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9―帰郷

トシツネの故郷というのは、比較的賑やかな街からほど近く、またその反対側には山が並び立つ、人間社会と自然との狭間にある美しい農村であった。

その農村に差し掛かる時、馬車は停車し、エルフリーデとトシツネはそこへ降り立った。


馬車の中で散々ミリヤムに大丈夫だと念を押されたトシツネは、この時にはエルフリーデとクニシゲとの仲はもう疑うまいという気分になってきていた。

また、ここでエルフリーデが彼の帰郷に熱心に付き添いたがったことにより、一応は安心していた。


トシツネはこの村で違和感のないよう、この帰郷のために準備した、イヅノメ皇国で一般的な村人の普段着を着用している。

普段は、エルフリーデが見立てた上等な服を彼女の好みで着せられているので、肌に馴染むようなこの楽なスタイルは久しぶりである。


エルフリーデの場合は、村娘に扮したところでその容姿から目立つのは防ぎようがないので、旅人用のフード付きの長いマントをドレスの上から羽織り、口元以外を覆い隠している。

この格好で農村を歩くと少しおかしな人に見えるのだが、多少気味悪そうな視線が注がれるくらいで、騒ぎになることはない。


そんなアンバランスな二人が、微妙な距離を保って歩いている。

トシツネが先導し、その後ろをエルフリーデが数メートル離れてついていくかたちである。

何故こんな距離があるかというと、トシツネの知り合いが彼を見つけて声をかけたくなった時に、明らかに様子のおかしな人物――エルフリーデが傍にいてはやりにくかろうという、女王なりの配慮である。

