41―捕らわれた者達
窓の景色から、そこが中央宮の最上階、女王の寝室のほど近くであることがわかった。
こんな状況では、見下ろす景色の中を踊るように舞っていく枯れ葉さえ、ふざけて見える。
「総帥、お怪我はありませんか?」
気遣わし気に、中性的な美貌の貴公子が彼の上司に視線を送る。
だが彼女は視線を合わせて来ない。
「ああ。お前は?」
「ええ、何ともありません」
彼らは同じ室内に転移させられていた。
ギュンターは部屋の中を調べ回る。
その部屋にあるものといえば、大き目の寝台がひとつだけ。
他には何もない。
奥にシャワールームがあり、トイレや洗面所も備え付けられている。
もともと客室であったものを、寝台以外の家具を運び出したのだろう。
露骨なことである。
扉にも窓にも厳重に外から鍵をかけられており、何度試してもここで魔法は使えない。
「魔封じされているようですね」
そのような効果のある魔道具は彼らは聞いたことがないので、おそらく別の方法によって封じれているのだろう。
ギュンターの空間魔法が使えれば、鍵を開けることも扉や壁にに穴を開けることも造作もないのだが。
「水晶も駄目だ」
ミリヤムは、青い水晶を手にしている。
“転移水晶”と名付けられたそれは、ローマンの手で作り上げられた、エルフリーデの空間属性の魔力を込めた水晶だ。
これは二つで対になっており、片方を使用すれば、もう片方のある場所へ一度だけ転移できる。
人体の転移には非常に高度な技術を要するので、一つの水晶で転移できるのは一人だけ、また一度で使い切りといった制約がある。
彼らはつい数刻前、これを使ったところだ。
それも、エルフリーデの固有空間と王宮との間を行ったり来たりするためにである。
これによって、エファの挑発のために連れ出したトシツネを無事に帰し、拘束したヴィンフリートの身柄をミリヤムとギュンターで確保することが可能となったのだ。
かの老職人には、国中が頭が上がらないだろう。
余談であるが、ヴィンフリートを運び出す際には、ミリヤムは事前にギュンターの血を飲み、ヴィンフリートにはそれを無理矢理飲ませた。
王族の血を体内に保持してさえいれば、正しい道を辿ることは可能なのだ。
「エファの目的が目的ですから、殺されることはないでしょうし、きちんと食事も運ばれてくるでしょう」
「ああ」
ミリヤムは、表情の読めない顔で窓の外を眺めている。
「総帥、ベッドはどうぞお使いください。僕は床で構いませんので」
「ああ」
ギュンターが声をかけても、ミリヤムは上の空の様子である。
「…陛下のことが、気になりますか」
高く結い上げた白銀の長髪がさらりと揺れ、ミリヤムが振り返った。
王座の間では真っすぐに揺るぎなかった、琥珀色の瞳が揺れている。
「エルは…」
白銀の睫毛が不安げに伏せられていく。
「もう少しだけ、信じてみませんか」
はっとしたように、伏せかけていた瞼が開かれ、琥珀色の視線が真っすぐにギュンターに向けられる。
「陛下は、僕たちに隠し事をなさいました。敵を騙すには、まず味方からといいます。もう少しだけ、信じて待ってみませんか」
ギュンターはその一瞬、体当たりをされたと思った。
しかし、数舜経って状況が呑み込めてくると、違うとわかった。
常に強気で豪胆な上司が、彼の肩に顔を埋めてしがみ付いている。
ぎゅっと回された腕が、彼らの身体を隙間なく密着させていた。
「ちょっと、総帥!?」
声が裏返った。
ギュンターが彼の気持ちに気づく前ならば、変な意識をせずにミリヤムを宥めようと思えたかもしれない。
しかし今となっては、これは二人きりのこの部屋で試練とも言える状況である。
「お、落ち着いてくだしゃっ」
無様に噛んだ。
すると、彼女の肩が揺れた。
「ふっ…ははっ!」
顔を上げ、ミリヤムは笑い出した。
「はははっ!お前、おっかしい!落ち着くのはそっちだろっ!」
腹を抱えるために、身体を解放される。
人の気も知らずに、と言いたいのを堪えて、ギュンターはその様子を微笑ましく見守った。
「総帥。年頃の女性が突然男性に抱き着いたりするものではありませんよ」
「何言ってんだ、あたしだぞ?誰がそんな気になるかっていうの!」
そう言ってミリヤムは、陽気に笑い声を上げる。
特大の溜め息と共に、ギュンターは頭を抱えた。
「お前さ、感謝しろよ!こんなとこに閉じ込められても、相手があたしだから何も起こらずに済むんだからな!」
追い打ちをかけるように、ミリヤムがギュンターの頭痛の種を振り撒く。
「いいえ、総帥。それは違います」
笑うミリヤムの肩をがっしりと掴んで、ギュンターはその視線を合わせた。
ミリヤムは笑うのをやめて、怪訝そうな表情を浮かべている。
「僕が百七十年間も清らかな男だから、誘惑に負けることなく、あなたが無事でいられるのですよ。感謝されるべきは、僕のほうです」
言っていて悲しくなるようなことを、それでも言わずにはいられないくらい、ギュンターは精神的に参っていた。
そんな彼の気も知らず、ミリヤムはまた笑い声を上げる。
「ふはっ!お前、かわいそうだからさ、このまま出られなかったらあたしが相手してやるよ!」
