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40―交渉決裂

両開きの大扉は、僅かな力で押したのみで呆気なく開いていく。

エルフリーデのたおやかな手指が無骨な石細工から離れても、石の擦れる音は止まず、扉は内側へ向かって開き続ける。

室内の様子が見えてくるに従い、女王の美しい眼(まなこ)が眩しさに細められる。


空に浮く城の最上階のその部屋には、玉座が設えられている。

そしてそこには、フードを取ったミカゲが座していた。

血に塗れたような赤い髪、酷薄そうな白い瞳が不吉な印象を与える。

美貌の女王の姿を見て、彼は蛇のような細い目を更に細め、薄い唇の端を吊り上げて、嬉しげに笑んだ。


「ようこそ、我が城へ」


それには答えず、女王は従者を伴って室内へ足を踏み入れ、辺りを見回す。


「クニシゲ殿はどこだ」


ふっくらとした薄紅色の唇が皇帝のことを問えば、ミカゲはみるみる不機嫌に表情を歪める。


「わたくしの部屋に上がってすぐに、他の男の名を口にするなど、無粋極まりありませんね?」


そのミカゲの様子に、女王の従者が敵意を滲ませて身構える。

この男が、主君を女として見ているのだと、嫌な予感と共に察したが故に。


「お前が用があるのは私だけだろう。素直に人質を返せば、他の者たちは地上へ帰そう」

「ふっ、ふふっ……」


僅かに俯いて、ミカゲは肩を震わせる。


「なんですか、わたくしと早く二人きりになりたいんですね? 素直にそうおっしゃって下されば良いものを。可愛いお人です」


剣の柄に手をかけて前に出ようとした従者を、女王は片腕で遮って無言で制する。


「戯れ言はいい。用件を済ませようと言っているのだ」

「用件は――」


エルフリーデの美しい肢体に、ミカゲの白い瞳が舐め回すように視線を這わせる。


「貴女様を心ゆくまで楽しむことですので。戯れも含めての享楽。そう簡単には参りません」


殺気立つアルベルトを制しながら、女王もまたミカゲへの不快を隠しきれない。


「ローゼンシュトラウス子爵をご招待したはずなのですが。お姿が見えませんね? まさか、そのスカートの中にでもお隠れなのですか?」


わざと挑発するようないやらしい声色で、ミカゲがエルフリーデのスカートにじろじろと視線を送る。

当然そこにトシツネがいないことはわかっていて、女王の苛立つ顔を見たいのだということは明白である。

それがわかるからこそ、エルフリーデは無表情のままに固有空間を開いて、トシツネを外へ出した。

隣に立とうとしたトシツネのことも制し、女王は彼を自分の背後に立たせる。


「相変わらずの過保護ですね? そんな、どこにでもいそうな平凡な人間を、まるで希少種のように庇って」


それには答えず、エルフリーデは毅然とミカゲに対峙する。


「そちらの要求はこれで満たしただろう。人質の解放を求める」

「これはこれは、ご冗談はいけませんよ、女王陛下。そちらの子爵を連れてきて頂いたかわりに人質を解放するだなんて、とても釣り合いません」


呆れたと言いたげに、玉座でミカゲは肩を竦める。


「ローゼンシュトラウス子爵を代わりに差し出して頂けましたら、イヅノメ皇帝クニシゲ様はお返ししてもよろしいですよ?」

「それこそ釣り合わぬ。トシツネは私の唯一無二だ。他の何にも替えられはしない」


秀麗な眉を僅かに吊り上げて、女王はその美貌に敵意を滲ませる。

その様子がまた気に食わないのか、口元だけで笑うミカゲの眼光は鋭い。


「ご冗談を。一国の皇帝よりも、その少年に価値があるとお考えで? 正気ですか、女王陛下」

「正気ではないのかもしれぬな。だがそれでも、譲れぬという事実には変わりない」

「ご自分を振った男の、どこにそんな価値があるというのです?」


エルフリーデの後ろ姿を、トシツネは固唾を飲んで見守る。

フッ――と、彼女が笑みを漏らしたのが聞こえた。


「振られて価値の下がるような相手なら、初めから愛したりはしない」


凛と響く誇り高い声色に、場違いなほどに甘くトシツネの胸は高鳴った。

それとは対照的に、ミカゲは上がっていた口角も下げ、静かな怒りを湛えてしばし無言で視線を投げる。


「何か気に障ることでも言ったか?」


敵の表情の変化を見て取ったエルフリーデは、挑発気味に様子を窺う。


「そうですね。至極不愉快です。取りようによっては、それはわたくしの存在そのものへの侮辱とも取れますからね……」


