第26話 三年前の私が書いていない一文
『三百二十七番』の写し綴りを、机に広げた。
職印の持ち出しと、調書の変更。二つの時刻は、分まで一致している。
三年前、私が北湖水利協定の事前調整で残した原本の記述はこうだ。
『南岸の低地は、洪水時の一時的な退避先になり得る』
隣に並べた、現在の王室調整局の要約文。
『南岸低地を恒久的な遊水地として推奨する。対象地域の住民は自発的な移転に同意する意向である』
私は父から届いた仮契約書の写しを、その横へ置いた。
「こちらは、婚約解消の二週間後に作成されています。表面だけ、私が王太子妃候補だった日へ遡っています」
「遡及作成ですね」
オスカーが二つの日付を囲んだ。
「ええ。この仮契約には、民間会社へ三十年間の湖上通行料徴収権と、乾期の取水優先権を与えるとあります。その条件への合意者として、失効した私の肩書が使われています」
写しと原本の照合記録、元書記の供述書を、王国監査官へ提出した。
数日後、レーヴェ市庁舎の執務室に、黒い法服に身を包んだ王国監査官が直接結果を届けにやってきた。
彼は卓上に分厚い認定書を置き、一切の感情を交えない事務的な声で告げた。
「マティアス・ヴェルナー調整局長について、三点の違反を認定します」
監査官は、認定書の項目を一つずつ読み上げた。
「名義冒用。公文書改変。民間会社との仮契約における重要条件の秘匿。以上です」
私は、その認定書に押された王国の正式な監査印をじっと見つめた。
「これで、彼の資料を前提から外せます」
監査官が退室した後、オスカーが深く息を吐き出した。
「明日は、四つの案を同じ紙で比べられます」
認定書の写しを、議場前の掲示板へ貼った。
赤い地図から『推奨』の札を外すと、市街の女が声をかけてきた。
「では、三村を沈める案は、選べないのですか」
「いいえ。A案も残ります。消すのは、根拠のない『推奨』だけです」
エルナがA、B、C、第四案の四枚を、同じ大きさで並べ直した。
「ええ。明日の議題を整理しましょう」
執務室の扉が三度ノックされ、市庁舎の職員が駆け込んできた。
「リディア先生、オスカー書記官長! たった今、王都から早馬が到着しました!」
「どうしました。監査の追加報告ですか?」
オスカーが眉をひそめて尋ねるが、職員は青ざめた顔で激しく首を横に振った。
「マティアス局長からです。明日の公開合同会議に出席し、自ら説明すると通告してきました」
私は、机の上の書類を見つめたまま、静かに息を吸い込んだ。
「発言の時間は、他の当事者と同じです」
私は認定書を閉じた。
明日、マティアスは自分の名で説明する。




