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38―陸の魔物

イヅノメ皇国各地に配置されていたアルテンブルク王国陸軍は、その戦力をギリギリまで削って、ある一箇所に集めていた。

ミリヤムとギュンターは、今その場所が視界に入るまでに近づいたところである。


「おい、聞いてないぞ!」

「僕だって、聞いてませんよ!」


彼らの前で耳をつんざくような咆哮を上げているのは、見たことも無い獣であった。


「ここの敵が強くて戦力が足りてないとしか、言われなかっただろ!」

「説明する時間も無かったのでしょう!」


話しながらも、二人は戦闘に加わるべく戦地へ急ぐ。


四つ足で歩行し、ゴツゴツとした強靭そうな鈍色の皮膚を持つその獣は、頭に直角上向きに折れ曲がった二本の黒い角が生えている。

角の外側にある耳は三角に近く、草食動物のような離れた両目は赤く光って丸く、口は頬が裂けているかと思うほどに横に長い。

大きさは、山とまではいかないが、田舎の農民の庭付き民家一軒くらいの面積は、この獣が占領していた。


「あの場所って、ヨハネスが調べてた平地だろ!?」

「そうですね、胴が地中を這っていたとかいう、その場所のはずです!」

「だったら、あれは――」


地中に口を突っ込んで、獣が何かを吸い上げている気配がある。


「土属性の魔力を、吸ってんのかよ!」

「そうかもしれませんね!僕に訊かれても、総帥と同じくらいわかりませんけれど!」


走りながら会話するミリヤムとギュンターは、間もなくこの場所の対処にあたる他の魔族たちに合流した。


「おーい、誰か状況説明しろ!」

「これは、クラナッハ総帥にシュレンドルフ中将!」


ことごとく敬礼する陸軍士官たちに、ミリヤムはひらひらと手を横に振って、そんな挨拶は不要だと示す。


「いいから、説明!」

「はいっ! 地中からあれが現れまして、土に口を突っ込んでは魔力の塊を吐いております!」

「被害は?」

「今のところ、向こうの崖に穴が開いたのみで、死傷者は無しです!」

「対処は?」

「同量の魔力をぶつければ、相殺できるようです!」

「あいつに攻撃は通らないのか?」

「それが、実体が無いようでして……」

「ふむ」


似た状況を、ミリヤムとギュンターは前にも見たことがある。

その時は、海に魔物が出現し、その攻撃をエルフリーデの魔力で相殺していた。


「あれの仲間にしては、少し小さいが、似たようなものか」


そう独り言ちたミリヤムは、ギュンターの手を掴んだ。

鍛え上げられた体躯の印象とは違って、彼女の手のひらは柔らかい。


「なっ、何ですか、突然……!?」


その感触に赤面してしまった自分を恥じ、ギュンターは今はそんな場合ではないと自分に言い聞かせる。


「とりあえず一撃止めるのを手伝うぞ。それから、宰相に報告だ」

「そ、そうですね!」


四つ足の獣は、今にも口から魔力の塊を吐き出そうと、大口を開けている。

ギュンターはミリヤムに手を引かれるままに、その正面へ走って行った。

そこには既に、アルテンブルク王国陸軍の士官たちが、相殺のための魔力を魔物の吐く魔力にぶつけるために、構えている。


真っ白な光の塊が、がばりと開いた獣の口から太く吐き出される。

それが迫って来ると思う間もなく、目が眩みそうになる光の量に耐え切れず、ミリヤムもギュンターも瞼を閉じた。

見えないままに、彼らは前方へ自分の魔力を放出する。

しばらく、数十メートル先の地点で魔力が衝突する気配がし、爆風が吹き荒れた。


「……おさまったか」


魔力の気配が止み、風が落ち着くと、彼らは瞼を開いた。

結い上げられた白銀の長髪が乱れ、ミリヤムの艶やかな頬に一筋かかっていた。

男性にしてはしなやかすぎる指で、ギュンターがそれをそっと払う。


「――っ!? 何、だよ! 急に……」


今度はミリヤムが、かっと赤面する。

単に世話を焼かれたものと思ってさして気に留めなかった今までと違い、一度目が合った時に特別な意味を意識して以来、彼女の認識も変わってきているようである。


「宰相に連絡をしましょう」


涼しい顔で、美貌の貴公子は鳶色の水晶を取り出した。

まだ騒ぐ胸が収まらず、ミリヤムは取り残されて困惑する。


『こちらハイデマリー・ローザリンデ・キルヒナー』

「こちらギュンター・グスタフ・シュレンドルフです。報告済みの地点のうち平地に、霊体の魔物を確認。魔力の塊を吐いて攻撃してきます。被害は崖の損傷のみ。死傷者なし。同量の魔力で相殺可能、これにより対処中」

