戻ったトシツネが、見つめ返した。
「お前らそういうのは二人きりでやれ」
咎めるミリヤムの口調は、しかし優し気である。
アルベルトは至極満足げに、そして誇らしげに胸を張っている。
「これなら、パーティーの夜の舞踏会も安心ですね」
ギュンターがそう言ってトシツネに微笑みかけた。
即位記念パーティーの夜には、舞踏会が催されることになっている。
これは、前皇帝が三十年ほど前に他国から取り入れた文化で、この国でも上流階級で流行しているのである。
今や、祝いの席が夜まで続く場合の定番行事となっている。
「むしろ心配なのは…」
独り言のようにそう言ってアルベルトが視線を遣ったのは、ミリヤムである。
「あたしは踊らないぞ」
それを聞いて、ギュンターが残念そうな顔をし、ヨハネスが僅かに笑んだ。
ヨハネスは平民であり、ダンスの嗜みなどない。彼も踊らないつもりのようである。
「クラナッハ総帥がそのおつもりでも、ダンスを申し込まれては断れない可能性もございます。ご準備なさったほうがよろしいかと」
アルベルトは真剣にそう言ったのだが、ミリヤムはケラケラと笑い出した。
「あたしと踊りたいなんて奴、いるかよ!」
両隣にいるのだが、彼女は気づかない。
「ミリヤム。これは外交だ」
厳しい表情でエルフリーデが言い放つ。
「でも、衣装持ってこなかったぞ」
「転移して取ってきてやる」
青い瞳と琥珀色の瞳が、しばし見つめ合う。
根負けしたように、ミリヤムが溜息を吐いた。
「わかった。けど、そんな上手くないぞ」
「叔父上とでも練習するのだな」
ミリヤムは平民出身である。
社交ダンスに関しては、エルフリーデの勧めで一通り習いはしたものの、実際の舞踏会で踊ったことはない。
「ヨハネス殿、あなたもだ。アルベルト、指導を頼む」
「承知致しました」
暴君がこう言いだしては、従うしかない。
「いいか。ただ踊るだけではいけない。怯えられて終わりなんて論外だ」
女王の顔になったエルフリーデが、臣下たちに告げる。
「この国の民の本音を聞き出せ。情報を引き出せ。特に皇帝の周辺の人材についてだ。地位の高い人物に行き当たったら、前皇帝の死に関しても探れ」
それは主君としての命令である。
踊りたくないなんて、もう誰も言い出せない。
「トシツネ、お前もできるな」
真っ直ぐな視線は、問いではなく命令を投げかけている。
「はい、陛下」
だからトシツネは、エルフリーデと踊りたかったなんて、我儘は言えない。
満足気に頷いて、エルフリーデはこの話は終わりという雰囲気を漂わせた。
緊迫した空気が解かれて、皆が湯飲みに口をつける。
その中でエルフリーデは、先程までとは違う私人としての顔になり、小声で隣のトシツネに話しかける。
「一応心配だ。後で…私と練習しよう」
エルフリーデだって、恋人と踊りたかったのだ。
それが分かった時のトシツネの喜びは、呪いだとか運命だとかという話が記憶から吹き飛ぶくらい、大きかった。
「はい!」
トシツネはアルベルトに感謝した。
彼から受けた教育は、何一つ無駄ではない。
それらは全て、エルフリーデの傍にいるための、強い武器となっているのである。
エルフリーデにもっと格好つけさせてあげたいので、たくさん見せ場を作れたらいいなと思ってます…!




