40―女王の帰還
青い光は互いに真っすぐぶつかり合った。
その効果は相殺されたものの、衝撃波が爆音と共に洞窟の壁面を破壊する。
女王と少女は転移によってそれを避けた。
「場所を変えようか。これでは封印を壊す」
温度の無い声で女王が告げる。
「封印など、わらわにとってはどうでもよいわ」
片腕と両足を失くした少女は、痛みに歪んだ顔の上に、不敵な笑みを浮かべた。
「精霊エファ。お前の目的は何だ」
無表情のまま女王が問う。
「知りたいか」
言いながら、少女は浮遊し女王に肉薄した。
「っ――!!!」
残っている少女の左腕が、信じられないほど強い力で女王の肩を掴む。
女王は転移で逃げもせず、ほとんどくっつきそうなほど近くにある少女の顔を見据える。
「残虐などと自称する者はその実、甘ったれの腑抜けじゃ。この身体はもう用済み。あの邪魔な男もまた用済み」
低い声でそう告げながら、少女は同じ色の青い視線を手繰り寄せるように、じりじりと距離を詰める。
「エルフリーデ・ジルヴィア・アルテンブルク」
少女がその名を唱えると、その瞳の中に浮かび上がった魔法陣から光が這い出した。
その光は勢いよく女王の瞳に這い込んでいく。
「うあああああああああああ!」
それは女王の絶叫だった。
―――――――――――――――
主君が帰還したとの報告を受けて、アルベルトは王宮の廊下を急ぎ足で進んだ。
向かう先は王座の間。
おかしい。
彼の主君は、王座の間になど普段好んで居つかない。
大仰に華美な装飾を施された、両開きの大扉の前に立つ。
衛兵に用を告げると、しばらく待ってからその扉が開かれる。
王座にその身を委ねる絶世の美女。
真紅の絨毯の上を一歩一歩と進む。
そして、彼は跪いて頭を垂れた。
「アルベルトか。何用だ」
おかしい。
主君が彼にこんなことを言うはずがない。
「…あなたは、誰なのですか」
浮世離れした美貌が、淡い金髪を見下ろす。
「決まっておろう。エルフリーデ・ジルヴィア・アルテンブルクだ」
刹那の沈黙が流れる。
その一瞬で耳が痛くなるほどに音の無い沈黙が。
そして従者は、静かにゆっくりと顔を上げた。
「いいえ。あなたは我が君ではありません」
赤い瞳が真っすぐに、彼の敬愛する主君の姿をした誰かを見上げた。
「ふっ、はははははははははは!」
麗しすぎるかんばせを持つ女が、王座から高らかに哄笑する。
笑い声を発するふっくらとした薄紅色の唇が、気品などかなぐり捨てて開いている。
その様子に、赤い瞳に嫌悪の色を浮かべて、彼は立ちあがった。
「聡い男は嫌いではない。良い、わらわに仕えることを許すぞ」
凛と透き通った声には、しかし彼の耳を心地良く宥める澄んだ響きが無い。
精霊エファ。その中身に彼は確信していた。
「わたくしがお仕えするお方はこの世でただお一人。あなたなどに仕える気はございません」
彼の理知的な切れ長の目に怒りが宿る。
「見上げた忠誠心よ。だが、お前の主君などもうどこにもおらぬ。今やわらわが、エルフリーデ・ジルヴィア・アルテンブルクなのであるぞ。この意味がわかるか?」
答える代わりに、彼はその手に赤い光と炎を宿した。
「ほお。聡いと思ったが買い被りか。この身体が何なのかもわからぬのか」
優美な白い手指で、漆黒のドレスの裾が品も無く捲られる。
しなやかなふくらはぎと、丸く滑らかな膝が露わになる。
「…っ!!!」
彼の脳裏に過ったのは、いつかの主君の姿。寝台の上から手招きし、戸惑って動けない彼の元へ一歩一歩と近づいてくる――。
赤い光は引っ込み、炎は消えた。
「何じゃその反応は。あの女は節操なしというわけか」
愉快気に、借り物の美貌が嘲笑う。
「…陛下への侮辱は許しません」
憤りを抑えられず、彼は低く唸る。
王座から立ち上がり、青い瞳に侮蔑の色を浮かべた女が、一歩一歩と彼に近づいてくる。