これにはギュンターも顔を真っ赤にして涙を浮かべた。
ミリヤムの調子からすると、酷いことにどうやら渾身の冗談のつもりのようだ。
「総帥、馬鹿なことを言わないでください」
それはほとんど嘆願だった。
「何、変な顔してんだよ!お前面白すぎ!」
それでもゲラゲラと、もはや下品なほどにミリヤムは笑う。
この場から逃げ出したくても、それが叶わないギュンターは、床に蹲って頭を抱えた。
―――――――――――――――
屈強な肩に担がれて、ヴィンフリートは海岸沿いを運ばれていた。
「どこへ連れて行くつもりです?」
彼を担いでいる初老の将校は、何も答えない。
おそらく、女王の命令で何も答えないようにと言われているのだろう。
しばらく進んでいくと、人気のない海岸に魔封じの陣が敷かれていた。
見慣れたその模様の組み合わせを目にしたヴィンフリートは、蛇のような鋭い目を細めてにやりと笑う。
ヴィンフリートを呪術で縛ろうだなんて、彼にとっては笑止千万なのである。
この世界で呪術が栄えたのは、二千年以上前の話である。
その頃、まだこの世界と精霊界とを精霊が行き来していた。
そして、この世界に様々な情の湧いた一部の精霊が、肉体を得てこの世界へと留まることを選んだ。
彼らの中のまたその一部は、この世界での魔力の行使が思う形で発現しないという問題を抱えた。
その要因は、世界の理の違いにある。
この世界の理を解き明かし、補助的な手段を用いることによって、この世界においても彼らの魔法を満足に発現させようと試みる。
それが、呪術の始まりであった。
どの世界でも、力の弱い種族が立場を得るあるいは維持するには、知恵を使わねばならない。
人間たちが、魔法という得体の知れないものを扱う魔族を、無条件に恐れるように。
自分達の持ちえない、理解しえない力を持つ種族というのは、自然と脅威として認識されるものである。
精霊という、魔法に関して絶対的な力を持つ存在が、身近にいたその時代。
魔族はその絶大な力の差に、精霊を無意識に脅威と認識し、力の不足を補う術を求めることとなる。
そんな中、人間でも精霊でもない彼らにとって、この世界と精霊界の両方の力を要する呪術というものは、自然と彼らの力として受け入れられていく。
そうして、人間には扱えない魔力というものを基軸に、この世界の理に関する知恵を加え、純粋な魔法に対抗する術を求めて、魔族の手による呪術が発展していったのである。
精霊が姿を現さなくなって二千余年。
この世界において最も力を持つ種族となった魔族にとって、呪術はその存在価値をほとんど失っていた。
魔法と科学だけで、生活は充分以上に成り立つ。
闘争する相手のいない世界において、余計な力は必要ないのだ。
そうして衰退していった呪術は、そのほとんどが忘れ去られ、見向きもされなくなっていった。
一部の、呪術を必要としなければ魔法を発現できない家系を除いて。
人間界にも呪術の真似事をする者達が現れ、奇怪な図形を描いては無意味な祈祷などする者が後を絶たなかったが、彼らの愚は“魔”の理を解さずに独自の手法を編み出そうとしたところにある。
この世界と精霊界との二つの理の狭間にある呪術という存在に、彼らは到底たどり着けなかった。
中には呪術師と名乗り、虚偽や八百長で金銭を荒稼ぎする詐欺師もいたが、それも今となっては昔の話。
今日では、呪術の存在そのものを覚えている者すら、見つけるのは難しいだろう。
ヴィンフリートは、その魔法陣の中央に下ろされた。
縛られた両手の先をこっそりと動かし、指先の柔らかい皮膚に、反対の手の爪を立てる。
いつでもそこから血を滴らせることができるように。
初老の将校の獅子のような力強い眼窩から、鳶色の瞳が見下ろす。
その大きくいかにも屈強そうな手には、槍が握られている。
しかしその穂先を天へ向け、逆側にある石突をヴィンフリートの腹に向けて構えている。
こんなもので拷問でもするつもりか。
全く手ぬるいと、ヴィンフリートは嘲笑う。
「お前の目的を言え」
ぐいと、石突を薄く柔らかい腹に押し込まれる。
多少の痛みはあるが、呻くほどでもない。
これで脅しているつもりとは、なんて愉快なことであろうか。
ヴィンフリートは答えずに、薄い唇の端を吊り上げて声も無く笑った。
「うぐっ!」
すると、腹を目掛けて槍が振り下ろされ、石突が急激に内蔵を圧迫する痛みに、呻きが漏れ生理的な涙が滲む。
腹は痛み続け、一気に体温が上昇し、全身から汗が噴き出す。
速まる鼓動が身体の危険を告げているが、それでもヴィンフリートは沈黙したまま、不敵に笑う。
これが可笑しくなくて何なのだ。
槍というものは穂を用いなければ相手の肉を傷つけられないであろうに。
この屈強な男は、ヴィンフリートの肉を裂く冷酷さもないくせに、拷問などしようというのか。
このヴィンフリート相手に。
彼は余裕たっぷりに、おぞましいほどに細く目と口を吊り上げて笑った。
好きな子と二人きりで閉じ込められて…って、完全にお色気漫画みたいな状況設定ですよね。
私の発想って…あらあら。