この距離なら、変な人が後ろからついてきていても、トシツネには関係ないと言い張ることもできる。

そんなことをしてまでエルフリーデがついて来るのは、彼女が愛しい恋人のことを少しでも知りたいという我儘からである。


トシツネは、彼の育ての親である伯母の家に向かった。

彼の両親は彼が三歳の時に二人とも病気で他界し、それ以来伯母の家に引き取られて暮らしていたのだという。


左右に田畑を臨みながら、緩やかに曲がりくねった舗装されていない砂利道を歩く。

途中、農作業をしている人が何人か遠くに見えたが、話しかけられる距離でもない。

無言のまま、その道を進んで行った。


やがて、この国独特のかたちをした古めかしい家屋が建ち並ぶ区域に辿り着いた。

地面の傾斜を考慮し、無理なく配置された家々の間を通る道は、その地形と調和した美しい曲線を描いている。


トシツネが立ち止まった平屋は、玄関の引き戸が開け放たれていた。

これは犯罪が少ない田舎特有の風景である。


「あんた、もしかして…」


中から中年らしき女性の声がした。


「トシちゃんかい?」


信じられないという声色である。


「伯母さん」


トシツネは、少し恥ずかし気に、おそるおそるといった様子で呼びかける。

すると、女性が出てきて姿を現した。


「トシちゃん!」

「伯母さん!」


二人は強い抱擁を交わして再会を喜んだ。


「生きてたのかいあんた…!戦死したって知らせが来たから、あたしゃてっきり…。ああ、墓まで立てちまったよ!」

「伯母さんごめんなさい、これには訳があって…」


そこで、玄関から距離を取って不自然なほどに後方、ぎりぎり視界に入る範囲の木の陰に隠れるようにしている人物のほうを、トシツネは首だけで振り返る。


「その人は?」


出て行くつもりのなかったエルフリーデは、戸惑いながら様子を窺っている。


「ぼくの命の恩人で、とてもお世話になっている方なんだ」

「だったら早くお呼びしなさい!上がってもらわないと!」


トシツネはエルフリーデのほうへ駆け寄って、マントの裾を軽く引いて小声で声をかける。


「陛下。伯母さんはきっと大丈夫ですから、いらしてください。その…田舎の家で、失礼でなければ」


途端に嬉しそうに、ふっくらとした薄紅色の唇が美しく笑み、彼女は頷いた。

不安は残れど、溺愛する恋人の実家に上げてもらうことを喜ばないエルフリーデではない。


トシツネはエルフリーデの手を引いて伯母の元へ駆け戻る。

その際、手を引かれたことでマントの前が僅かに開き、裾が少し翻った。

彼の伯母が、驚愕に目を見開いている。

明らかに怪しい格好の人物なのだから、仕方がないだろう。


エルフリーデは、その女性に向かってアルテンブルクの作法で丁寧な礼をした。


「伯母さん、この方は…その」


トシツネが言い淀む。

エルフリーデは、トシツネがどこまで話すつもりであるのか、それは彼の意思に任せたいと思っている。

だから、彼にとことん話を合わせようと様子を見て、口を開かないでいる。


「異国の、それも身分の高い女性だね」


彼の伯母にも、先程ちらりと見えた服装で、そのくらいは察せられた。


「言葉は通じるのかい?」

「うん」


にっこりと、目の端の皺を深めて、女性は笑顔を浮かべた。


「汚い家ですけど、よかったら上がってください。トシちゃんの恩人ならおもてなししないと」

「お言葉に甘えて、お邪魔致します」


流暢なイヅノメ語でそう言いながら、エルフリーデは再度丁寧に礼をする。

温和な表情を崩さず、彼の伯母は彼女の言語の堪能さに感動したような表情をした。


「あなたー!トシちゃんが帰ってきたわよー!」


伯母が家の中に向かって叫ぶと、その家の中でドタンバタンと大騒ぎする音が聞こえた。


「なんだってぇ!?!?」


数十秒遅れで男性の声がした頃には、伯母の姿は既に家の中に消えていた。


「どうぞ、陛下。こちらで靴を脱いで…。段差に気を付けて上がってください」


白い手を取って段差の上へ引き上げるトシツネは、しばらくぶりに心から嬉しそうな顔をしていた。

育ての親に大切な女性を紹介できると、浮かれ切っている。


そうしていると、玄関口に向かってくる、軽い足音がした。


「トシ兄(にい)の…お化け!!!!」


目を丸くして両頬に手を当てて驚いたのは、トシツネに良く似た面影を持つ、彼より年下の少年だった。


「うわああああ!!!!」


余程怖かったのか、トシツネが呼び止める間もなく、彼は奥に走り去ってしまった。


「どうぞ陛下、客間はこちらです」


勝手知ったるトシツネの案内で、客間に向かう。

彼らがそこへ着くと、既にお茶を盆に乗せた伯母がそれを机に並べようとしていた。

奥から、おそるおそるといった様子で男性が現れる。


「トシちゃんなのか…?」


まさに幽霊を見るような目である。


「うん、伯父さん。ただいま」


妙な緊張を纏って、トシツネが答える。


「おかえり…トシちゃん!」


彼の伯父は、勢い良くトシツネを抱きしめた。

その様子を微笑ましく見守りながら、エルフリーデは後ろで立ったままでいた。


「どうぞどうぞ、座ってくださいな!こら、トシちゃん、お客様を立たせっぱなしにするもんじゃないよ!」


伯母がエルフリーデを、その部屋で最も上座に当たる場所に、半ば強引に座らせた。

マントを被り、姿を隠したままの彼女に、伯父が訝し気な視線を送る。


「あの、伯父さん。この方はぼくの命の恩人で、とてもお世話になっている…ええと」


そこでまた、トシツネは言い淀んだ。


「エルフリーデと申します。この度は、突然の訪問にも関わらず、快く招き入れて頂き感謝申し上げます」


姓は言わずに、彼女は名だけを名乗った。


丁寧に、流暢なイヅノメ語で、異国人の名を名乗り異国の礼をする姿を隠したままの女。

怪しすぎるの一言につきる彼女のほうへ視線を向けながら、伯父はしばらく固まっていた。


「このような格好で大変失礼致します。姿をお見せすると、皆様を驚かせてしまうことと思いますので、無礼は承知ですがどうかこのままで――」

「えい!」


その時、ばっと後ろからエルフリーデのフードが捲られた。

浮世離れした途轍もなく美しい顔が、その場に晒される。


「こら、コジロウ!」

「うわーい!トシ兄の彼女!」


図らずも言い当てたトシツネ似の少年は、玄関口で見せた恐怖はどこへやら、悪戯っ子の笑顔で走り去る。


「チヨちゃんに言いつけてくる!」


そうして彼は外へ走り去って行ったのだが、その場に残された伯父と伯母は、開いた口が塞がらないという言葉のお手本のような表情で、動きを止めてエルフリーデのほうを見ている。