不気味な暗い微笑みを浮かべて、ミカゲは白い瞳をエルフリーデに向け直す。

その視線が一瞬トシツネを射抜いた時、彼の背筋を凍るような悪寒が駆け抜けた。


「貴女様にとってそんなに彼が大切でしたら、彼の身柄と引き換えに、クニシゲ陛下に加えてこの国の民の安全も保証して差し上げましょう。それならいかがです?」

「他の何にも替えられないと言ったはずだ。条件がトシツネをここへ連れてくるのみならば、辛うじて飲める。だが、身柄を引き渡せということなら、断固拒否させてもらう」


頑なな女王の言を聞いたミカゲは、俯き加減に肩を震わせて笑った。


「おやおや、それでは交渉決裂ですか! わざわざ空の上までお越しくださったのに、貴女様にとってはとんだ無駄足ですね? わたくしにとっては……無駄ばかりではございませんが」


顔を上げたミカゲは、明らかに馬鹿にしたように遠慮も恐れもない嘲笑を浮かべていた。


「いやはや、貴女様はもっと賢いお方だと思っておりましたよ。何をしにおいでなさったのです?」

「無論、この馬鹿げた茶番を終わらせるためだ」

「終わらせる、ですか。それならばできないこともないでしょうね。全て終わるまでに、誰がどれだけ犠牲になるかはわかりませんが」


薄い唇の端が吊り上がり、玉座の男が愉快気に笑む。


「そちらの従者殿をお連れ下さったことだけは褒めて差し上げますよ。観客としては申し分ない人選ですからね」


ここまで目もくれなかったアルベルトに、ミカゲは唐突に白い瞳を向ける。


「お見せしようと思っているのは、面白い実験なのですよ。特別に先に教えて差し上げましょう」


悪意のこもった声が得意げに発せられると、アルベルトは生理的な不快感から眉を顰めた。


「処女を犯しながら治癒魔法をかければ、どうなると思います?」


赤い瞳に途轍もなく狂おしい怒りが燃え上がる。

ミカゲの言う“処女”が誰を指すのか、彼は瞬時に理解した。

女王に制止されていなければ、彼は玉座の男に斬りかかっていただろう。


「治癒魔法は、傷を塞ぐ魔法ではなく、患部を怪我をする前の状態に戻す魔法です。つまり――」


狂喜に塗れて光る眼窩は恍惚とエルフリーデの全身に眼差しを注ぐ。


「何度も何度も破瓜を繰り返し、その痛みと屈辱を叩き込まれ続ける……苦悶に歪む美貌はさぞかし麗しく、悲痛な喘ぎは至高の音楽となるでしょう」


堪えきれず女王の制止を振り切って、アルベルトが前へ躍り出た。


「待て、アルベルト。こんな安い挑発に乗ってやるほど、お前は安くない」


主君の声にぴたりと動きを止め、アルベルトは大人しく下がった。


「よく調教された犬のようですね?」


嘲笑うミカゲのこの言には、聡い従者は少しも動じなかった。

アルベルトが我をなくすほどに度し難いのは、主君に関することのみであり、自分のことならばいくら罵られたとて彼は意に介さない。


「お前のような者には、真に尊いものの価値などわかるまい」


慈しみを孕んだ女王の声が響けば、それを耳にしたアルベルトとトシツネの中から、ミカゲに対して湧き上がっていた抑え難い憤怒が雪がれていく。

エルフリーデは彼らを尊んでいる。

ならば、こんな男の言うことなどに心を汚されぬ誇りをもって、応えねばならないという気持ちにさせられる。


「どこまでもお綺麗な貴女様が、汚れて泣き叫ぶのが楽しみです」


その全てを蔑むように、ミカゲの声は馬鹿にするように響く。


「お前の思い通りになってやるつもりはない」

「さあ、そう上手くいくでしょうかね?」


ぱちりとミカゲが指を鳴らすと、高い天井が轟音を上げて崩れ始めた。

五十話前後での完結を目指しております、と先日の後書きで申し上げたのですが、話数の調整って結構難しいのですね……!

何章もある連載作品で、毎回同じくらいの話数に揃えていらっしゃる作者様は、先に計算してから連載を始めていらっしゃるのでしょうか。出来上がって調整してから投稿していらっしゃるのでしょうか……。

後日談的な要素は番外編に持ち越すなど工夫しつつ、章のバランスを考えて試行錯誤していきたいと思っております。

もうすぐ呪縛編のクライマックスですので、広い心でお付き合いいただけますと幸いです。

読んでくださる皆様に、感謝が尽きません。

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