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11―幻惑の舞踏会

しなやかな肢体を包み込む深い青に、重なる緻密な黒のレース。

しずしずと歩みに導かれ、流れる絹の光沢は、気品という名の尾を引く。

高く纏め上げられた黒髪は流麗に波を描き、それを縫い留めるように飾るのは、大粒の青い宝石。

玉のようなその肌は滑らかに、煌びやかなシャンデリアの光を受けて、何より白く穢れなく。

薄く紅をさした唇はふっくらと、甘やかに咲く瑞々しい花弁のごとく。

物憂げに伏せられた長い睫毛が、ゆっくりと持ち上がる。

静かに開かれた(まなこ)に輝く瞳はまた、深い青。


その姿が現れた刹那、その場にいた全ての者の時が止まった。

魔王だなどと、悪魔だなどと、彼女が姿を現す前にひそひそと誹っていた者たちは、残らず口を噤んだ。

彼らが見たものは、神秘そのもの。

きっと神にも造り出せはしない、存在してはならないほどの美なのである。


彼女を自ら紹介する手筈であった皇帝クニシゲも、魔法にかかったように動けなくなっていた。


そのまま幾ばくかの時が流れ、神秘の乙女はゆるやかに顔を上げ、そして祝福の女神のごとく微笑み、そこからゆっくりと淑女の礼をした。


「アルテンブルク王国第十三代国王、エルフリーデ・ジルヴィア・アルテンブルクでございます。今宵はお招きに預かり、光栄でございます」


凛と気高く、透き通った声が響く。


最初に動いたのは、皇帝クニシゲであった。

彼は自分の立場も役割も忘れたように、夢中で彼女の前に歩み出て、跪いて手を差し出した。


(わたくし)と踊って頂けますか」

「はい、喜んで」


たおやかに手が重なった時、世界が動き出した。

宮廷楽団が奏でるしとやかなワルツに合わせ、それぞれの国の二人の君主が優雅に踊っている。

くるりと回るたびに、彼らの周りで空気の色が変わる。

幻のような光景が、見る者の心を攫って行く。


皆、わからなくなっていた。

彼らの皇帝は、悪魔に幻惑されているのだろうか。

それとも、女神の祝福を受けているのだろうか。

ただ清廉に、あまりに耽美に、夢を見ているのだと言われれば、それを一番に信じたくなるような。

頭がおかしくなりそうなほどの、それは美であった。




「お嬢さん、僕と踊って頂けませんか」


最初にその声を聞いた幸運な令嬢は、蕩けて床にへたり込みそうになるのを堪え、目の前に現れた、物語に登場する王子様のような男の手を取った。


「はい、喜んで…!」


ダークブロンドの波打つ髪、涼し気な目元、魅惑的なライトグレーの瞳の輝き、すっきりと整った鼻梁、上品な薄い唇。

しなやかに引き締まった体躯に纏う、紛うことなき貴公子の気品。

ワルツに合わせて彼の腕にその身を任せれば、夢のように甘くその足取りに導かれる。

踊りながらいくつか質問されたような気がしたが、彼女の記憶にはあまり何も残らなかった。

おそらく全て正直に答えて、すぐに忘れてしまっただろう。

その麗しい貴公子を見つめるのに、彼女は夢中だったのだから。




「お、踊って頂けませんか」


勇気を出して声をかけた青年は、太陽のような笑みでその手を取られ、喜びに胸が弾けそうになった。


「あたしでよければ、喜んで」


真っ赤なドレスに包まれた、引き締まった長身。

その肌は健康的に日焼けして、艶やかな輝きが魅惑的に誘う。

全てを見透かしてしまいそうな琥珀色の瞳は、見つめるほどに日輪のように光を放ち。

結い上げられた白銀の髪が、銀河のように煌めいている。

括れた腰に腕を回して、彼女の身体を攫って行くようにくるりと回れば、言い知れぬ喜びが湧き上がる。

青年は、政治についていくつか質問された気がしたが、彼女の美しい体躯に見惚れてあまり覚えていなかった。

持てる限りの知識を披露して、彼女の琥珀色の瞳を惹きつけようと、それだけに必死になっていたのだから。




「わたくしと、踊って頂けませんか」


その声に振り向いて、高貴な未亡人は久方ぶりの恋に落ちた。


「…ええ、喜んで!」


淡い金髪がきらきらと星のような光を纏い、理知的な赤い瞳が炎のように熱く彼女を見上げていた。