「こりゃ…まあ。こんな綺麗な女の人は見たことないよ」


なんとか、伯母が声を絞り出した。


「驚かせてしまい申し訳ありません。肌や目の色がこの国の人々とは違うもので、お見せするのを躊躇っておりました」


見られてしまったものは仕方がないと、そのままでエルフリーデは詫びる。


「いえいえ、とんでもない…」


そう言う伯母や、呆けたままの伯父が驚いているのは、どちらかというと肌や目の色というよりは、その究極に美しい顔かたちのほうである。

田舎の平屋の客間に、彼女の存在だけがなんとも不釣り合いに見える。


「おいトシちゃん、この人、いったいどういう関係の人なんだ?」


まさかといった顔で問いかけるのは、伯父である。


「うん…大切な人なんだ」


真っ赤になって照れながらトシツネがぼそりとそう口にすると、それが余程嬉しいのか、エルフリーデは満ち足りた笑みを浮かべた。

そのあまりの美しさが、部屋の中におかしな沈黙を作り出す。


「トシちゃん、いったい何があったんだい…?」


戦死したと思っていた甥が、異国の、しかも絶世の美女を連れて帰り、大切な人だと紹介する。

夢でも見ているのかと、伯父伯母はちょくちょく頬を引っ張った。


トシツネは、問いかけるようにエルフリーデに視線を送る。

エルフリーデは、好きにするといいという意味を込めて、頷いた。


「実は、初陣で味方が全滅して、ぼくだけ生き残ったんだ。致命傷で、もう助からないはずだったんだけど…この方が、助けてくださって」


横目にエルフリーデをちらちらと見遣りながら、トシツネが話し始める。

言ってはいけないことを言いそうになったら止めてほしい、というサインである。


「皇帝陛下の教えでは、敵の手に落ちたら自害するよう言われていて。助かってしまって、帰るに帰れなくなったんだ。死んだことにしてしまって、ごめんなさい」


比較的当たり障りのない説明をするならばこんなところであろうと、トシツネは考えた。

一応、嘘は言っていない。


「何を謝るんだい。トシちゃんが生きてたら、それが一番だよ。それで、またここで暮らせるのかい?」


トシツネは、悲しさと寂しさを綯い交ぜにした表情で、首を横に振った。


「ぼくはもう、この国では死んだことになってるんだ。それで、外国の籍をもらって、今はそこで暮らしているから…帰っては来られないんだ」


伯父伯母は、悲しそうに眉尻を下げた。


「時々は――」


エルフリーデが、口を挟む。


「彼がお顔を見せられるように致します。ここを訪れたことを内密にして頂けるのでしたら、国の情勢がいかなる状況になろうとも」


エルフリーデは、一度訪れた場所へは転移できる。

転移水晶を持って彼女がここへ来て、水晶を使ってトシツネがここへ転移して来ればいいと、そう考えているのである。

あるいは、彼女の固有空間へトシツネを放り込んで転移してくればいい。

堂々と外を歩ける状態かどうかはさておき、屋内に隠してもらえるならば可能なことだ。


しかしその意図を察することができるのは、この場でトシツネだけである。

イヅノメ皇国は島国だ。異国から時々顔を見せるだなんて、いったいどうするつもりなのか、伯父伯母にはさっぱりわからない。


「嘘よ、嘘!からかわないでよコジロウ!トシツネ君は死んだって…」


その時、トシツネと同い年くらいの少女が、先程の少年と共に客間に駆け込んできた。

その寸前にさっと、エルフリーデはフードを被る。


「嘘…?トシツネ君?」

「チヨちゃん…」


チヨと呼ばれた少女は、トシツネの姿を見て瞠目してしばらく立ち尽くした。

素朴で親しみやすい顔立ちの、そばかすが可愛らしい、華奢ながら健康そうな少女である。


「嘘、嘘、死んだって言ったくせに…!」


怒ったようにしながら、少女は真っ赤になって泣き出した。

そして勢いよく、トシツネの胸に飛び込んでいった。

エルフリーデがフードの下で僅かに唇を引き結ぶ。


「馬鹿!馬鹿!死んだふりなんてひどいんだからっ!」


嗚咽を漏らし啜り上げながら、彼女はトシツネの胸に縋りついて泣いている。

その様子を見ていればエルフリーデにははっきりとわかる。

この少女は、トシツネに恋をしている。


「ごめん、チヨちゃん」

「馬鹿馬鹿馬鹿ぁ!もう、もう!」


黙って見ていることしかできないその光景に、エルフリーデの胸は苦しく締め付けられる。


トシツネには、故郷がある。

暖かい家族がいて、こんな愛らしい少女も待っている。

そんなこと、想像できなかったわけでもないというのに。

どうして、彼の全てを自分のもののように思っていられたのだろう。


「帰って来て、くれたのね…!」


涙で濡れた顔を上げて、少女が笑顔を見せる。

困ったように微笑みながら、トシツネが口を開く。


「うん。でも、ずっとここにはいられないんだ」

「…どうして?なんで?」


縋るように見上げる少女は、いじらしくて守ってやりたくなる。

エルフリーデの目から見てもそう見えるのだ、少女を良く知っているであろうトシツネには、もっと離れがたく映るだろう。

