37―通話水晶と宰相の嘆息
皇城の東、離れ棟で魔族の世話を命じられた女官は、聞いたことのない言語で交わされる彼らの会話が、全く理解できなかった。
知らないほうが安全でいられると、以前美貌の女王に諭されたことを思い出し、おそらく彼女の身の安じてのことなのだろうと女官は察する。
茶を注いで回る間、魔法を用いた見慣れない道具と、緊迫した空気が気にならないと言えば嘘になるが、詮索はしないと決めた。
「――では、あの祭壇をブリューゲル伯爵夫人もご覧になったのですね?」
「ええ。しかもあたくし、その上にあったものの配置をうっかり変えてしまいましたの」
「それは、もしかすると大変なことかもしれませんね」
テレーゼとヨハネスが会話している横で、長く白い髭と眉を擦り付けんばかりに、ローマンは分厚い古書を覗き込んでいた。
「これじゃ! これで合っとるわい!」
暗灰色の瞳が向ける視線の先では、端の黄ばんだ古書の一頁に複雑な魔法陣が描かれている。
「おーい、見つけたぞい! とりあえず小娘に繋いどくれ!」
老職人ローマンの言う“小娘”とは、立派な大人の女性であるアルテンブルク王国宰相、ハイデマリー・ローザリンデ・キルヒナーのことである。
連絡用にと女王から預かった鳶色の水晶を取り出し、ヨハネスはそれを卓上へ置く。
するとローマンが得意げに胸を張る。
「わしの新作に皆存分に驚くがよいぞ! これはオットーとの共同開発でのう――」
ローマンの講釈が長くなりそうだと踏んだヨハネスが、構わずにその水晶を起動させた。
鳶色の水晶が光り出す。
すると、老いた水晶職人は不満げに鼻を鳴らして、口を閉ざした。
『はい、こちらハイデマリー・ローザリンデ・キルヒナー』
水晶から宰相の声が響き、応答があった。
「おお! ほれ見ろ、わしの腕は確かじゃろ!」
テレーゼがにこやかに頷きながら、ローマンに向けて上品に手を叩いたので、この老人はひとまず満足して座り直した。
「こちらヨハネス・デューラーです。女王陛下からの伝言をお預かりしております」
水晶から、メモの用意をする紙の音が僅かに聞こえた。
『どうぞ』
「報告済みの五つの地点に人造人間の部品を複数確認、一部を破壊。概念付与した異空間への強制転送との関連あり。全員帰還済み。帰還地点と五芒星の中心点が一致、そこに祭壇状の重要なシンボルを発見」
『了解』
ハイデマリーがペンを走らせる音がある程度落ち着くのを見計らって、テレーゼが口を開く。
「こちら、テレーゼ・パウラ・ブリューゲル。現地の屍について、人型の生命体を襲う習性を確認。生前以上の能力再現は不可能にて、単に再生する物理攻撃部隊と認識してよいでしょう。目的はこちらの戦力分散と見られます。屍を動かしているのは、ほぼネクロマンシーと同義の呪術ですわ。あたくしに可能な権限掌握は数体のみ。魔法陣の破壊が最も容易な対処と考えます」
『了解』
「そ、それから宰相。あたくし、その祭壇のようなものの上にあった何かを、触って動かしてしまいましたの。おそらくそれがもとで、敵の思惑を挫く結果になったようで……敵が怒っていたそうですわ」
『は?』
水晶の向こう側にある宰相の真顔が透けて見えるような、呆れ声が響く。
「おーい、小娘! わしの話も聞け! 神代の伝説とされた古代呪術の完成じゃよ! 五大元素の混紡による魔法陣の起動が達成され、空中に城が建設されたんじゃ!」
「要するに、空に敵の城が浮いています。宰相、ご指示を」
ヨハネスの声から少し間を開けて、ハイデマリーが大きく息を吸う気配がする。
『空に城が浮いた場合の詳しい対処なんて、指示されてないわよー!』
鳶色の水晶から、宰相の悲鳴が響く。
『ちょっと待ってて』
エルフリーデは、敵の行動パターン別の指示をまとめた紙束を、予め宰相に預けていた。
ハイデマリーが紙束を繰って、該当項目を探しているらしい音が、水晶から漏れ聞こえてくる。
そこには特にアルテンブルク王国軍の運用に関して、多めに指示が記されていた。
軍は今、ミュラー大将を総指揮官とする本国の戦力と、クラナッハ元帥――つまりミリヤムを総指揮官とする現地戦力との二つに分けられており、現地戦力のうち何割かは警備や牢の監視に割いている。
便宜上“軍隊”という呼称を当ててはいても、長く他国との戦争の無かったアルテンブルク王国軍に、この複雑な状況下で臨機応変かつ適切な対処を求めるには、宰相に口出しさせるのが最も早いというのが、暴君エルフリーデの独断と偏見による判断だった。