全てを受け止めてくれるようなその腕に、包み込まれるようにワルツに酔い痴れれば、この世のどんな悲しみも慰められると思えるほどに心が癒されていく。

赤い炎の情熱の中で、抱えていた全てを燃やし尽くしてほしくて。

彼女はいつしか若くて美しかった頃の想い出を語り、問われるままにその頃の世相を語り、亡き夫のことを語り、彼の仕事のことまでを話していた。

何もかも知っても、大丈夫だとあやしてくれるような優しさに、全てを曝け出したくなっていた。




「俺と踊って頂けませんか」


はにかみながら山吹色の真剣な眼差しを向ける、実直そうな美青年。

まるで結婚を申し込まれているかのように、その姿は緊張と喜びを誘う。


「喜んで…!」


その貴婦人は、夫が愛人を作っていると知って傷ついたばかりであった。

虎のように力強い瞳から誠実な眼差しを向けられると、彼女は自分が価値あるものだと言われているような気持になり、いつになく口数が多くなる。

逞しい腕に支えられながら、夫への不満、世間への不満、国への不満、女としての不満、押さえつけていた全てを吐き出していた。

青年はその全てに真剣に耳を傾け、輝くような小麦色の力強い腕に、その度に力を込めた。

彼女は、自分はもっと大切にされていいのだと感じられて、ワルツのリズムにくるくると回りながら、求めるものを語りつくした。




「悪魔と踊るなんて…」

「ええ、どうかしているわ。いくら見た目が綺麗でも…」


その声は、本当に批判だったろうか。

それとも、嫉妬だったであろうか。


「わたしと踊って頂けませんか」


若々しい声が礼儀正しく誘う。

跪いているのは、見た目は彼らと同じ国の人間。

しかしその所作は、異国の王子かと思うほどに洗練され、平凡ながら整った顔立ちのその少年を特別なものに見せている。

焦げ茶色の瞳が真っすぐに、意思の強い光を放つ。


「ええ、はい、喜んで!」


社交界に不慣れなその令嬢を、完璧な紳士のような見事な足取りがリードする。

ワルツのリズムで鮮やかに世界が回り、高貴な気配を纏う彼に深窓の令嬢は魅せられる。


「まあ…ダンスがお上手ですのね」

「異国で学んで参りました」

「ご留学なさっていたの?…素敵!」

「この国へは久方ぶりに帰って参ったのです。わたしがいない間のこの国のこと、聞かせて頂けますか?」


頬を染め、深窓の令嬢は夢中で話をする。

遠い国から戻った彼が、彼女に出会うために帰って来てくれたような気がして。





クニシゲは気づいていた。

自分だけに注がれるべきその青い瞳の美しい眼差しが、ふっと逸れては、たった一人だけを追っていることに。

そしてその先にいる人物もまた、この最も美しい女にちらちらと視線を向けていることに。


どこにでもいそうな、地味で平凡な顔立ち。

しかし今の彼は確かに、皇帝であるクニシゲ以上に、高貴な気配を纏って踊っている。

どこで学んだのか――察しはつくのであるが。


この国にとって異文化であるそのダンスを、これほどまでに洗練された動きでこなす者は、ここにいる人間の中にはいない。

だから、彼は特別に見えた。

最も平凡で埋もれそうに見えていた彼がである。


けれど彼は、最初から特別であったわけではないはずだ。

あれは、手解きを受けて手に入れたもの。

目の前の美しい女に幸運にも拾われて、その末に手にした更なる幸運にすぎない。

彼本来の素質による魅力ではないと、クニシゲは思うのだ。


ミカゲの言葉を思い出す。

青い瞳は、クニシゲが欲しくてたまらないこの女の瞳は、人間を愛するのだと。

だったら、それがクニシゲであってもよかったはずなのだ。

先に出会っていたのが自分であったなら、きっと。


嫉妬と、悔しさと、奪い取ってやりたい欲望と。

それがこの皇帝を苛んでいった。


この世で最も美しい女の手を、クニシゲはその舞踏会の最後まで離さなかった。

その美の化身を彼だけが独占した。

こうしていれば、彼こそが最も羨望されるべき存在であるはずだった。

なのに彼は満たされなかった。

あの焦げ茶色の瞳が、邪魔だった。

これは外交というよりは…諜報活動ですよね。

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