21―森の妖艶なネクロマンサー
アルテンブルク王国の西に、人里離れた森がある。
鬱蒼と生い茂る植物の種類は実に多様で、薬の原料の宝庫として重宝されている。
しかし、暗く不気味な湿ったその森には、植物採集以外の目的では滅多に人は近寄らない。
そんな森の中、二つの人影があった。
蒸し暑さの残る晩夏のその日、獣道を歩き疲れたギュンターは、涼し気な目元に疲労の色を滲ませている。
その隣を浮遊しながら進むエルフリーデは、疲れとは無縁で景色を楽しんでいるようだ。
「叔父上もそろそろ浮きたくならないか?」
空間魔法で身体を持ち上げ、浮遊したまま移動させるのは、エルフリーデの十八番である。
速度を上げれば、飛行と呼べるだろう。
もう一人くらい一緒に浮かせることは造作もないのだが、森の入り口でそれを提案した時、ギュンターは「落ち着かないから」という理由で断った。
「そうですね、ではお願いしましょうか。例の屋敷がこんなに見つかりづらいとは」
無駄な意地を張り続けず、必要に応じて意見を変えられる柔軟さは、ギュンターの美点である。
男性にしてはしなやかな体躯が、ふわりと持ち上がった。
「この辺りのはずなんだが」
二人が探しているのは、ネクロマンサーの屋敷だ。
ローマンから得た情報によると、西の森に屋敷を構える若い女主人がおり、それが唯一のネクロマンサーの家系の者だというのだ。
「こういう視界の悪い場所では、総帥の勘の鋭さが一番頼りになりそうな気がしますね。連れてくる者を誤ったのでは?」
ミリヤムには、見えないものを感じ取る直感が備わっているのだ。
日頃行動を共にしているギュンターが、それに頼りたくなる気持ちはわかる。だが、エルフリーデには別の答えがあった。
「おそらく、叔父上に来てもらうのが最善のはずだ」
控えめに視線を向けてくるライトグレーの瞳が、無言で理由を問うていることを、彼の姪は察する。
「気乗りしていない相手を協力者に引き入れたい時、交渉役が誰かというのは重要な要素だ。特殊な条件がある場合を除いて、だいたいにおいて間違いのない原則としては――」
エルフリーデは、進行方向を塞いでいたシダ科とおぼしき植物の大きすぎる葉を、空間魔法の応用で掻き分ける。
「男には美女を、女には美男子を、老いた賢者には旧友を用意していけばいい」
そこに屋敷があった。
赤茶色のレンガ造りの、時代を感じさせる建物だ。
閉じた鉄の門の前で、エルフリーデは二人の身体を地面に下ろす。
「アルベルトよりは叔父上のほうが、女性の扱いが上手そうだと思ってな」
薄い唇に困ったような微笑を湛えて、ギュンターは肩をすくめた。
「ご期待に沿えるかはわかりませんが、その女性を訪ねてみることに致しましょう」
門を叩くと、それはひとりでに開いた。
招き入れられているものと判断して、玄関前まで歩を進める。
すると内側から、屋敷の主が扉を開いた。
「ようこそ、珍しいお客様方」
艶っぽい声がする。
現れたのは、色気を撒き散らしているという印象を誰もに与えるような、妖艶な美女だった。
胸元がざっくり開いた丈の短い赤いタイトドレスは、胸の谷間や太ももを惜しげもなく晒し、胸や腰の悩まし気なラインをぴったりと浮かび上がらせて、彼女の豊満な肢体を見せびらかしている。
輝くようなハニーブロンドのシニョンは高く結い上げられ、首元の黒子が実に色っぽい。
紅を引いた唇はぽってりと腫れぼったく、垂れぎみの大きな目からは飴色の瞳が覗き、白い肌は吸い付きそうに瑞々しい。
スカートの裾から赤いハイヒールまで伸びた長い脚は、絶妙の曲線美を描いている。
「あたくしはブリューゲル伯爵家当主、テレーゼ・パウラ・ブリューゲルでございます」
甘ったるい響きを孕んだ声で、女が自己紹介をする。
「私は、エルフリーデ・ジルヴィア・アルテンブルク。この国の王だ」
「ギュンター・グスタフ・シュレンドルフと申します。王国軍中将の階級を授かり、公爵位を賜る、陛下の叔父にあたります」
二人が名乗ると、テレーゼは飴色の瞳をぱあっと輝かせる。
「まあ!まあまあまあ!王族のお二人が我が屋敷に?今日はなんて素敵な日なのかしら!どうぞ、上がってくださいませ!」
随分と歓迎されている様子に、女王とその叔父は驚きを隠せない。
案内された応接室は、古いながらも一級の調度品で整えられていた。
外から見たよりは明るく、大きな窓は上手く日差しを取り込めるように、きちんと設計されているようである。
女主人が、紅茶と茶菓子を運んできた。
「お口に合うといいのですが」
見るからにそれは、高級なものだとわかる。
「突然の訪問にもかかわらず、このような快いもてなしに感謝する」
エルフリーデが礼を述べると、女の紅い唇が妖艶に笑む。
「勿体ないお言葉ですわ」
ギュンターは、妙な視線を感じるような気がして落ち着かなかった。
どうも、横目にチラチラと、テレーゼから何度も見られているようだ。
「あの、僕の顔に何かついているでしょうか?」
馬鹿正直に問うと、
「あら、あたくしったら」
テレーゼが片頬に手を当て、しなをつくって恥じらった。
「シュレンドルフ公のお美しさに、つい見惚れてしまっていたようですわ」
