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8―燻る不安

トシツネは、見てしまった。

美しい庭園の橋の上で、他の誰も寄せ付けずに向かい合う、エルフリーデとクニシゲを。

固く手を握り締め、真剣に見つめ合う二人を。

熱く視線を注ぎ合う、その男女を。


随分と長く。

握手にしては長すぎる時間、何でもないにしては近すぎる距離。


胸がずきりと痛み、チリチリと焼けるような感覚が長々と少年を苛んだ。

“人間を愛する呪い”という言葉が、またトシツネの頭の中をぐるぐると回った。


人間であれば、トシツネでなくとも。

――それがあの時から彼が抱えていた、不安の正体なのである。


会談が終わるまで、女王一行は別室でもてなされていた。

手洗いに立ったトシツネは、その建物内で少し迷ったのだ。

それが幸であったか不幸であったか。

こんなものを目撃してしまった。


彼は恋人という特別な立場になって以来、エルフリーデから与えられる愛を疑ったことはなかった。

惜しみなく愛されていると感じていた。


嘘のように幸せな毎日に、慣れ過ぎていた。

こんな光景を見ることになるとは、思っていなかった。

全身から血の気が引いていき、妙な震えに襲われる。


後で問えば、きっと答えをもらえる。

エルフリーデならば、それがどんなに都合の悪い答えでも、たばかるようなことはしないはずだ。

けれど、だからこそ、聞くのが怖かった。

恐ろしい事実を知る前に、幸せな思い出だけを胸に抱いて、消えてしまいたいと思った。


「何してんだエルは」


背後から声が聞こえてきた。


「あんな騙されやすそうなお人好し口説いて、役に立つのか?」


振り返るとミリヤムが、同じ方向に視線を向けていた。


「お前、何て顔してんだよ!大丈夫だって!」


トシツネは、バンバンと背中を叩かれた。

ミリヤムはいつものように太陽のような笑みを浮かべているが、彼は全く大丈夫だとは思えない。


「でも、あれは…」

「そういうんじゃないって!」


疑いのない琥珀色の瞳。

ほんの少し励まされて、トシツネは不安を残したままに微笑した。


「それより、戻ってこないから皆が心配してたぞ」

「わざわざ探しに来てくださったんですか?」

「散歩がてらな」


ニカッと歯を見せて笑うミリヤムを見ていると、心の中まで青ざめそうだったさっきの感覚が、温められていく気がした。


「迷ってしまって」

「だと思った」


言いながら、彼らはもといた部屋へ向かって歩き出す。


トシツネはもう、エルフリーデたちのいるほうを振り向きたくなかった。

あの後もしかして、二人はもっと近づいていたのではないかとか。

その末に、トシツネだけに許していたようなことまで、していたのではないかとか。

そんな疑念を持つだけで苦しいのに、見てしまってはきっと、トシツネという存在が壊れてしまう。


「気にしてるんだろ、あの陰陽師の言ったこと」


後ろ姿のまま、ふいにミリヤムが声をかけてきた。


「え、どうしてそれを…」

「ばーか」


明るい声で罵倒された。


「どうでもいいだろ、そんな呪いあってもなくても」

「そ、そうですね…」


とは言いながら、トシツネには到底、どうでもいいとは思えなかった。


「エルはお前のこと好きだよ」


安心させるように、ミリヤムがいつになく優しい声で言う。


「お前が来る前のエルってさ。男嫌いっていうか、恋愛不信っていうか、縁談も告白も断るしか選択肢がないと思ってるのかってくらい、誰も受け付けない奴だったんだぞ」


トシツネの知らないエルフリーデの話。

それに興味をそそられて、俯きかけていた顔を上げる。


「そいつがある時開き直って、『強引に攫ってきて閉じ込めてまで手元に置いているのだ、察しがつくだろう』って言ったんだぞ?あたしがどれだけ驚いたか」


ミリヤムはその時のことを思い出しているのか、愉快気にクツクツと笑う。


「女王サマが好きな男への接し方がわからず、いきなり拉致監禁。とんでもない暴君だよな」


後ろ姿だったミリヤムがくるりと振り返って立ち止まると、高く結い上げた白銀の長髪が弧を描いて流れていく。


「お前はそれだけエルにとって特別なんだ。自信持ってろ」


わしわしと、焦げ茶色の髪をミリヤムは力任せに撫でつける。


「わ、わ!痛いです!」

「悪い悪い」


ケラケラと笑うミリヤムにつられて、トシツネも笑った。


もう少しだけ、夢を見ていてもいいのかもしれないと。

トシツネは精一杯の希望を胸に抱いた。





その後、昼食会ということで、女王一行は全員同席を許されて、皇帝と女王と一緒に食事の席に着いた。

またもや料理や食べ方について、質問が飛び交って忙しくなる。


そんな中でも、クニシゲがエルフリーデに熱い視線を送っていること、エルフリーデがクニシゲに話しかける口調が心なしか昨日より親し気になっていることを、トシツネは気にせずにはいられなかった。


