第9話「ずっと燻っていた」
魔族が無表情のままこちらを見据えた。
逃げることはできない。魔族の先ほどの動きから、俺についてこれることは分かっていた。一人ならまだしも、フィリアがいる。逃げられない。決着をつけないといけない。
相手の出方を窺う。
このまま無策で突撃するのはリスクが高すぎる。俺には実戦経験がほぼない。後ろにはフィリアがいるのだ。確実に勝つ必要がある。リスクは冒せない。
魔族が剣を上段に構える。
知性を感じない瞳とは裏腹に、その構えは無駄がなく洗練されていた。全く隙を感じない。
俺はそれに呼応するように魔法を準備した。
接近戦をするにしても、魔族が近づくまで距離がある。その間に、魔法を数発放つくらいはできるはずだ。攻撃として使えるのは風くらいだろう。土はともかく、水は使い物にならない。
魔族が踏み込む。
直感した。戦いが始まる。
この踏み込み方ならまっすぐ来るはずだ。
こちらに迫る魔族に合わせて、風の刃を正面に放つ。
避けられることを予想して、左右、上を警戒した。
「なっ!?」
俺の予想は外れた。
人の背丈ほどの、複数の風の刃の塊が魔族を襲った。
しかし、魔族はそれを一刀両断したのだ。
減速すらなく、一直線に距離を詰めてくる。
予想外だったが、すぐに用意していた魔法を使う。
風の壁だ。正面に出して、防御をする。ここで嫌な予感がした。
風の刃の塊を一刀両断できるのであれば壁も斬れるはずだ。
予測しろ。
風の壁が斬られた後、魔族はどう来る?
知性を感じない。搦め手はないんじゃないか?
そのまままっすぐ来るだろう、と結論を出した。
情報が無さすぎて、もはやこの推測で合っていることを祈るしかなかった。賭けだ。
魔族が風の壁を斬り伏せた。
少しも減速せずに、逆足を踏み込んで肉薄してくる。
壁を上段から下段へ斬り落とし、そのまま下段から斬り上げる構え。
風魔法を使う。
剣を止めようとしても斬られるだけだ。手首を狙う。
手首を撥ね飛ばす勢いで風の刃を狙って飛ばした。
風の刃が当たった。
しかし、魔族の手首は無事だった。態勢を崩しただけにとどまった。
だが、隙は生まれた。強化した足で蹴りをぶつけに行く。
「うぐッ!!」
その瞬間、鋭い衝撃が俺の全身を切り刻んだ。
魔法だ。魔族は崩れた体勢のまま、風の刃を放ってきたのだ。予測できなかった。
相手も魔法を行使するという前提が、頭から完全に抜け落ちていた。
身体を強化していたおかげだろうか。
ダメージはそこまでないはずだ。咄嗟に頭も守った。
目視で確認できてはいないが、手足も動く。血も大して出ていない。
風の勢いのまま、身体が後ろに引っ張られる。
倒れこまないように踏ん張った。魔族も俺の魔法で態勢を崩したままだった。
態勢を直したタイミングはほぼ同時だった。
それを合図に接近戦が始まる。もう予測なんてできない。
剣から頭に一直線、突きがきた。
反射で躱す。当たっていたら一発で死んでいただろう。
突きの合間に攻撃を返――せない。
全く隙が無く、すぐに次の突きが来る。避ける。
大丈夫、見えてはいる。躱せる。
問題は反撃だ。攻撃の一手を考えないと。
三発目。
より強い一撃が来る。これも躱――しきれなかった。
頬が切れる。伝う血の感触。だが、隙を見つけた。
さっきよりも速度を重視した大振りだった。今なら攻撃を差し込める。
魔族の腹部に向かって蹴りを入れる。
入った。重い感触があった。魔族の身体が宙に浮く。
だが、先ほどのように吹き飛びはしない。
宙に浮いていた。それなら、もう一発入れられる。
痛みの消えた右手を構える。先ほどの傷は、超常的な治癒力がすでに塞いでいた。
振りかぶるその時だった。
吹き飛ばされた。何が起こったのか分からなかった。木に身体が打ち付けられる。口から空気が漏れ出る。目の前が一瞬明滅する。
魔法だ。
また風魔法だった。刃ではない。風の塊をぶつけられた。
魔法の差だった。戦闘経験の差でもある。
口から血が零れた。今回はダメージが大きかった。頭がぐらぐらと揺れる。
対して、魔族は依然として、ほとんどダメージを受けている様子がない。
戦闘の最中に魔法を織り交ぜられると対応しきれない。
そもそもだ。俺は戦闘経験がないのだから、後手に回っちゃだめだ。対応できない。できるわけがなかった。強みを押し付けないと勝てない。
じゃあ俺の強みってなんだ?