「与えてやってもよいのだぞ?わらわに仕えるならばな」
目の前で立ち止まった女が、優美な腕を彼の腰に回し、上目遣いに赤い瞳を見上げる。
彼の焦がれた女性と全く同じ、甘い香りが漂った。
「欲しいのであろう?この身体が。素直になるがよい」
艶めくふっくらとした唇が、誘う様に僅かに開いている。
彼の脳裏にまた、いつかの記憶が過る。
咄嗟に彼は、女の肩を押して突き飛ばした。
「陛下のお身体を…陛下を…あなたのような下品な女に好きにされてたまるか!」
肩で荒い息をする。
完璧な姿勢も所作も、何もかも崩して、彼は憤怒の化身のように女を睨めつけた。
「わらわを侮辱するか。ならばお前などいらぬわ」
ピシリ、と。
彼の背後に亀裂が走る。
「すぐに引き裂いてやってもよいのだが、念のためしばらくは人質として取っておいてやろう」
黒い闇がぱっくりと口を開けて、女王の自慢の従者を呑み込んだ。
―――――――――――――――
ミリヤムとギュンターは、王座の間に呼びつけられ、そこへ向かうために廊下を急いでいた。
「なあ、おかしい」
「ええ、そうですね」
彼らの女王が王座に腰掛ける姿など、式典の時くらいしか見たことが無い。
「失敗したんじゃないのか」
琥珀色の不安が向けられるが、ギュンターは肯定も否定もしない。
彼も同じ不安に苛まれているのだ。
「…だとしても。我々は行くしかありません」
中性的な美貌が険しく歪む。
最悪の場合を想定しているのだ。
ミリヤムもその場は、それ以上何も言わない。
急ぐ二人の足音が天井の高い廊下に反響し、急き立てるように耳を打った。
やがて王座の間へ続く大扉の前へ辿り着く。
衛兵に声をかけ、扉が開かれると、真紅の絨毯を進んでいく。
ギュンターは王座の前で跪いた。
ミリヤムはその隣で立ったままだ。
「お前、誰だ」
即座にミリヤムが誰何する。
その上から、絶世の美貌が不敵に笑む。
「わらわは、聡い男より聡い女を好くぞ」
青い瞳が二人を卑下している。
ギュンターもまた、顔を上げて立ち上がった。
「精霊エファ」
ライトグレーの瞳が、真っ直ぐ王座を見据えている。
「わかるか、我がいとし子の末裔よ」
ふっくらとした薄紅色の唇の端を引き上げて、女が笑う。
「ならば言うまでもない。わらわのためにその身を捧げよ」
王座の女はおぞましい程に美しい顔に、酷薄な微笑を浮かべる。
「あたしの仕える王はお前じゃない」
ミリヤムの言葉に同意するように、ギュンターも頷く。
「忠誠などいらぬわ。役に立ってくれさえすればよい」
すっきりと整った鼻を鳴らして、女は蔑むような視線を投げる。
「ミリヤム・クラナッハよ。王命を告ぐ。わらわの代わりに子を産め。我がいとし子の血を引く子をな」
ギュンターが瞠目する。
その意味がわからないわけがない。
「総帥になんてことを!」
「馬鹿にするな」
ギュンターの怒声の直後、ミリヤムが低く唸る。
「世継ぎは強くて聡い子がよい。この身体とその男とでは血が近すぎる。男漁りに耽る気分にもなれぬ」
「知ったことか!」
琥珀色の瞳が、鋭く女を睨めつける。
「何が不満じゃ?こやつは見目も悪くないし、どこぞの知らぬ男というわけでもなかろうに」
その言葉に、涼し気な目元でライトグレーの瞳が揺れていることを、青い瞳は見逃さなかった。
「お前は王なんかじゃない。従ってやる道理はない」
対して、毅然として言い切るミリヤムの瞳は、揺れることを知らない。
「従うとも。男と女を二人きりで閉じ込めておけば、命じなくともそうなる」
王座の女が、青い光を放った。
ぎっとそれを睨みながら真っ直ぐに立っていたミリヤムも、薄い唇を噛んで悔しさと腹立たしさを堪えていたギュンターも、その場から消えた。
ギュンターの男心は全方位から弄ばれてますね。