「ところで、即位記念パーティーまで五日あるが」


ふっくらとした薄紅色の唇へ、上品に箸の先を滑り込ませていた優美な手を止め、そこに見惚れていたクニシゲに青い瞳が向けられる。


「ローゼンシュトラウス子爵の故郷を訪ねる許可を、頂けないだろうか」


この慣れない姓を口に出され、トシツネも視線を上げてエルフリーデとクニシゲを交互に見る。

トシツネを短時間でも故郷に滞在させてやりたいとは、アルテンブルクを出発する前からエルフリーデが何度も言っていたことである。


「子爵の故郷はどちらなのですか?」


クニシゲに尋ねられたトシツネは、故郷の村の名を伝える。


「なるほど。皇都へ向かう途中で迂回すれば、日程的には半日ほど立ち寄るくらいは、可能ですね。しかし――」


クニシゲの言いたいことは、エルフリーデにもわかる。

魔族がぞろぞろと村の中に姿を現しては、その村は大混乱に陥るだろう。


「わかっている。私たちは馬車から降りなくていい。ローゼンシュトラウス子爵だけでいいから、故郷の土を踏ませてやりたいのだ。会いたい人も、いるだろう」


そもそもトシツネは、クニシゲの父である前皇帝が身柄の引き取りを拒否したことにより、帰郷の叶わない身となっていたのだ。

その点で負い目があるといえる立場上、こう言われてはクニシゲも嫌とは言いづらい。


「わかりました。全員馬車から降りて頂くのは難しいでしょうが、女王陛下とローゼンシュトラウス子爵のお二人ということでしたら――」


そこで問題点に思い至ったのか、クニシゲはしばし逡巡する。


「…そうですね。陛下には目立たないよう、お顔やお身体の線が隠れる格好をして頂ければ、助かります」


顔はともかく何故身体まで、とエルフリーデは思ったのであるが。

この国の女性の平均的な体型と比べると、エルフリーデの身体付きはなんとも目の毒なので、隠さなければ注目を集めてしまうだろう。


「承知した。お気遣い感謝する」


その点は些事であるとして深くは尋ねず、エルフリーデは感謝を述べた。


クニシゲが、じっとトシツネのほうへ視線を向け、何か言いたげにした。

目が合ったトシツネは、不思議そうに瞬いた。


「エルフリーデ陛下は…ローゼンシュトラウス子爵をとても大切にしていらっしゃるのですね」


その一瞬、照れくさくなって赤らむ頬を隠すように、トシツネは視線を下へ向けた。


「ああ。忠節の臣下を大切にするのは、王として当然のことだ」


エルフリーデのその答えに、クニシゲは満足気に微笑みを湛えた。

対してトシツネは、下を向いたまま凍りついた。

箸先で黒豆を追いかけていたエルフリーデは、そのどちらも見逃してしまった。


トシツネは、こんな場所で恋人だと紹介されることを期待していたわけではなかった。

なのに、臣下だからというエルフリーデの答えに、彼自身が驚くほどに傷ついてしまった。

だったら何と答えてほしかったのかというと、もう彼にはわからない。

ただ、橋の上でクニシゲにそうしていた十分の一でいいから、エルフリーデの青い瞳から視線を注がれたかった。

今はそんな時ではないと、わかっているのに。


「おそらくだが」


黒豆を味わい終えたエルフリーデが、美しい唇を開く。


