第12話「先生」
魔族との戦闘の翌日、改めて洞窟に来た。
あれから身体の痛みはすっかり消え、乱れていた魔力も回復していた。
やはり傷が増えすぎると、回復が追い付かないところがあるらしい。
しかしそれでも、一晩休めば傷なんてなかったかのように元の調子に戻った。
森の獣道を抜けて、再び魔族の守る洞窟の前に立つ。
フィリアも隣にいた。
また危険な目に遭わせるわけにはいかないと村に置いてこようとしたのだが、どうしてもついて行くと頑なに引かなかったのだ。
『メアくんが心配だから!』と俺の服の裾を握りしめて離さず、最後には俺が折れる形になってしまった。
俺からすれば全く逆で、守らなければならないフィリアの身こそ心配なのだが、あんなにも真剣な瞳で見つめられては強く拒むこともできなかった。
洞窟の入り口を見上げる。
冷たい風が奥から吹き抜けていた。
失われた記憶の手がかり。あの魔族は死の直前、俺を誰かと見間違えていた。
ここを探れば、それが誰なのか分かるかもしれない。
「行こうか」
「はい!」
手元に明かりをともし、薄暗い洞窟の奥へと歩みを進める。
少し後ろからフィリアがトコトコとついてきた。
洞窟の中は複雑な構造でもなんでもなく、ただの小さな部屋が一つだけあった。
部屋の端に石の机が一つ。
「これ、魔法で作られてるね」
「なんで分かったんですか?」
「ほら、ここ。きれいに切り出されすぎてる」
「あ、確かに!」
机はあまりに精巧に作られていた。
所々削れて崩れてはいるものの、脚の間隔や厚み、角が不自然なほど整っている。
村で見かけた家具類はここまで均一に揃っていない。これは土魔法で切り出して成形された机だ、と推察するのは容易かった。
「これは……」
机の上にあった紙片に視線が留まる。
紙片に書かれた文字が目に入り、思わず息を呑む。
書かれていた文字は――日本語だった。
乱雑に紙を裂いたような端切れに、焦ったような、何かに追い詰められたような筆跡で文字が殴り書かれている。
『この世界の文字はどうにも慣れない。思考をまとめる時は、やっぱり日本語になっちゃうな。
ついでに読み書きの知識も寄越せばよかったのに。アイツは本当に気が利かない。
……人を攫っておきながら転移座標をしくじるなんて間抜けすぎる。私だったら絶対にそんなヘマはしない。
でも、おかげでこの隔絶された島に落ち、追手の目を逃れて考える時間ができた。
アイツはきっと今、私のことを血眼で探しているのだろう。
それでも、私は地上に降りる。
名前と日本語は決して知られてはならない。見つかればきっと痕跡を辿られて捕まってしまう。
本当はこの愚痴も残しちゃいけないのだけれど、さすがにこの空島なら大丈夫だと信じたい。
二年も見つかってないんだし、この空島はアイツの目の届かない場所なんだと思う。
それに、このアクセサリだけは捨てたくないしね。
ここに隠れているだけじゃ何も始まらない。
魂の回廊。死者の魂が還る場所。
龍脈と魂の循環構造。境界の歪み。
地上に行けば、魂の理を暴く手立てがあるはず。
紙に書き出してみるとすっきりした。
怖がってなんていられない。もう十分、平穏な時間は過ごした。
タイムリミットがいつ来るかも分からない。すでに来ているかもしれない。
そう思うと居ても立っても居られない。
待っていて。
たとえ何があっても、絶対に諦めないから』
メモの内容はこれだけだった。
急に大量の情報が殺到し、頭が混乱した。
冷静に、情報の交通整備をしないといけない。
まず、このメモの主は日本人だ。そして、それを追うアイツがいる。
人を攫う、転移座標……日本からの転移者か?
