第4話 契約外の仕事は受け取りません
「内容に誤りがありましたか」
「契約にない仕事です」
「ですが、必要になる可能性があります」
「その場合は、勤務時間内に必要性を確認し、追加報酬と期限を決めて依頼します」
「もう完成しています。報酬は結構です」
「あなたがそう言えば、私は価値のある仕事を無料で手に入れられる。でも、それを繰り返せば、次からは無料で差し出すことを期待するようになる」
オスカーは資料を机へ置かず、私の両手へ戻した。
「私は、そういう依頼人になりたくありません」
王都では、早く、多く、頼まれた以上に働けば喜ばれた。
その喜びを愛情だと思っていた。
「……昨夜の仕事は、無駄だったのでしょうか」
「いいえ。よくできています。だから無料では受け取らないと言っています」
責められていないのに、涙が出そうになった。
私は資料を抱き締めるように持ち、うなずいた。
その日、必要な四枚だけを勤務時間内に作り直した。追加報酬は銀貨二枚だった。
残りの十六枚は、宿の暖炉で燃やした。
紙が灰になるまで見ていたが、誰も困らなかった。
三日後の日没間際、老いた船大工が市庁舎へ駆け込んできた。
「オスカー、頼む。隣の工房が、壊れた塀の修理代を全部こちらへ回そうとしているんだ」
オスカーは壁の時計を見たあと、記録用紙を取り出した。
「まず、塀が壊れたときの状況を――」
「人命か、火災に関わるご依頼ですか」
私が尋ねると、二人が同時にこちらを見た。
「いいえ。ですが彼は、父を亡くしたあとの私を何年も気にかけてくれた人です」
境界線を言葉にできるオスカーにも、線を引きにくい相手がいるらしい。
「助けられることと、今夜引き受けるべきことは別です。明日の最初の時間を空けます。今夜は、双方に塀へ触れないよう伝えてください」
かつて私へ向けられた言葉を返すと、オスカーはしばらく黙った。
「……規則は、人に守らせるより自分で守るほうが難しいですね」
「私も、まだ練習中です」
船大工は翌朝の約束を受け入れ、帰っていった。オスカーも記録用紙をしまう。
私たちは、どちらか一方が正解を教え続ける関係ではなかった。
私の試用契約は、正式な雇用に変わった。
同時に担当するのは三件まで。勤務は週四日。日没後の緊急依頼は、人命や火災に関わるものだけ。オスカーは条件を一つずつ読み上げ、私が理解したことを確かめてから署名した。
休日の初めは、相変わらず何をすればよいかわからなかった。
オスカーは、私を休ませる計画を立てなかった。ただ、自分が昼食を取るとき、ときどき声をかけた。
「市場の南側に、豆の煮込みがおいしい店があります。一緒にどうですか」
「何か、ご相談でしょうか」
「いいえ。食事だけです」
「私と食事をして、何か得るものが?」
「煮込み鍋は一人前を作ってくれません。二人なら注文できます」
理由があまりに実際的で、私は笑った。
笑ってから、それだけが理由ではないと気づいた。
けれどオスカーは答えを求めなかった。私たちは豆の煮込みを分け、湖を渡る帆船を眺めた。
仕事の話をしない一時間が、少しずつ怖くなくなった。
婚約破棄から五か月が近づいたころ、王都から三通の新聞と父の手紙が届いた。
一面には、フェリクス殿下が二つの村を訪れた記事が載っていた。
『王太子、西岸堤防案への署名を表明。東岸住民へ移転補償』
殿下は、人口と避難路の条件から西の村を優先し、東の村には高台への移転費を出すと決めたらしい。
西の村からは補償費が多すぎると批判され、東の村からは故郷を見捨てたと罵られていた。
それでも記事の中に、私の名前は一度もなかった。
決定文の末尾には、フェリクス殿下自身の言葉が載っていた。
選ばなかった側の損失も、自分の決定の結果として説明を続ける、と。
別の新聞は、鉱山事故の補償決定が期限を越え、採掘再開が一月遅れたと厳しく報じていた。遺族年金は、財源を巡って議会が割れた末、三年間の試行制度として始まった。
王国は止まっていなかった。
ただ、これまで私の執務室の扉で隠れていた対立が、人々の目に見える場所へ出ただけだ。
父の手紙には、三百二十七件のうち、すでに八十九件が決裁されたとあった。十四件は期限に間に合わず損失が出た。百件以上は、担当大臣が期限を改めて公示した。
そして王家では、法的権限のない王太子妃候補へ業務を集中させた経緯の検証が始まっていた。
『お前が行った仕事の日数と、王家から侯爵家へ支払われた対価を調べた』
父の筆跡は、途中からわずかに乱れていた。
『対価は一度もなかった。私はそれを、娘が認められている証しだと思っていた。お前の労働を誇ることで、私も使う側に立っていた。すまなかった』
手紙を読み終えても、私はしばらく動けなかった。
謝ってほしかったのか、自分でもわからない。
ただ、父が初めて私の能力ではなく、私が失った時間を見た気がした。
「王都へ戻りたくなりましたか」
向かいの机から、オスカーが尋ねた。
市庁舎は昼休みで、ほかの書記官は食堂へ出ている。私は父の手紙をたたんだ。
「いいえ。けれど、王国が私なしで決められるなら、私はあの場所で何だったのでしょう」
「今も、ここにいるのは仕事があるからだけだと思っていますか」
「違うのですか」
「少なくとも私は、あなたに依頼する案件が一つもない日でも、一緒に食事をしたいと思っています」
窓の外から、湖鳥の鳴き声が聞こえた。
「なぜですか」
「あなたといる時間が好きだからです」
オスカーはそれ以上、言葉を重ねなかった。
私が返事を作れずにいることを責めもせず、眼鏡を外して曇りを拭いた。
「今日は煮込みではなく、焼き魚にしませんか」
「……はい」
必要だからではなく、一緒にいたい。
そんな理由で人に選ばれることを、私はまだ信じ切れなかった。
それでも、その日の焼き魚は、王城のどんな晩餐より温かかった。
そのとき、市庁舎の入口から、職員が私たちを呼んだ。
「リディアさん。王都から使者が来ています」
使者は雨に濡れた外套のまま、王家の封書を差し出した。
「フェリクス王太子殿下が、三日後にレーヴェへ到着されます。リディア・アーヴェル様に、直接お会いしたいとのことです」
五か月前に切れたはずの糸が、王都から再び伸びてきた。