『了解』


紙にペンを走らせる音が、水晶の向こうから短く聞こえて来た。


『魔力切れの防止に、人員のこまめな入れ替えを提案。それからもう一つ』


冷静ではあるが、ハイデマリーの声は明らかに急いでいた。

そこから、彼女が同時に他の問題の対処にもあたっていることが察せられる。


『国内の過去の事例と類似するわね。呪術による召喚である可能性が高いなら、魔法陣を見つけ出して消せば斃せるのではなくて?』

「可能性はあります。しかし、過去の事例においては、召喚者の手のひらの魔法陣を消すことでは、魔物は消えませんでした」

『あら、そうだったわね。なら軍としては力で対処して頂戴。魔法陣に関しては、それにもっと適した人材を派遣するわ』

「承知しました」

『状況が大きく変化したら、また報告してね』


余韻も無く、急ぐように通信が切れる。

ハイデマリーの忙しさを労わりたかったところであるが、今はこの場もそれどころではない。

またも地中から魔力を吸い上げたらしい四つ足の獣が、その大口を開こうと向きと姿勢を変え始めていた。


「総帥は、指揮に徹してください! 僕は魔力相殺にあたります!」

「おいおい、上官に命令すんな!」


命令とはいっても、ギュンターの判断はごく平凡なものであっただろう。

素直にそれを聞き入れることにしたミリヤムは、獣が向く方向へ走って行く彼を見届けながら、この場の指揮や部隊統括について素早く思案を巡らせる。


恐ろしい量の光が溢れてくる方向には、眩してく目を向けたくもなかった。

吹き荒れる暴風に倒れないよう踏ん張りながら、ミリヤムはここから近い場所に駐留していた部隊の場所と数を思い出し、交代に呼ぶ人員を手配する手順とタイミングを考える。


「危ないっ!」


光が収まり、爆風の余波だけをまだ浴び続けていたその時。

横から飛んできたギュンターの声と共に、彼本人も飛んできた。


「わっ!?」


飛んできたギュンターが押し倒すようにミリヤムに体重をかけると、二人もろとも地面目掛けて傾いていく。

彼は器用にくるりと彼女の身体の下に回り、倒れた時にはミリヤムを抱き込んだまま下敷きになり、彼女のクッションになっていた。


「何だ!?」


ギュンターの胸にぎゅっと抱きしめられているミリヤムには、何も見えない。

わかるのは、彼の体温と、どくどくと鼓動する彼の心音に包み込まれて、その上に乗っていることだけである。


ギュンターが抱きしめる腕の力を緩めると、慌ててミリヤムは起き上がり、こうなった原因を探してきょろきょろと辺りを見回した。

熱い頬と妙に高鳴る鼓動が、ミリヤムを喜びと苛立ちの入り交じったような不明瞭な気持ちにさせた。


「折れた木の枝が風に運ばれて、総帥のお顔に傷をつけそうでしたので」


ギュンターが起き上がる気配に、ミリヤムはそちらを振り向く。

深窓の令嬢がこぞって憧れる貴公子が、泥に塗れてかすり傷までつくって、甘く微笑んでいた。


「ご無事でよかったです」


乱れたダークブロンドの髪を搔き上げる彼が、ミリヤムにはいつもと違った色気を放っているように見える。

胸を掴まれるような痛みが走り、彼女は見慣れたはずの中性的な美貌から目を逸らした。


「そ、そんなことに構ってる場合じゃ、ないだろ! あたしの顔とか……気にしてる暇があったら、仕事しろ!」


自分の顔が赤くなっているだろうと、ミリヤム本人にも自覚があった。

怒りのせいだということにしたいのに、きっと違うという自覚も。


「申し訳ありません。僕にとっては、世界の存亡と同じくらい……気になることでしたので」


くいっと、彼女の顎にしなやかな指をかけて、ギュンターがミリヤムの顔を自分のほうへ向けさせた。

先程彼女を抱き締めていた彼の身体が、見た目よりずっと筋肉質だった感触を思い出すと、その指のしなやかさが不思議になる。

魅惑的なライトグレーの瞳の中に、自分の琥珀色の瞳が映っているのを、ふわふわと浮き上がりそうな気分でミリヤムは見つめていた。


「ば、馬鹿野郎。こんな時に何――」


魔物が咆哮した。

その四つ足の異形は土に頭を突っ込んでいる。


「仕事に戻りましょうか」


呆気なくミリヤムの顎から指を離し、ギュンターが背を向ける。

またもや気持ちを取り残されたミリヤムは、困惑ともどかしさと、説明のつかない感情に苛まれた。


(何、なんだ……)


よく知っているはずの後ろ姿から、目が離せなかった。

それが一歩一歩と遠ざかって行くことが度し難く、呼び止めたくなる自分がまた解せなかった。

温度調節魔法のかけられた軍服はいつも適温を保っているというのに、抱き締められた腕から抜け出したその時から、肌に触れる大気が冷たく感じてたまらない。


(……何なんだよ、馬鹿野郎!)


強靭そうな鈍色の皮膚を持つが、しかし触れ得ぬ霊体であるその獣が、また口を開けようとしていた。

呪縛編も封印編と同じく、五十話前後での完結を目指しております。

多少前後するかもしれませんが……!

長ったらしい物語にもかかわらず、ずっとお付き合いくださっている読者の皆様には、本当に本当に感謝が尽きません!!

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