仮に日本からの転移者として、この人物は誰かに攫われて転移した。
しかし、転移させた張本人が転移座標をしくじり、この空島に降り立ってしまった。
この出来事は攫い、転移させた人物にとっても想定外だったのだろうか。
そのおかげで、メモの主は空島で二年過ごす猶予ができたらしい。
だけど、何かの理由で地上に降りなければならなくなった。
その理由は、後半に羅列されている、魂の回廊、龍脈と魂の循環構造、そして魂の理。
これらの単語が関係するのだろう。
今の俺にはさっぱり理解できなかった。
この世界では標準的な知識なのだろうか。
なぜ転移させられ、なぜ地上に降りたのか。
このメモからでは推測もできない。魂の回廊や龍脈についての知識があればまた違ったのだろうが、俺にはその知識はなかった。
「……メアくん?」
隣から、おずおずとしたフィリアの声が聞こえた。
見ると、彼女は心配そうに俺の顔と手元の紙片を交互に見つめている。
フィリアの瞳にはそれが意味を持つ文章ではなく、ただの記号の羅列にしか見えていないはずだった。
「それ……文字、ですか? 何が書いてあるんですか……?」
フィリアが小首を傾げ、覗き込むように手元の紙片を見つめる。
「うん。記憶がないはずなのに、この文字は読める。多分、俺の故郷の文字だよ」
「メアくんの、故郷の……」
そう、俺の故郷のはずだ。
日本の知識がある。それをベースに今も思考している。
俺は日本人のはずだった。
「あの、メアくん……これって」
フィリアが机の上にある小さな木箱を指さす。
この木箱の中に、メモにあったアクセサリが入っているのだろうか。
手に取り、蓋を開ける。
中には、細い革紐に通された、飾り気のない金属の指輪が横たわっていた。
深みのある鈍色をした、落ち着いた質感のリング。
目にした瞬間になぜか奇妙な確信が脳裏をよぎった。
「これ……もう一つ、あるはず」
「え?」
「この指輪は絶対、対になってる。どこかにもう一つあるはず」
革紐を指でつまみ上げ、フィリアに見せる。
「この指輪……!」
フィリアが驚いた表情を見せる。
首元に手をやり、襟元から服の奥に忍ばせていた細い革紐を引き出して見せた。
現れたのは魔除けのお守りではない。
その革紐には、木箱のものより明るい、柔らかな白銀の光を放つ指輪が通されていた。
「先生が、私にくれたものです」
「先生が……?」
「はい。一年前、先生が『地上に行く』って言った時……私、どうしても嫌で、ずっと泣き止まなかったんです。そしたら先生が『私の代わりにしてね』って……」
木箱に残されたもう片方の鈍色の指輪を見つめ、フィリアの瞳が切なげに揺れる。
やはり。
この転移した日本人は、『先生』だったのだ。
二年暮らした、という点も一致している。
先生は、このペアの指輪を持って転移してきたのか、あるいはこの世界で見つけて片割れをフィリアに託したのか。
先生がこのメモを書いた張本人であるということ。
今のままでもほぼ確信できるが、確定するにはあと一つ、確認すればよかった。
「フィリア。先生の名前、知ってる?」
「……いえ、知りません。先生は何度聞いても、ずっと名前だけは教えてくれませんでした」
先生が、このメモの主であると決まった。
「このメモを書いたのも、先生だよ」
「えっ、先生が……?」
フィリアが驚きに目を見開く。
「このメモには、先生が誰かに追われるままにこの島に来て、ある目的のために地上へ降りたことが書かれてるんだ」
「先生が地上へ降りた、理由……?」
フィリアは言葉を失い、メモを見つめた。
先生はこのメモの通り、日本人で、追手に見つからないよう、痕跡を残さないようにと、名前すら語らず『先生』として生きたんだ。
そして地上に降りた後、何かしらの要因で魔族と出会い、ここを守るように指示を出した。
魔族が正気を失っていた理由は分からない。死ぬ間際に俺を先生と見間違えた理由もまだ分からない。
俺もおそらく、もとは日本人だ。それを感じ取ったのだろうか。
なぜ俺はこの指輪のペンダントがペアだと直感できた?
いたって平凡なアクセサリだ。片方を見てペアと直感できる要素はない。
俺の、前世の記憶が関係しているのか?
俺は過去、先生と面識があったのか?
何度考えても答えは一向に出ない。
だが、一つだけ明らかになったことがある。
先生を探せば、俺の記憶につながる何かを知ることができる。
先生は、過去の俺を知っている可能性が高い。
指輪のペンダントを木箱に収める。
きっとこれは、先生にとって大事なものだったのだろう。
勝手に持ち出すわけにはいかなかった。
「フィリア」
「はい」
フィリアは逃げることなく、澄んだ瞳で俺を真っ直ぐに見つめ返してくれた。
かつてのような、不安や怯えはもうその瞳にはなかった。
「やっぱり俺は地上に行くよ。先生に会えば、きっと記憶を取り戻せる」
フィリアは静かに目を見張ったあと、小さく息を吸い込んだ。
あの日のように拒絶したり、取り乱したりすることはなかった。
「……はい、そう言うと思っていました」
フィリアは胸元に手を添え、服の内側にある指輪を確かめるように、ぎゅっと握りしめた。
それから、力強く顔を上げる。
「地上に、案内します。転移陣のある場所へ」