そう思うと、暴君を自称する女王でさえ、恋人が自分から離れてこの少女の元へ帰っていってしまうのではないかと、そんな不安に苛まれて心細くなる。


「行かなきゃいけない場所があって…。ううん、ぼくがいたいと思う場所を、見つけたから」


その言葉に、フードを被ったままのエルフリーデが僅かに顔を上げる。


「えい!もう一回!」


その時、また後ろからフードを捲られた。


ばっとそちらを振り返ったチヨという少女が、トシツネの胸に手を置いたまま固まった。


「…誰?」


信じられないほどに美しい女がそこにいる。


「ぼくの、大切な人なんだ」


静かに、トシツネが答える。

途端に、バチンッ――という強烈な音が響いた。


チヨは、トシツネの頬を張っていた。

唖然とする彼の前に立ちあがり、華奢な肩で息をしている。


「馬鹿!嫌い!」


そう言って、少女は泣きながら走り去って行った。

頬を押さえたまま、トシツネは茫然としている。


意味がわからないといった表情のコジロウが、窺うようにしてエルフリーデの前に回った。

そしてその美貌を一目見て、トシツネが帰って来たのを見た時と同じように目を丸くした。


「うわ、美人」


素直すぎる感想を漏らし、コジロウは伯父と伯母――彼にとっては父母である――に、助けを求めるような視線を送る。

しかし彼らも、困ったような顔をして、その場を見守っているだけである。


はっと何かに気づいたように、トシツネがエルフリーデを振り返って慌て始める。


「あの、申し訳ありません!チヨちゃんは幼馴染で…そういうのではなくて、そういうことがあったこともなくて、だからその…。わたしがお慕いするのは陛下だけですから!」


その言葉に伯父と伯母は慌てふためいた。

トシツネは、はっきりと“陛下”と口走ってしまった。

エルフリーデは諦めたように大きく溜め息を吐き、続けて大きく息を吸った。


「そんな心配をする前に、幼馴染を気遣ってやるのが先だろう。女性を泣かせたままにしておくとは、情けないにも程がある。私の誇り高き臣下、それも我が国の名誉ある貴族ならば、行ってきちんと話をして来い。これは命令だ」


トシツネは瞠目した。

凛と気高い声を響かせた彼女は、威厳を湛えた女王としての顔をしている。


「…はい!」


言われるままに、トシツネはその場からチヨを追って走り去った。

コジロウという少年は何のことやらわからないらしく首を傾げ、伯父伯母は呆気にとられて動けない。


「大変失礼を致しました」


座ったままで、エルフリーデは上品に礼をする。

ふるふると、夫婦は震え始めた。


「も、申し訳ありません…!どちらのお国かは存じませんが、まさか女王陛下であらせられたとは思いもせず…!」


彼らがその場にひれ伏して、慌てたのはエルフリーデのほうである。


「どうぞお顔を上げてください。この場では私はただのエルフリーデです」


そう言っても、彼らは顔を上げようとはしない。


「王様…?」


コジロウが正面からエルフリーデをじっと見ている。


「こら、コジロウ!失礼だろう!そのお方は――」

「どうかそのようになさらず…。私の身分が周囲に知れてしまっては、これ以上の長居はできなくなってしまいますので」


そう言うと、伯父伯母は不自然に震えたまま、緊張して顔を上げた。


「王様なの?」


コジロウが頬に両手を添えて叫びそうにしている。

エルフリーデはにっこりと微笑みかけて、首を横に振った。


「王様ごっこが好きなんだ」


そう言うと、この少年は信じたようで、つまらなさそうな顔になる。


「なーんだ」


エルフリーデは、ほっと安堵の溜め息を吐く。


「あの、トシちゃんが貴族というのは…」


伯父がおそるおそる口を開いた。


「彼は我が国で大きな功績を立ててくれました。その報酬として、子爵位を」


夫婦は顔を見合わせて、信じられないといった表情をしている。


「大切にしますから…」


その要領を得ない呟きは、美しすぎる女王の口から漏れてきた。


「…トシツネを、大切にしますから。私に、任せて頂けますか?」


恥ずかし気に頬を火照らせながら、エルフリーデはこの夫婦に真摯に向き合う。

その意味がわからない彼らではない。

先程までの態度をすっかり崩し、人の親らしい表情になって、彼らは微笑んだ。


「ええ、勿論です。うちのトシちゃんを、よろしくお願いします」


ふわりと、奇跡のような美貌が綻び、花が咲くように笑う。


「ありがとうございます」


この時エルフリーデは思っていた。

相手の家族への挨拶もできたし、そろそろ婚約を持ちかけてもいいのではないか、と。

先程あんな光景を見たにもかかわらず、浮かれていた。

トシツネは自分を選ぶはずだと、そう思っていられたのだ。

コジロウはトシツネの従兄弟、十歳くらいという設定です。

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