第16話「魔炎」
「僕の名は、リディル・ハート。今は――そうだな、冒険者の真似事をしているよ」
パチパチと爆ぜる焚火を囲みながら、翡翠の瞳の青年――リディルが穏やかに名乗った。
「俺はメア。この子はフィリアだ」
フィリアはまだ警戒を解ききれない様子だった。
俺の真横にぴったり寄り添い、その小さな膝の上で両手をきつく握りしめている。
瞳は少しの油断もなく、目の前のリディルを睨みつけるようにじっと見つめていた。
そんな視線に気づいたリディルは、困ったように苦笑しながら首を小さく傾げた。
「君はなんであんなに怯えていたんだい? 僕とは初対面のはずだけど」
「それは――」
言葉に詰まり、思案した。
あの夢について語って良いのか?
リディルと俺の前世に何らかの因縁があると悟られてしまうかもしれない。
もしその因縁が知られてしまうと、俺は再び命を狙われてしまうのではないか?
あの剣の切っ先が、こちらに向けられてしまうのではないか?
不意に、隣からあたたかな感触が伝わってきた。
フィリアが俺の強張った指先にそっと触れ、暖かく包み込んでくれた。
その確かな温もりで、乱れかけた呼吸が少し落ち着いた。
俺の一連の逡巡をどう受け取ったのか、リディルは優しく微笑んだ。
「晶角獣の討伐、手伝ってくれて助かったよ。アレ、実は僕の依頼だったんだ」
「……そうだったんだ。こちらこそ、フィリアを守ってくれてありがとう」
「その節は、本当にありがとうございました」
フィリアも居住まいを正し、丁寧にぺこりと頭を下げた。
リディルが身を挺して助けてくれた恩人であることは理解しつつも、まだ依然としてリディルを警戒している。俺を守ろうとしてくれていた。
「お安い御用さ。……僕の力だけじゃ、あの巨獣を仕留めるのは骨が折れたはずだ。こうして無事に夜を越せているのもメアたちのおかげだよ」
一切の裏を感じさせない真っ直ぐな感謝を向けられ、少し居心地の悪さを感じた。
咳払いを一つして、気になっていた疑問を口にする。
「リディルの、蒼炎を斬り伏せた技……あれは何なの?」
「ん、僕の固有魔力だね。見てて」
リディルはそう言うと立ち上がり、傍らに立てかけてあった白刃の剣を鞘から抜き放った。
近くの立ち木へ歩み寄り、何気ない動作で横薙ぎに一閃する。
音もなく木が二つに切断され、ずれて滑り落ちた。
――いや、違う。二つではない。三等分されていた。
この一瞬で、二回斬られていた。太刀筋は一度きりだったはずだ。
「僕の固有魔力、【反復】。僕が起こした物理現象を記録して、空間に再現する魔力だよ。……この木を斬ったのも、剣の動きを魔力に覚えさせて、そのまま放出しただけ」
「固有魔力……」
空島の、先生の魔法資料にあった単語だ。
「メアのあれも、固有魔力だよね」
「……うん。俺のは魔力自体が火の性質を持っているんだ。属性変換じゃなくて、ただ起動を意識するだけでそのまま炎になる」
右の掌に、小さな黒炎を灯してみせる。
「……」
その光を呑み干すような禍々しい黒火を見た瞬間、リディルの穏やかだった表情がわずかに引き締まり、射抜くような視線が炎へと注がれた。
「さしずめ、【魔炎】ってところだね」
「魔炎……」
手を閉じ、黒炎を散らした。
「実は、俺には記憶がないんだ。気づいたら空島にいて、そこでフィリアと出会った」
「記憶喪失、か」
「うん。そして、起きてすぐに見た夢が――リディル、君に殺される悪夢だった」
その言葉を発した瞬間、隣のフィリアが小さく跳ねた。
複雑な表情をして俺を見上げている。
ふと、あの空島で魔族と戦っていたときのフィリアの様子が、目の前の姿と重なった。
「――まさか、そんなこと」
リディルが口元に手を当て、深く考え込むようなそぶりをした。
「もしかして俺のことを知っているの!? ずっと、何か大事なことを忘れている気がしているんだ……お願いだ、知っているなら教えてほしい……」
思わず立ち上がる。
服の裾が、隣から強く掴まれるのを感じた。
「……残念ながら、君のことは知らない」
「な……ッ! じゃあなんで!」
「君の記憶については本当に何も知らないんだ。ただ、君のその黒炎について少し覚えがあるだけ」
「じゃあ、その話を――」
「それも話せない。今の憶測で話しても君を追い詰めるだけだ」
「お願いだから、誤魔化さないでくれ……ッ!!」
静寂が場を包み込む。
「急にこんな場所で目覚めて、何も分からないまま殺される恐怖に怯えて……どうすればいいか分からなくて、でも何かをしないといけなかった気がしていて……やりたくもない殺しもした! 思い出すことすら許されないなら、俺はどうすればいいんだよ……!!」
「……メアくん」
「……なにも、思い出すなと言っているわけじゃないよ。ただ、僕のあやふやな仮説で話すと君の心を乱すだけだと判断した」
リディルは目をそらさず、真っ向から俺の言葉を受け止めた。
「……え?」
「僕の昔馴染みに、ウルヴィンという人物がいる。賢者と言われる人物だ。……彼は君のその特異な力や、『記憶喪失の仕組み』に誰よりも精通している。彼は記憶を取り戻すための、大きな助けになるはずだよ」
「『記憶喪失の仕組み』……?」
「僕の仮説が正しければ、『魂の理』さ」
先生のメモにあった言葉だ。
「紹介状を書こう。この森を出て、王都にいる彼を訪ねると良い」