身体能力は多分、俺の方が上だ。剣戟は避けられる。
だけど、それだけだ。
決定打がない。
攻撃力が足りなかった。身体能力を武器に戦おうにも、相手の魔法を絡めた肉弾戦に勝てない。強化した身体だけで勝てるほど圧倒的な差はない。若干上回っているくらいだ。一角狼相手とは違う。
倒れたままだと危険だと思った。
震えながらでも立ち上がる。
勝てない。
このままだと負ける。負けたらどうなる?
死ぬ。俺だけじゃない。フィリアもだ。勝たないといけない。負けられない。
でも、勝てない。
どうすればいい?
思考がループする。
その思考に中身なんてない。
ただの感情。焦り。恐怖。ぐるぐると回る。
「メアくん」
後ろから、か細い声が聴こえた。
「この間はごめんね。ずっと謝りたかったんです」
「今はそんな話をしてる場合じゃ――」
「私はメアくんを先生と重ねていました。メアくんは、メアくんなのに。メアくんには、記憶を探すっていう目的があるのに、ずっと村にいてほしいと思っていました」
後ろを振り返ると、フィリアは儚げに笑っていた。
「メアくん。お願い。私を置いて、逃げて」
頭が痛い。
目の前が暗くなる。
脳裏に浮かぶ光景。
◇
――逃げてと言われた。
だけど、そんなことできるはずもなかった。
離れたくなかった。
このまま一緒に燃え尽きてしまいたかった。この火がただ、癒す火であればよかったのに。そうすれば救うことができたのに。そんな場違いな思考が浮かぶ。そんな空想、起こりはしない。
火はただ、生命を焼き尽くしていた。
ここで一緒に消えてしまいたかったのに。それは許されなかった。
視界が霞む。
滲む赤色が、すべてを塗り潰していく。
涙が頬を伝った。
引き離さないで。
◇
「――絶対に、嫌だ!」
気づいたら叫んでいた。
魔族が剣を構える。相対する。勝つ。
「終わったら、ちゃんと話そう」
「……うん」
魔族が踏み込む。
こちらに肉薄してくる。
身体に流れる魔力が熱い。
まるで身体が燃えているかのようだった。
違和感。
戦うにつれ上がる体温。
血液が沸騰したように錯覚する。
身体を循環する魔力が揺らぐ。
魔力を体外に放出し変換する。
それが魔法の理屈だと書いてあった。
違ったんだ。
最初から変換する必要なんてなかった。
俺の身体を巡るのは無色の魔力なんかじゃなかった。
水、風、土の魔法が実践で使えなかった理由。
今なら理解できた。必要なのは変換じゃない。
ただ、解き放つこと。
燃えていたんだ。
俺の身体でずっと燻っていた。
火だったんだ。
――俺の魔力は最初から、火だったんだ。
ただ腕を前に出す。
魔力を解放する。火花が散った。
スイッチを押すだけだった。
「……!!」
放たれたのは光すら呑み込むような黒炎。
すさまじい熱量を伴い対象へ喰らいつく。すんでのところで回避されるが、拡散した火は塊となり魔族を追尾した。
斬り払おうとした剣ごと容赦なくその腕を包み込む。
まるで肉体を餌にするかのように燃え広がってゆく。次に襲い掛かる火に対抗する術を魔族は持たなかった。
魔族が膝をつく。
火が生命力を燃やしていた。身体は黒く燃え続けている。
剣を落とし、肩で呼吸している。消えない火は体力を奪い続けていた。
そしてついに、魔族は木を背に倒れこんだ。
勝負は決した。
炭化していく魔族の腕。
皮膚が焼け爛れている。肉の焼ける嫌な臭いが気持ち悪い。
もう動くことはないだろう。
何も、命まで奪う必要はない。
自分の力が他人の命を奪い去るという現実に背筋が凍りついた。
息も絶え絶えだ。ここからさらに命を奪うことに、抵抗感と強烈な吐き気があった。
魔族にまとわりつく黒火――俺の魔力はまだ残っていた。
これ以上は殺してしまう。相手の生命そのものが焼け落ちてゆく現実に背筋が凍りつき、魔族にまとわりつく黒火を意識して霧散させた。
属性変換ではない自分自身の魔力だからこそ、消し去ることも容易だった。
後ろを振り向き歩き出す。
フィリアの様子を確認しようとした、その時だった。
「メアくん――ッ!!」
耳をつんざくようなフィリアの悲鳴。
倒れたはずの魔族が、魔法を行使した。