クスクスと、極力小さくエルフリーデは笑う。
そして小声で、
「ほらな」
と囁いた。
交渉役にギュンターを選んだことに間違いはなかった、と言いたいのだ。
ギュンターのほうでは、こういう女性らしすぎる女性が得意でないらしく、端正な顔に引きつり笑いを浮かべている。
この場をさっさと辞したい一心で、ギュンターは話を切り出そうと口を開いた。
「本日は、ブリューゲル伯爵夫人にお願いがあって参りました」
「まあ、あたくしに?いったいどんなご用件かしら?」
「ある人の屍を、我々の目的のために操って頂きたいのです」
「あら、そんなことですの…。あたくし、あの力を使うの、あまり好きではなくってよ?お化け屋敷だなんて言って、昔から色んな人にいじめられましたもの…」
長い睫毛を伏せて物憂げな気配を漂わせながら、テレーゼはあだっぽい視線をギュンターに送る。
「それは気の毒な想いをなさいましたね。ですがどうか、我々のためにお力をお貸しくださいませんでしょうか。勿論、あなたのお力を使うところを、部外者に見せるようなことは致しませんし、この件は内密に致します。我々にできる範囲で、お礼もさせて頂きたいと思っております」
優しく、諭すようにギュンターは訴える。
「まあ、そんなお心遣いを…。では、お役に立てましたら、あたくしのお願いもひとつ叶えて頂けるのかしら?」
テレーゼは、なまめかしい上目遣いでギュンターを見遣る。
「我々にできることでしたら」
ギュンターが答えると、テレーゼは頬を染めて瞳を潤ませる。
「あたくし、結婚相手を探しておりますの」
ギュンターの背筋に悪寒が走った。
「こんな森の奥にひとりでずっとおりましたから、もうあたくし…」
心細さに悶えるような仕草で、テレーゼは俯き加減に我が身を抱き、そして、
「寂しくって」
とろりと扇情的な声色で、留めとばかりにその一言を発する。
こういった女性が好きな男性にとっては、瞬殺ものの破壊力があったろう。
ギュンターはその先を聞きたくなかった。
嫌な予感に凍り付く。
「シュレンドルフ公は、ご結婚は?」
既婚だと嘘を吐いてしまおうかと逡巡しているうちに、
「叔父上は独り者だ」
などと、エルフリーデが答えてしまう。
「まあ、でしたらその…」
頬を赤らめて嬉しそうにするテレーゼにこれ以上言わせてはいけないと、ギュンターは慌てる。
彼の答えが決まっている以上、止めなければ彼女に恥をかかせることにもなる。
「婚約者がおりまして」
さっと、テレーゼの顔が曇る。
「あら、そうですの?」
隣のエルフリーデが驚いているが、今のギュンターにはそれどころではない。
「はい。ですから、良いご縁の橋渡しになれましたらと思うのですが」
テレーゼは、寂しそうに肩を落とす。
その様子には心が痛むが、望みがないのに希望を持たせるほど残酷なことはないと、ギュンターは思うのだ。
彼は誠実を重んずる男だ。
「森の外へ出かけさえすれば、あなたほどの美しい女性を男性は放っておかないでしょう。ご自分でお相手を見定めるのが心細いようでしたら、身辺調査などできる限りお手伝い致しましょう。お望みでしたら、僕の知り合いの信頼できる者もご紹介しますよ」
エルフリーデは納得いかないという表情を浮かべながらも、口は挟まないでいた。
テレーゼは気落ちした様子だが、諦めたように頷く。
「よろしくお願いしますわ。あたくし、精一杯協力させて頂きます」
「ありがとうございます」
「私からも礼を。感謝する、ブリューゲル伯爵夫人」
目的も問わずに手を貸すことを承諾したテレーゼを、当初二人は不思議に感じた。
しかし、詳しい話をしようとしても、「難しいことを考えるのは苦手ですの」と言って、興味を持たれなかったのを見るに、そういう人柄なのだと納得しておいた。
準備ができれば日取りを伝えに使者を寄越すことにして、二人は屋敷を辞すことにする。
帰り際にエルフリーデが、暴漢対策の技をいくつかテレーゼに伝授しているのを見て、ギュンターは苦笑する。
この二人は、意外と仲良くなれる相性なのかもしれない。
「蹴り上げて駄目なら、思い切り折ればいい」という助言だけは、恐ろしくて夢に出そうなので聞きたくなかったものであるが。
「それで、婚約者というのは誰なのだ?初めて聞いたぞ」
咎めるような口調で、帰路の途上で姪が問う。
「いませんよ、そんなもの」
涼しい顔で叔父が答える。
「嘘を吐いたのか?」
非難気な声色だ。
「嘘でも吐かなければ、恥をかかせていたでしょう」
それでもまだ、姪は納得できないといった顔をしていた。
「美人だし、素直だし、歳も近そうだし、独り身の叔父上には良い縁だと思ったのだが」
そこで初めて、「叔父上は独り者だ」という姪の答えが、親切心から出たものだったと知った。
あの伯爵夫人は女性には嫌われそうなタイプだとギュンターは思ったのだが、姪はその例には当てはまらなかったようである。
「あの女性は、僕とは相性が合わないと思いますよ。僕はどちらかというと、誰かの補佐に回る方が得意ですから」
ふと、ギュンターの脳裏に、白銀の長髪を靡かせる豪胆な上司の笑顔が過った。
その時は、その意味に気づいてはいなかったのだけれど。




