第15話「晶角獣」
光源としていた黒火が散る。
動悸が、止まらない。
視界が揺れる。
胸が痛い。熱い。胸に触れる。手のひらを確認する。血――出てなかった。
乱れた呼吸の音が聴こえる。自分自身の、呼吸音だ。
膝をつきたくなるのを、必死にこらえた。
恐怖で歯ががちがちと触れ合う。
「メ、メアくん!?」
フィリアのその声で、目の前の人影はこちらに気づいた。
「……君は? 大丈夫かい?」
「ち、近づくな!!」
こちらに寄ろうとした男を制止した。
どうすればいい? 殺される、あの時のように。
死にたくない。なんでこんなに早く。
もっと魔法の練習をしておけばよかった。
戦って勝てるか? 俺の魔法は通じるのか?
フィリアが逃げる時間を稼がないと。
そんなことができるのか?
じゃあどうすればいいんだ。
立っていられなくなった。
膝をつく。足の感覚がない。
「落ち着いて。話をしよう」
「!」
男が手を上げようとする。
その挙動に、俺の身体が反応した。ひゅ、と呼吸音が漏れる。震えたのだ。
まるで自分の身体ではないかのように制御ができなかった。
その異常な怯え方を見て取ったのか、男は慌てて動きを止めた。
誰か、助けてくれ。
「動かないでください!」
その時だった。
フィリアが俺を背に庇うようにして、男との間に割って入ったのだ。
「メアくんに、何をしたんですか!?」
フィリアが火の魔法を手のひらに展開し、前に突き出した。
ずっと魔法を練習していただけあって、フィリアの火魔法は人の頭ほどのサイズで、威力は申し分ないはずだ。
しかし、男は身構えることすらしなかった。まるでその程度の魔法は自分に傷一つつけないと言わんばかりの、静かな佇まいのまま。
――俺は、フィリアに何をやらせているんだ。
息を吐く。落ち着け。何のために魔法を練習した?
この時のためだ。あきらめるな。戦うんだ。
フィリアを守り、俺も生き延びるんだ。
この異世界に来て、訳も分からないまま、それでも必死にやってきたじゃないか。
フィリアの肩に手を置き、下がらせる。
大丈夫、呼吸は戻っていた。
戦う。覚悟を決める。
「その力は……」
黒火を右の手のひらに展開した。いつでも放てるよう、準備する。
その火を見て、男は息を呑み、剣を抜く。
初めて男の表情が変わる。
鋭い警戒と、あの夢と同じような憎悪が僅かにちらつくのを感じる。
だが、男の立ち姿はどこまでも冷静だった。
お互いが、様子を見ていた。
どちらかが動けば、それを合図に戦いが始まる。
左手で、フィリアを後ろに下げた。
結果がどうなろうとも、フィリアだけは逃がさないといけない。
魔族との戦いを思い出していた。
後手に回っては勝てない。様子見できるほど戦闘経験はない。
右手の魔力を増幅させる。
――戦いが始まる、そう予感した瞬間。
地鳴りのような咆哮。
木々を突き倒しながらこちらに猛進してくる何か。
俺とフィリアがさっきまで通ってきた道が、一瞬で踏み荒らされ平らになっていく。
咄嗟にフィリアを抱きしめ、横に飛びこむ。
間一髪だった。風が肌を斬り裂くように通り過ぎる。
先ほどまで立っていた場所には、巨獣がたたずんでいた。
四足歩行の巨大な分厚い体躯。一歩踏みしめるごとに大地が揺れるように錯覚するほど、重量感があった。
その凶悪な容姿に似合わず、美しい鉱石のような青い鱗が皮膚を覆っており、その姿はまるで鎧をまとった騎士だった。
頭部のひときわ巨大で透き通った結晶の角と一緒に、黄金色の瞳がこちらを見下ろしている。
「晶角獣、特位の魔物だ! まずは協力してコイツを片付けよう!! 話はそれからだ、いいね!」
すぐ隣、同じく突進を躱していた男が鋭く叫ぶ。
自分を殺したかもしれない相手の話を、信じろというのか。
しかし、男はまるでこちらが攻撃してくることを一切考慮していないようだった。
俺の返答すら待たずに迷いなく晶角獣へと向き直っていた。
「くそ……ッ!」
俺もまた、晶角獣に向き直す。
これまで倒してきた魔物とは比べ物にならない威圧感。
男が晶角獣に踏み込む。肉薄し、その剣を振り下ろす。
しかし、斬撃は結晶の鱗にはじかれた。晶角獣がその凶悪な爪で反撃しようとするが、男は鱗を足場に再び距離を取る。
その一連の攻防の間に、俺は後ろから晶角獣に近づいていた。その身体に向けて、黒炎を近距離で放つ。
キィン、と甲高い音が鳴り響く。鱗が、俺の魔法をすべて吸収していた。
晶角獣が、俺とフィリアを視界に収める向きに身体を動かす。
次の瞬間、晶角獣の鱗から青い炎が放たれた。
反射された。しかし、問題は無い。咄嗟に黒炎をぶつけ、反射された火を相殺した。
「きゃ……!」
「フィリア!!」
フィリアの声が聴こえた。
蒼炎は、俺だけを狙ったものではなかった。
気づいたときには遅かった。フィリアの元に、今からでは間に合わない。
助けられない。
そう直感した。
直後。
倒れこんだフィリアの前に立つ男。
膝をつきながら剣を前に振り下ろし、蒼炎を断ち切っていた。
「無事かい?」
「え……はい」
「うん、良かった」
男はそれだけ確認すると、俺へと向き直った。
「僕より君の方が適してそうだ、晶角獣は君に任せるよ! この子は僕が守る。安心して戦ってくれ!!」
男の瞳に嘘はなかった。それは、先ほどの行動が証明していた。
本気で助けようとしてくれていた。
だが、俺の方が適しているというのはどういうことだ?
