7日目 12 緋色髪と白い頭巾
「……っ、はっ……、はっ…………っ………、はっ…………」
無我夢中で走り続けた。
野ウサギと木漏れ日亭から、みんなから、逃げるように。
息が上がってうまく呼吸ができなくなった。
それでも無理やり走っていたのがいよいよ我慢できなくて、立ち止まり両膝に手をついて呼吸を整える。
空気が冷たいのに汗がにじむ。
もう……、これじゃ汗臭くなるじゃない。
それより、汗が冷えて寒くなるかしら……。
思うだけでぶるっと身震いした。
風邪なんて引いていられない……ううん、いっそ風邪ひけば……。
アサギみたいに寝込んじゃえば…………どこにも行かなくて済むのかな……。
全部、全部みんなが悪いんだから。
急に郷に呼ぶだなんて、顔も忘れちゃったお母さんのせい。
帰ってくるなと追い出したくせに、帰ってこいだなんて言うアカネおばさんのせい。
そんなおばさんの遣いでホイホイやってくる、サキちゃんとボリーのせい。
そして未練たらしく帰りたくないなんて、此処に居たいだなんて思うのは、良くしてくれた宿のみんなのせい。
突然現れた勇者さまのせい。
一緒に過ごしたジーナのせい、アヤメのせい。
なによりも…………
「どいつもこいつもあたしの気も知らないで! 勝手なことばっかり!」
溜め込んだ鬱憤を思わず声に出しちゃった。
すれ違う二人連れにぎょっとした顔で見られ、目が合うと気まずそうに逸らされた。
あー、もう‼
イライラして頭をかきむしると、指先に髪とは違う感触。
「あ……」
アサギのくれた髪留め。
真っ黒だなんて、どうしてこうもセンスが無いのかしら。
刺繍の一つでも付いていればまだいいのに。
でも……
初めて貰った贈り物。
大切にしたいと思ってる自分がいる。
幻に終わった、二人だけのお出かけ。
アイツは一体どんな気持ちでこの髪留めを用意してくれたんだろう……。
成り行きで一緒に旅をすることになって、一年半を共に過ごして、仲間が増えてから気づけば目で追うようになった自分が居て。
ようやく関係性が進展するかと思ったらアイツ女の子になんかなって……。
あたしは一体どうしたらいいのよ‼
真意を聞けずにいるままの自分が情けなくて零れそうになった涙をこらえるために顔をあげる。
頭上には手のひら大の大きさをした、色とりどりの三角形の布を連ねた紐が通りの左右をジグザグに渡されていた。
旗にはこの宿場街を頻繁に利用する商隊や地方領主、貴族たちの持つ紋章が織り込まれている。
いくつかは聖都に居た頃から見覚えがある。
普段見かけるものよりも色使いが鮮やかで、織り込まれた金糸なんかは陽が当たれば煌めいたりして。
お偉いさんたちが紋章の刻まれた織布のきらびやかさで己の権威をひけらかそうとしているのが見え隠れするのよね。
こういうことにあたしたち庶民の納める税が使われていたりするのかしら。
あーあ、クソみたいな意地の張り合い!
……あたし、なんで布に八つ当たりしてんだろ。
自己嫌悪。
ほんっとやんなっちゃう。
あ、あの紋章なんて特に。
紫の布地に無数の蛇をあしらった趣味の悪い紋章。
ご丁寧に蛇の目がすべて金糸で縫われていて目が光って見えるの。
あーいつ見ても趣味悪い!
あたしを散々こき使った挙句に賃金不払いのクソババア。
あんな奴のことなんて、紋章すら二度と目にしたくなかったわ。
やり場のない怒りをどうにもできず、心の中はざわつくばかりだけれど、乱れた息が整い、歩き出す。
郷の……お母さんの遣いとかいう、白い頭巾で顔を隠してた怪しげな奴はどこかしら。
このあたりで見かけたけれど…………。
「お待ちしておりました」
「ひっ!」
狭い路地の影から、頭巾のついた白い法衣を羽織った背の低いやつがぬらりと出てきた。
「おっと、大きな声を立てませぬよう」
「きききききき急に出てこないでよ!」
反射的に手が腰に下げた短剣の柄に触れている。
こうして咄嗟の反応ができるのはアカネおばさんから鍛えられた賜物。
街中で不用意に振り回すものではないけれど、勘が危険を知らせている。
白い頭巾の下から除いた白い歯が、にぃ、と嗤う。
着丈の合わない法衣の袖から覗く病的な白さの指と、そこから延びる獣のような爪。
木枯らしが白頭巾の立つ路地の奥から、ざぁっと吹き抜ける。
寒気は、汗をかいたせいじゃない。
ちょっと、まずいかも……?