『敵の本拠地が魔法あるいは呪術によって不測の地点に建設された場合。陸、海、空ごとに項目参照。これね』
エルフリーデは、こうなることを見越していたわけではないが、可能性としては想定していたようである。
『ええと、必ず追って連絡するから指示を待てって書いてあるけど。連絡が無かった場合は――。ちょっと、今もう一つの水晶が光ったわ!』
鳶色の連絡用水晶を、ハイデマリーは複数預かっている。
彼女は女王に信用され過ぎ、あらゆる情報管理を任されている――というより、ほとんど丸投げされているのだ。
『アルベルトからだわ。このまま繋ぐわよ』
ハイデマリー側で通話を繋げば、その声は皇城の水晶からも聞こえる。
『こちらエルフリーデ。現在アルベルト、トシツネと共に浮遊城を目指して上空へ移動中。イヅノメ皇帝クニシゲ殿が人質に取られている。地上のことは残りの者たちで対処されたし』
女王の声には、風の音が混じって聞こえた。
上空へ移動中、と言った彼女が飛行中であることは、容易に想像できる。
『それからもう一つ。国宝“女神の盾”を持ち出したのは私だ。盗まれたわけではないので安心するように。以上』
それだけ言うと、ぷつりと通信が途絶えた。
『安心できるわけが、ございませんでしょーっ!?』
ハイデマリーのヒステリックな声が響き渡った。
彼女が頭を抱えるのも当然だろう。
与えられた指示と言えば、『地上のことは残りの者たちで対処されたし』という一言のみなのである。
結局は、丸投げなのだ。
『……まあ、空の上のことは陛下に任せておくようにという指示とも、受け取れるわね』
諦めの溜め息を吐いて、ハイデマリーは感情を抑えた。
『あなたがた三人は、陛下の計画書では非戦闘員扱い。けれど、敵の扱う呪術について、最も分析・理解できる人材だろうと聞いているわ。そうね……』
僅かな逡巡の後、ハイデマリーの声が響いてきた。
『できる限りの魔法陣の破壊をお願いしようかしら。呪術は基本的には、魔法陣さえ正しい形でなくなれば、その効果を失うのでしょう?』
「基本的にはそうじゃな。呪具についちゃ、触るとまずいもんが多いんで、壊しゃええっちゅう話にはならんが。あの浮いとる魔法陣以外なら、直接消して回ることも可能じゃろうて」
ローマンの返答を聞いて、ハイデマリーが頷いた気配があった。
『そういうことでお願いするわ。問題が起こったら連絡を頂戴ね』
「あ、ちょっと、宰相!」
話は終わったとばかりに、通信が切れて鳶色の水晶から光が消える。
引き留め損ねたヨハネスが肩を落とし、嘆息する。
「やれやれ、せっかちな小娘じゃて」
「宰相はこの後、王国軍にも指示を出さなければならないでしょうし、仕方ありませんね。陛下が不在のここしばらくの内政も、全て任されているわけですし……」
「あら、大変ですのね……」
そこで三者三様に、茶を飲んだ。
仕事を与えられてしまった彼らが次に一息つけるのは、この先ある程度時間が経ってからになるだろう。
「ブリューゲル伯爵夫人とローマン殿は、魔法陣の在り処をある程度把握しておいでなのですか?」
ヨハネスの問いに、ローマンが得意げに髭を震わせる。
「この地図を見るが良いぞ」
手渡された地図に、ヨハネスが山吹色の瞳から視線を落とす。
「あら、これは獣の死骸が打ち付けられていた場所に、印をつけた地図ですわね。見つけて書いたのはあたくし――」
「おほんっ。わしらが調べておいたものじゃよ。これを繋ぐと大きな魔法陣になっとる。屍の奴らは止められるかもしれん」
テレーゼの言葉に被せてそう言ったローマンは、さっさとヨハネスの手から地図を取り上げて、丸めて小脇に抱えた。
「行くぞい。二人とも、わしの風魔法で運んでやるわい。テレーゼはちゃーんと、スカートを押さえておれよ」
ローマンの周囲をシュルシュルと風が取り巻く。
テレーゼはちゃっかり老職人の片腕につかまり、言われた通りにもう片方の手でスカートを押さえていた。
それでも赤いスカートの裾が僅かにヒラヒラとはためいており、捲れるたびに吸い付きそうに瑞々しく白い太腿がちらついて、ヨハネスは目のやり場に困る。
「はようせんかい!」
促されて、ヨハネスはローマンの隣に並んだ。
風が三人を持ち上げ、間もなく運び去った。
ハイデマリーにはボーナスと休暇を、ヨハネスには地位と報酬を、テレーゼやローマンには何を……?
女王様、お礼に何すればいいでしょうか。
テレーゼには結婚相手を、ローマンには肩もみを?
悩みどころです。