「でも、反射されて――」
そう言いかけたとき、気づく。
鱗が溶けていた。反射しきれていなかったのだ。
晶角獣では俺の黒炎に耐え切れない。
俺なら倒せる。
ふっ、と息を吐き、呼吸を整えた。
身体の魔力の循環を早める。身体の力を引き上げる。
その魔力の昂りを感じ取ったのか、晶角獣がこちらを向く。
威嚇するようにぐるぐると唸り声がする。
右手に黒炎を展開する。
地面を抉るように踏み込んだ。晶角獣の右足がこちらを踏み抜くように下ろされる。
再び足で地面をたたき、跳躍。回避。
そして、空中で晶角獣の胴体に黒炎を向ける。
晶角獣はそれに反応してきた。再びその凶爪がこちらを狙う。
空中で制御が効かない。
思い付きだった。黒炎を宙に向かって放つ。
その反動で、爪の攻撃を避け、地面に着地。
「ガアアアアアア!!」
獣の悲鳴。
態勢を崩した晶角獣に向けて、再び跳躍。
鱗に手を付け、再展開した黒炎を直接流し込む。
先ほどは魔力をあまり込められていなかった。
だから、すぐに消えてしまった。
俺の黒炎は本来、込めた魔力が尽きるまで消えない。
魔力を流し続ければ、文字通り無限に燃え続ける。
鱗に吸収された分だけ追加で流せば、火は消えない。
鱗が融解する。
そこで、再び魔力が反射される兆候を感じた。
晶角獣の身体中の鱗が蒼炎を帯びる。
一瞬の溜めが入ったあと、その蒼炎は一帯に無差別に放出された。
おびただしい数の火の塊が、空から地上へ襲来する。
俺の込めた魔力がそのまま反射されている。
一度距離を取った。
フィリアは男が守ってくれている。
自分に降りかかる蒼炎に対処しようと再び魔力を集めようとした時だった。
「任せて」
男がそう小さくつぶやいた。
男が虚空に向かって剣を振り下ろす。魔力の起こりを感じた。
次の瞬間。
空中に舞う無数の蒼炎が斬り裂かれ消滅した。
男はその様子を気にするまでもなく、再び剣を振り下ろす。
まるで魔力が真空を切り裂くような、そんな感触。
「グガアアアア!!」
晶角獣の咆哮。鮮血が舞う。
俺が鱗を溶かした部分。その皮膚に、十字に大きな傷が生まれていた。
男は魔力を使い、なにかしらの方法で遠隔で斬撃を飛ばしていたのだ、と直感した。
「さあ、とどめを!!」
男の言葉を聞き、晶角獣に向かって跳躍した。
切り刻まれた十字の傷口へ、再び全力の黒炎を流し込む。
今度は反射されることはない。
内側から燃やす。晶角獣の口からおびただしい熱気が漏れる。
晶角獣が倒れこむ。それに合わせて距離を取った。
しばしの間、地に伏せながら暴れる晶角獣だったが、次第に動きが鈍くなる。
すぐにその動きは完全に静止した。
「メアくん!!」
フィリアがこちらに向かってきて、まるで俺の体温を感じ取るように、腕に抱き着いてきた。
「さ、話をしようか」
男がこちらに歩み寄ってくる。
先ほどのような恐怖は消えていた。