「ローゼンシュトラウス子爵は、この国では戦死扱いになっているのではないかと思う。彼が故郷で人と会うことに関して、問題は無いだろうか?」


それは確かに不安要素であった。

故人が生きたまま帰ってきたら、その噂が広がったら、どう対処するか。

しかも、彼はそのまま帰ってきた土地に暮らすのではなく、既に異国人となっており、また去っていく。

これを如何に説明するか。


「そうですね…」


すぐには答えられず、クニシゲは考え込む。


「私としては、身柄引き取りを求める書状を送ったという事実くらいは、揉み消しても構わない。こちらで勝手に保護し、国交がなかったためにそのまま我が国の国籍を与えて生活させていたのであり、そちらはそのことを一切知らなかったということにすれば、お互い非はないことになると思うが」


エルフリーデは、恩着せがましい様子もなく、淡々と提案する。

彼女にとって重要なのは、あくまでトシツネが故郷で満足に振る舞えることなのだ。


「そうして頂けると、助かります」


申し訳なさそうに眉尻を下げて、クニシゲは微笑む。


「この説明を伝えた相手に、特に口止めも必要ないだろうか?」

「ええ、此方としては問題ありません。ローゼンシュトラウス子爵は、魔族に保護された人間が手厚く遇されていたということの、生き証人になるわけですし。今度の件の反対派も、少しは意見を変えてくれるかもしれません」


反対派も何も、国全体が反対派であろうとエルフリーデは思うのであるが。

この皇帝の楽観的で抜けているところは、この件が落ち着くまで彼女が補ってやるしかないだろう。

何と言っても、この暴君は世界を手に入れようとしているのである。

ここで出鼻を挫かれるわけにはいかない。


そうして昼食会も平和なままお開きとなり、何事もなく彼らは宿へと戻る馬車に乗り込んだ。


宿で荷物をまとめ、皇都へ向かって出発する。

出発前、トシツネの故郷に寄る約束を取り付けることができ、エルフリーデはご機嫌であった。

誰よりもその帰郷を喜ぶべきはずのトシツネは、橋の上でクニシゲと真剣に見つめ合うエルフリーデの姿を脳裏から追い払えず、奇妙なほどに浮かない顔をしていた。


クニシゲは、なんだかんだとエルフリーデの乗る馬車に同乗したがった。

断る理由をつけ難い女王はそれに了承しつつも、ちらとトシツネのほうを見てはもの言いたげにしていた。

他の者達からは、いちゃつきたいのを我慢しているのだろうと察せられ、苦笑やら微笑まし気な視線やらが向けられていた。


皇都へ向かう馬車は四人乗りであった。

これに乗り、約三日かけて移動する予定である。

皇帝の希望やら何やかやの都合により、一方の馬車にはエルフリーデ、ギュンター、クニシゲ、そしてクニシゲの側近であるユキマサが。

もう一方の馬車には、ミリヤム、アルベルト、トシツネ、ヨハネスという面子で乗っていた。

恋人と引き離されたエルフリーデとトシツネ、そして想い人と引き離された上に好敵手は彼女と同乗しているという状況のギュンターは、それぞれに幸せとは程遠い表情を誤魔化しきれなかったのであった。

不安になる同士って現実なら共依存が関の山…ですが、物語を動かすにはそれくらいが丁度いいというか、私の好みでこうなっております。

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