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39―空の上の女王と従者

晴れ渡る空の眩しさに、美貌の女王は形の良い目を細めて、上空を目指す。

その瞳の深い青に、雲間から差す光の筋が映り込んで、角度によって色を変える宝石のように煌めいている。

顰められてなお秀麗さの際立つ眉、陽の光を照り返す程に輝く白く滑らかな肌、整いすぎた鼻梁、ふっくらとした薄紅色の唇。

絶世の美女と謳われる彼女の麗しいかんばせは、ただ空の上に無骨に漂う古めかしい城に向けられている。


従者を一人伴って、彼女は城へ向って上昇飛行している。

彼の柔らかそうな淡い金髪は星屑を集めたようにきらきらと陽に照らされ、理知的な赤い瞳もまた無骨な城に向けられていた。


城は明らかに、ここイヅノメ皇国の建築様式ではない。

アルテンブルク王国でも、何千年も前の人間界の古文書の翻訳の中の記述でのみ見られるような、古いものである。

円筒形の塔が重なるように入り組んでひとつの城の程を成しており、その一塔一塔の壁面に、緻密に組み上げられた鉛色の石が複雑な模様を螺旋状に描き出している。


「アルベルト」


凛と気高い声が、風の合間から従者の耳に届く。

彼が振り向けば、女王の長く艶やかな黒髪がはたはたと風に靡き、対照的に透き通る肌は瑞々しく、芸術的なまでの彼女の美しさに魅了されないではいられない。

輝きを放つ青い瞳に眼差しを注がれると、空中を上昇しながらその中へ落ちていくような錯覚にまでとらわれる。


「お前は、クニシゲ殿の身柄を確保したら、彼を連れて先に戻れ」


その命令には、従者はすぐに首を縦に振ることができなかった。

何故ならその意味するところは、女王を置いて行けということであるからだ。


「……はい。ですが、皇帝陛下を無事送り届けたその後は、もう一度陛下のお傍へ――」

「ならない」


ただ真っ直ぐに、美しい青い瞳はその輝きの全てを赤い瞳に向けていた。


「状況が許せば、トシツネもお前に託して地上に返したい」


女王の最も愛する者を託されるということは、それだけ彼が信頼されているということだ。


「守ってやってくれないか。私はあれが愛おしい。愚かしいほどに」


自嘲気味な微笑みに滲む慈愛は、トシツネに対してだけのものではないと、アルベルトは直感でわかった。

口には出さないが、彼の主君はこの従者のことも危険から遠ざけたいのだ。


「私は情けのない愚王だ。多くを巻き込み過ぎた。ミカゲには、世界を滅ぼそうとするような野心は無い。あれの暴挙は、私を思うように始末できれば収まる」

「陛下! まさかまた、ご自身を犠牲にしようなどとは――」

「私にも意思があり、浅ましい程に望みもある。醜い程に未練がましく欲深い。だから、そう簡単に奴の好きにさせるつもりはない」


長年仕えて来たアルベルトにはわかる。

エルフリーデは、自分が正しく王として振る舞えなかったと思っている。

女王の美貌に滲んでいるのは、王になりきれなかった己を蔑むような気配だ。


「これから私は、国のために闘うのではない。ただ私が望むものであるために戦うのだ。あの時と同じだ。この身一つを惜しむために、私はまた王という立場の者を殺しかけている」


彼女が何のことを言っているのかもまた、彼にはわかる。

かつて王であった実父を殺し、その罪を隠蔽したまま王になった彼女。

その心に植わった罪悪感は、彼女が生きれば生きるほどに育っていく。

それを覆い隠す唯一の術は、彼女にとって、殺した王よりも良き王であることだ。

だから今、自らを愚王と称した彼女は、その罪の意識に苛まれている。


「陛下は、暴君です。素晴らしい暴君です。だからどうか、望むものを手に入れることを、躊躇わないでください。わたくしは、そんな陛下だからこそ、何があってもお仕えすると決めたのです」


従者の言に、女王は驚いたように美しい眼を開く。


「それに、わたくしは嬉しいのです。陛下がやっと、ご自分を大切にしてくださるようになって。お気づきですか? 活き活きと様々な表情をお見せになる陛下が、どれだけ魅力的な主君であるのかを」


彼女がこんなに表情豊かになったのは、理想の王としての生き方しか知らなかった彼女が、恋を知った時からである。

初めて自分だけのために何かを欲した時、彼女は変わったのだ。

忠臣たる彼が、その変化を喜ばないわけがない。


「そうか。そうかもしれないな。お前は私よりも、私のことをよく理解している」


にこりと笑みを浮かべる女王の奇跡のような麗しさは、空の上という状況も相まって、幻のように儚く輝いて見える。


「生きて帰れたら、良い王でだけあろうとせず、良い主君でもあるよう心がけよう」


女王がその言葉を言い終わらないうちに、彼らは城門に辿り着いた。

空中の城には庭もなく、門は開け放たれている。

二人は真っ直ぐに中央の大扉へ向かい、それを押し開く。

さほど力を込めずとも、ゴウゴウと重い石の擦れる音が鳴り響いて、招き入れるように扉は内側へ開いた。


女王と従者は、鉛色の硬い石の床に優雅に降り立つ。

その背後でゆっくりと扉が閉まっていく。

彼らは先程まで通って来た空の冷気を振り払うように、風に乱れた身だしなみを整える。


中央に螺旋階段。

壁面にはずらりと扉。


「城の主がいそうな場所を目指すならば、たいていは最上階だろうな」


階段など踏みしめる労力が無駄とばかりに、エルフリーデはアルベルトの腕を引き寄せて、空間魔法を発動しようとする。

だが、一度宿した青い光が、ふっと彼女の中へ引いていく。

不意に、掴まれた腕に力が込められるのをアルベルトは感じた。

エルフリーデの魔法は、触れていなければ発動しないようなものではない。

そこから伝わってくる感情が、彼には信じられなかった。


「陛下、もしかして……心細いのですか?」

「お前が傍にいてくれてよかったと。あの日から傍にいてくれたのが、お前でよかったと。そう、思っただけだ」


こんなことばかりを言われていると、従者の胸の内でいくらでも不安が増大してしまう。

まるで、これから死ぬ者のような台詞ばかりを、先程から主君に聞かされている。


「私は幸せを知り過ぎたのだ。守りたいものが多ければ、それだけ守り難くなる。だがひとつとして犠牲になどできるわけがない。失うことへの恐怖がこれほどのものと知らなければ、私は強い王であり続けられたのだろうか」


耐え切れなくなって、アルベルトは掴まれていないほうの腕を伸ばした。

女王の身体を優しく抱き寄せる。

驚いた彼女が掴んでいた腕を離すと、もう一方の腕もその背に回した。

初めて、抱擁を拒絶されなかった。

決して触れられないと思っていた柔らかな感触が、腕の中にある。


「おひとりで全て抱えて行こうとしないでください。どうしてもわたくしに先に戻れとお命じになるのだとしても、心だけはお傍に置いてください。わたくしは臣下です。あなたの臣下です。死んでも、あなたに忠誠を捧げます」

「アルベルト、お前……」


腕の中にいる戸惑いと共に、エルフリーデは彼の忠誠だけではない想いを、体温と共に感じ取った。

出会った時はまだ少年少女であった彼らは、どれほど長い年月、お互いの最も近くにいたのであろうか。

彼らの間には、重ねてきた歳月が築いてきた、感情の種類など越える絆があった。

だからこそ、エルフリーデはゆっくりとアルベルトの胸を押し返し、身体を離す。


「馬鹿だな、お前は……。私が無事に帰って来たとしても、この心は――」

「わかっています」


赤い瞳に宿るのは、親愛の全てを綯い交ぜにしたような美しい光だった。


「わたくしは陛下のその感情も含めて、全てにお仕えしたいのです」


呼吸が苦しい程に胸に詰まるのは、温かな慈愛と信頼だった。

赤と青のまるで正反対の色をした瞳が、同じ柔らかさの眼差しを注ぎ合う。


「お前は私の、最高の忠臣だ」


美しい薄紅の唇が、透き通った声でしみじみと紡ぐ。


「ありがたき幸せです」


誇らしく胸を張る忠臣につられて、女王はその表情に凛とした気品を漂わせた。

絶世の美貌からは恐怖が拭われ、何も手放さない覚悟だけがそこにある。


「行こう」


エルフリーデは、毅然と上を見据える。

先程よりはゆるやかな速度とはいえ、またもや青い光の力で二人は上昇していった。

このシーン、当初は書く予定ではなかったのに、いつの間にか手が勝手に……(笑)

多分、アルベルトというキャラへの愛着が増してきたせいですね。


好きな人の前では、ちょっと格好をつけたくなりませんか。

エルフリーデが一番弱味を見せられるのは、これからもずっとアルベルトなのだと思います。

自分で書いてて切ないです……。

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